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(回答先: ポストモダンとは畢竟するに、価値観相対主義のことなのではないか 投稿者 乃依 日時 2005 年 3 月 27 日 09:36:27)
乃依さん、レスありがとうございます。
マルクス主義の硬直した論理(価値観)に対する批判という意味が大きかったのではないかと思っております。
脱構築や差異という戦略にそれを感じます。
>ポストモダンとは畢竟するに、価値観相対主義のことなのではないか
価値観相対主義と言えばそのような気もします。
浅田彰のブームの時に自分で分かる範囲だけで読んだという中途半端な読み方ですが、大まかな感想です。
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/655.html
>投稿者 乃依 日時 2005 年 3 月 27 日 09:36:27: YTmYN2QYOSlOI
>(回答先: 言葉 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 月 25 日 09:53:30)
>話は変わりますけど
>価値観相対主義は、ポスト・モダンをも包摂できる
>あるいは、
>ポストモダンとは畢竟するに、価値観相対主義のことなのではないか
スターリン哲学の相対主義批判を批判する必要を感じます。
マッハ主義の批判などです。「唯物論と経験批判論」というのがスターリンにあったかと
思います。
思想や哲学は言葉を使ってどれだけリアルに現実(存在)を再現できるか?
という無限の試みであるに過ぎないと私は考えます。
クリスティバのテクスト論の基本的な考え方や
現象学がこういう考え方かと思っております。
フッサールやウィトゲンシュタインですね。
従って、いつまでたっても「これが真理だ。」という事には到達できないという事を認めるかどうかという事が問われます。
従来、このような立場はマルクス主義などの陣営から不可知論として退けられてきたと思いますが、我々は不可知論を基礎として、その中での世界観のモデルを作るしかないのではないかと思っております。
>とひそかに思うのですけど、皆さんはどうお思いでしょうか。
私もそのような感触を持っております。
>有難う御座います。ポスト・モダン的分析です。ネオコンがポスト・モダン的立場で
>http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/851.html
>ODA ウォッチャーズ さんのお話をうかがって、ふと思ったところです。
私もそのような事を感じました。
ODA ウォッチャーズさんや乃依さんのようなお考えこそが真理へ限りなく近づく為の基本的な姿勢だと感じます。
それにしても、だとしたらネオコンはブッシュにわざと二項対立的な表現を取らせて失敗させたという事になるのでしょうか?
田中宇氏がネオコンはわざとアメリカを敗北に導いたのではないか?
と述べておられましたが、そういうやり方もアメリカの現状の中では取らざるを得なかったのかなあ?なんて思います。
「騙される方が悪い。」という話です。