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(回答先: Re: 利己的遺伝子と縄文社会の無競争 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 3 月 18 日 09:24:03)
遺伝子が、まわりに漂う、アミノ酸のスープを使って、自分を再生産するようになったと、考えられる時代から、今日まで、数十億年。うまく、スープを取り込む遺伝子が生き残ったのでしょう。
植物も、多種多様な方法で、子孫を残します。あるものは、自分の周りに、他の植物が生えないように、化学物質を出します。あるものは、背高く、葉を大きく広げることで、他の植物に光を与えないようにします。別のものは、少ない光で、十分やっていけるように変化しています。同じ種は、同じ生え方をするので、同じように競争します。
動物も、すざまじい生存競争と、適応の中、遺伝子を残せたものが残っています。ごきぶりの生き方、ライオンの生き方。ライオンのオスは、夜中、自分の縄張りを見回るのですね、昼間は、寝てばかりですが。
マンモスも、最近の研究で分かってきましたが、1万年ほどまえ以後、気候が温暖化する中、その大きさを、半分以下にして生き残っていきました。(しかし、5000年ほど前を最後に、滅びたようです。人類が、食べてしまったことも、原因のひとつだとされています。マンモスの骨に、石器が突き刺さっているのが、残っています。)
こうして、数十億年の期間、無限に近い種のあり方は、縄張り争いを含む、生存競争でした。
人類が、ある時期は、縄張り争いをしない時代を送っていた、という説を裏付けるとすれば、よほどの根拠を示す必要があるのでしょうね。10のマイナス10乗くらいの可能性を立証するのですから。
あるいは、ある人々が、”キリストの奇跡”を信じてしまうのと同じように、そうだったと、信じてしまえば、別でしょうけれど。