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岩住さん、こんにちは、レスが大へん遅れましたことをお詫び申し上げます。
標題の問い掛けが【如往さんのご質問に対する回答ですhttp://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/490.html投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 2 月 20 日 】にたいするレスの主旨になりますが、気に留まった部分について少しコメントしたいと思います。
先ず、私がこうした問題を考えていくにあたり、岩住さんもご存知の、【「寄生性」&「知的謀略」が国際金融家や国際商人の“危険因子” − トヨタなど日本の国際商人(輸出優良企業)も“危険因子”を持ちつつある −http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/737.html投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 06 日 】においてあっしらさんが喝破されている、国際金融家や国際商人等を中心にした支配層の「寄生」を中核概念とする思考パターンや行動パターンに関する認識が基本にあります。それを踏まえて、支配層の「寄生性」&「知的謀略」をどう受けとめてどのように対処していくかが、我々の今日的課題ではないかと捉え、彼是と暗中模索を繰り返しているような現状です。
>国民の統治方法はどの国でも昔は暴力から始まりました。文明が進み国民に余裕が出来、教育が進むにつれ、暴力統治は良くないという思想が起こり、民主主義という概念が出た訳ですが、欧米にそれが最初に発生したのは彼らの暴力統治が横暴な物であったからである、と思います。それに比べ、日本の暴力統治は穏便で国民はそれほど虐待されていなかったから民主主義が自然発生しなかった、いうのが私の解釈です。
政治史は私の専門ではありませんし、おそらく岩住さんにとっても専門外のことでしょう。ですから、互いに近代民主主義の淵源について詳述することは適わないものですが、しかしながらこの解釈を受け容れることはできかねます。そこで、己の拙い知識を思いっきり引っ張り出してみますと、近代民主主義の起源は清教徒革命を端緒(原形)にしてフランス革命が雛形となり、変形的ですが完成度の高い民主主義をもたらした例としてアメリカ独立革命が挙げられるでしょう。これ等の政変は暴力政治による虐待にたいする民衆の反発が主なる動因として勃発したものではなく、産業革命を契機に勃興してきた所謂ブルジョワジーと旧権力(王権)との相克を中心軸においた構図として描く方が、より正確に発生の原因を捉えることができるのではないでしょうか。そこでは、近代民主主義はブルジョワジーによる旧権力にたいする枢要なAlternativeであったわけで、それはギリシャ時代以来の西洋世界における政治的叡智の結集でもあったと考えています。
>日本で数理民主主義が成功し易いであろう理由は日本人が他民族に比べ相互信頼度が高く新しい制度をしつこく疑う習性を持っていない事です。だから、戦後に欧米民主主義が瞬く間に受け入れられたのです。
相互信頼度が高いのではなく、他者をはじめから疑ってかからない、国内的にもそうした心象風景が日本人の心をつい最近まで支配して来たことは否めないでしょう。けれども、日本人が最初からそうした国民性を有していたわけではなく、偶然にも他国の支配を受けて来なかったアジアの歴史上も希有な国民だったことなど、日本人が他者を疑ってかからなくはならないような心性に至らずに済んだ歴史的経緯も看過することはできないでしょう。対外的な問題に対処するとき上層部の人達の見識がその程度の基盤しか有し得ないとしたら、日本の先行きはまったく危ういとしか言えません。その点をあっしらさんも前掲のスレッドと一聯のレスの中で指摘してもいます。
岩住さんの“論理教育”の概容が見えて来ぬまま、こんな質問をすることは躊躇されるのですが、物理学者Ernst. Machの思考方法についてどう思われるでしょうか。私見ですが、摂理の背後に何かしらの(自然の)英知が感得されるとする岩住さんの思惟の領域を脇におけば、Machの論理実証主義と岩住さんのそれとは多くの部分で暗合しているのではないかと推察しているのですが、間違っているでしょうか。
それから、おそらく岩住さんは山本義隆氏と同じ世代ではないかと想われますし、物理学のカテゴリーで生体物理と理論物理がどのような系統に配されているのか存じ上げませんが、東大の学部時代や院生当時を通じて山本氏と何らかの接点がありましたら、どんな印象をお持ちであったか、お聞かせいただければ嬉しく思います。これは、“理科系論理体系”と“文科系論理体系”を媒介言辞にしてあっしらさんとやり取りをされていたときに、ふと湧いた疑問です。すなわち、山本氏ならばどのような応答をするだろうかと。何卒よろしくお願い申し上げます。
また、会いましょう。