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(回答先: Re: 中国は日本とは全く異なり、封建制の農村搾取によって経済成長をしてきました 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 2 月 07 日 14:44:46)
スパルタコスポノさん、ありがとうございます。
>Re: 中国は日本とは全く異なり、封建制の農村搾取によって経済成長をしてきました
そうなのですね。
という事は毛沢東の長征(農村部から都市を包囲せよ)にも革命後の農村部に対する
にらみを利かせる意味があったのかも知れませんね。
美談のような事しか私は聞いた事が無いのですが。
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/441.html
>投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 2 月 07 日 14:44:46: VwFkRnCGdf9dw
>(回答先: リベラルは技術の進歩が人類を救うという楽観論だったのでしょうか? 投稿>者 ワヤクチャ 日時 2005 年 2 月 06 日 22:42:49)
>>その結果、中国は「社会主義的市場経済」なるアクロバットを編み出しました。
>>これは官僚主導型資本主義でしかないと私は思います。
>>日本と全く同じものです。
これは「官僚主導型の市場経済」という限定された意味での一致を申し上げたまでで
中国経済が農村部の搾取の上に立つ事とは矛盾しないと考えます。
農村部の搾取の上に資本を都市部で蓄積し「社会主義的市場経済」というグロテスクな
概念を強弁しているのだと思っているのです。
>全く異なります。中国は農奴制の搾取、身分制度の上で資本主義的な発展をとげている>のです。
はい。
>中国の農民が解放されたというのは嘘です。
それは、そうなのでしょう。
その点では日本とは状況が違います。
>以下http://www.president.co.jp/pre/20021202/003.htmlより抜粋
>> また、中国国有企業の場合、年金以外にも医療費、住宅提供などの福利厚生のすべ>てを、これまで自らが負担していた。前回、都市戸籍の人々は福利厚生が提供されてい>ると説明したが、それは個別の国有企業の負担によっていたのである。
>> これに対し、農村戸籍の場合はどうか。前回見たように、彼らには福利厚生など提>供されていない。
これは決定的ですね。
>> 1990年頃、興味深い経験をしたことがある。当時、私は中国の住宅問題で訪中し、>連日、北京の会議室で中国建設部(日本の国土交通省にあたる)と建材局(日本の経済>産業省の建材関係部局にあたる)と協議していた。テーマは、中国の住宅問題に日本が>いかに協力できるかであった。
>> 中国の住宅事情は、60年代中頃からの文化大革命により悲惨なことになり、78年頃>には一人当たりの占有面積は3.6平方メートルとなっていた。改革・開放以後は、多大>な努力を注ぎ、90年の頃には7.2平方メートルまで増加した。だが、これでも狭隘であ>ることには変わりはなく、2000年には10平方メートル程度までにはもっていきたいとい>うのであった。
>> それに日本がどう協力するかがテーマだが、連日の議論の中で、妙に引っかかる言>葉があった。占有面積などを説明する際、常に枕詞に「都市では」という言葉がついて>いた。ついに私が「農村はどうなのか」と尋ねると、「なんでわれわれが農村のことを>考えなくてはならないのか。農民は自分で家を建てる」と言うのであった。農民(農村>戸籍)は住宅ばかりでなく、医療費も自己負担であり、当然、年金などない。福利厚生>は「都市戸籍」の人々だけを視野に入れていたのである。そして、都市の人々の福利厚>生も国が提供するのではなく、所属の国有企業がそれを担っていたのである。
なるほど自力更生ですな。
社会主義では無い。
>> どうしてこんなことになったのか。それは、新中国成立後、戸籍制度の成立と併せ>て、50年代後半、都市戸籍の人々は「国有企業」、農村戸籍の人々は「人民公社」に統>合されることから始まった。これら「国有企業」「人民公社」は「単位」とされ、就業>者だけではなく、家族もそれぞれの「単位」に所属することになる。人々は「単位」に>すべて依存することになった。そして、この「単位」が職業、住宅、年金等の福利厚生>のすべてを担うことになる。
>> 人々は、基本的には生まれてから死ぬまで、その「単位」の中にいるのである。人>員規模の大きな「単位」となると、幼稚園や小中学校ばかりでなく、大学、病院等も自>前で抱えていた。
> だが、農村部をカバーしていた「人民公社」は次第に計画経済の弊害が生じ、改革・>開放直後の80年代初めには解体され、行政的な機能を残した郷や鎮の政府となっていっ>た。そのため、農民は住宅の保障、あるいは、社会福利厚生とは無縁の存在になってい>くのであった。
>> そして、この「単位」を際立たせていたのが「档案(とうあん)」というしろもの>である。これは、いわば個人の履歴書であり、個人別に中学生の頃(最近では、もう少>し年齢を上げている)からの個人の情報が記載されている。これは本人は見ることはで>きず、所属の「単位」が保存している。昇進等の際には、この「档案」が重大な意味を>持つ。中国の人々は、この「単位」と「档案」から自由になることは難しい。「戸籍制>度」と「単位」「档案」は一体であり、人々は厳しく管理されていたのである。
>そして、ここが日本の資本主義とは違う過酷な農奴制を示すのです。中国も北朝鮮も暴>虐な権力機構を解体せずに、経済支援をするだけでは、農民は絶対救われません。
>http://www.president.co.jp/pre/20020930/001.htmlより抜粋
>> さらに、中国では基本的には移動の自由がない。戸籍のある場所にしか住めない。>近年、上海、北京などは際立った発展を示しているが、市内には途上国にありがちなス>ラムは存在しない。農村から人々は自由に大都市にやってくることはできないのであ>>る。途上国として珍しくスラムがないのは戸籍管理が徹底していることによる。
>> 戸籍は生まれた瞬間に決定するが、両親が別々の戸籍の場合はどうなるのか。一般>的には母親の戸籍を受け継ぐ。したがって、大都市の若者が農村の娘と結婚することは>稀である。それでは、自分の子供は農民の戸籍になってしまう。
>> では、農村戸籍の人々は都市の戸籍に変われないのか。それには幾つかの条件があ>る。全人民の唯一の機会は大学に受かることである。大学は都市にしかない。大学に受>かった農村戸籍の若者は大都市に居住せざるをえない。そのために、大都市側が暫住>>(暫定)戸籍を発行する。そして無事に卒業すれば、従来なら彼らは国有企業(単位)>に配分された。そこで新たな都市戸籍を取得するのであった。
なるほど、がちがちに固めた身分制度ですな。
大学に受かる事だけが農奴からの脱出方法であるようで。
天安門事件で多くの学生が殺されましたが殺した兵士は農村出身の貧しい人々であったと
聞いております。
兵士は今後自分を支配する事になる学生を殺したいと思ったかも知れませんな。