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まず、私が言えることはマルクスをいたずらに批判するのではなく。マルクスを超える理論を打ち立てることが大事だとだということです。
確かにマルクス主義としてはプロレタリアーと(労働者)が団結し革命を起こし、つまり暴力的に政権を取るという事があります。それは背景となる時代的社会が現在のように民主的(現在も真の民主的社会とはいえないが)な要素が無いことから、またマルクス自身が人間を信じすぎていたという面があると思いますが、まさか労働者が政権を取った時一党独裁として、政治を動かす者が権力者になり民衆を支配するとは考えられなかったのではないでしょうか。現在の労働組合がある意味、経営者(資本家)と結託し労働貴族と言われてしまう構図と変わらないのではないかとも。
もし、マルクスが「共産党宣言」なり「資本論」を書いていなかったとしたら、いや、マルクスという人物がこの社会に存在していなかったなら、今の我々のこのような生活も違ったものになっていたと考えられまる。たぶん今よりも人権が無く支配者が、マルクス的に言えば搾取の限りを尽くしていたということがいえます。
人間の歴史を見るとある時期、思想家なり哲学者が社会の矛盾に気づき発言をしてきたこと、そのことにより社会が変わっていくといえる。
残念なことにソビエト社会にしても、中国・東ドイツ他、諸々の国にしても社会主義が失敗してしまった。何がその原因を作ったのかを、これから出来る範囲内で書いていきますが、ただ、言えることは社会主義がだめで資本主義が人間の社会だという風潮は木を見て森を語ることに過ぎないということになります。
そして現在の共産党の不破書記長のように議会制民主主義を主体とした路線転換をしたとしても、その先の人間社会をこのように創っていくというビジョンを描き得ないで単に未来社会はこうあるべきだと言っているに過ぎないと考えられる。そこから選挙を通じて共産党政権を伸ばしていこうとしても人々は見向きもしないのではないか。共産党自体が哲学的思考による人間社会を描き出す努力をしていないということになります。
私自身適当に書いているという面がありますので、そこから議論が始まればと考えます。
出来るだけ参加します。