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(回答先: Re: 「利潤追求が軍需産業を作り戦争を作った。」・・・について 投稿者 膝枕 日時 2004 年 12 月 26 日 12:40:50)
膝枕さん、resありがとうございます。
>Re: 「利潤追求が軍需産業を作り戦争を作った。」・・・について
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/227.html
>投稿者 膝枕 日時 2004 年 12 月 26 日 12:40:50:7Ub4fvxAMS/.2
>(回答先: 「利潤追求が軍需産業を作り戦争を作った。」・・・について 投稿者 膝枕 >日時 2004 年 12 月 25 日 18:20:02)
>私が何故・・・
>>問題は・・・「どうしたらできるか」の方法論こそが肝心ではありませんか?
>と述べたか・・・・について説明します。
>ワヤクチャさんの解釈の
>>現状認識よりも目的よりも「ではどうすればいいのか?」ばかりをすぐに考えようと
>>いう傾向です。
>>しかし、実は現状認識や目的を明確にしなければ方法論も立てようが無いのです。
>は、「やはりそうか・・」という感想です。
>ワヤクチャさんの言うように、「先ず目標設定が何よりも大事で、その方向がはっきり
>すれば自ずと個別の方法論は見えてくるものだから、目標の認識を先ずすべき・・・」
>はある意味正しいものの考え方です、実際、大抵の問題に取り組む場合はそうすべきと
>私も思います。
>何故私が「光が見えないくらい可能性が少ない」とも言ったのか?という言葉もそうで>すが、
>私の意図するところはワヤクチャさんが解釈した意味とは異なります。
はい。
>つまり「世界に蔓延る悪のシステムが何故存在し、何をしようとしているのか?」
>が分からない限り普通の対処法では無理だという意味です。
という事は、利潤追求や軍需産業や戦争という現象の根の所にもっと何か根源的な
ものがあるという事ですね。
それは、例えば、貨幣の問題とかがあるのではないでしょうか?
貨幣は最初は商品を交換する為に発明されましたが、蓄積されるようになると
貨幣の蓄積自体が自己目的化したという問題などが発生したと思うのです。
現在ではコンピューターの中のデータとして各人の所有貨幣が記録される
ようになり、このコンピューター内の数字を増大させる事に万人が血道を
あげるようになってしまっているのです。
このような物神崇拝が今日の様々な問題の根源にはあると思います。
>「邪悪を消すには正しい光を当てればよい」という「正義は最後に勝つ」という
>ある意味信仰は、そうあってくれればありがたいとは思いますが、
>そんな単純な法則が通用する分かりやすい世界ではないからです。
「邪悪」というような観念的な問題ではなく、コンピューター内の数字の
増殖競争というような倒錯が現在の問題だと思います。
すなわち、システムの問題です。
>だからこそ「事実認識をし、目標設定を先ずするのが・・・」という方法では
>今の世に蔓延る「悪のシステム」には対応できない気がします。
「悪のシステム」の根源は「貨幣システム」だと私は思います。
>それを分かるように説明せよと言われても現時点ではできませんが、
>「通用しない」ということだけは確信しています。
その確信がどこから来るのかを解明したいですね。
我々人間は言語化されたものに対してだけ取り組む事が可能だ思います。
問題を言語化する事が必要なのです。
言語化できない内は、その問題に対して何もできません。
>この「世界に蔓延る悪のシステム」は、人間とは何か?神とは何か?この世の意味は何>か?
>という糸口から入り考えない限り、本当の答えは無いのではないか?とそんな気がして>います。
人間とは何か?
といった場合、私はこの身体として存在する人間の事しか想定しません。
それ以上の観点は証明不可能であると思います。
神とは自然や「この世の法則」に対して人間が擬人化して名づけた名称であると思います。
>結論から言えば、
>「利潤を追求してきたら、最大の効果のある軍需産業だった、そしてその需要創出の>>為、
>人為的に紛争の種を蒔いている」のではないということです。
と言いますか、利潤を追求しようとしたら当然軍需産業の経営者は戦争を起こそうと
するだろうという話なのですが。
>もっと奥深いところに
>本当の理由があり、そこに意識を向けない限り、本当の問題解決は無理ということで>>す。
仮にそのような「本当の理由」というものがあったとしても言語化できなければ
それに意識を向ける事はできません。
我々は言語化できたものの中で様々に試行錯誤していくしかないでしょう。
>>「悪のシステム」のように、少し目を凝らせば誰の目にも見えるようなものは本体で>はない
>ということです。
誰の目にも見えているものでも、それに対する解釈が色々ある為に
取り組みにくくなっていると思います。
少なくとも見えているものに対する取り組みから始めなければその次のレベルへの
認識の発展は得られないと思います。
「見えていない本体」に対して取り組む事はできないという事です。
>操り糸はさらに深いところに繋がっているということです。
かも知れません。
しかし、それは私には分かりません。