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(回答先: 相対化する安全・・・選択肢の一つになった安全・・遅くてもよければ私鉄を 投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 07 日 10:11:21)
もう少しだけ、考えを進めてみると、安全は常に相対的です。
安全対策は危険度との関係でそれが有効な範囲内において、安全が確保されます。
「頭のうえに石がおちるのはいけないが、ひざにあたるのなら許される」
これは、JR西日本の社員への文書として報道されたもので、安全軽視を物語っているものですが、漫画的な言葉ではあるけれど、安全の相対性ということを曲解していたということでしょう。
余談ですが、「社会問題」のところで、「逃げ道のない社会システム」「集団帰属」ということで、日本人の幼児性(幼児性ということ自体、「自虐的」ですが、教科書問題で自虐的といいながら、アメリカ信仰による自虐性に気づかない人もいるんですよね・・)ということで事件が語られていますが、
島国の国民としての安定的社会と大陸的なだましあいの社会との差にすぎず、それぞれに一長一短があるということでしょう。(ある意味、グローバル化で日本のよい面がつぶされいるかもしれません。)
話をもどすと、価値・サービスの生産者側としては、もともと安全とは相対的であるという認識をもちながら、対策を講じていくことが求められるということです。
また、価値・サービスの利用者側が、そうした情報を把握できたうえで、選択していくことも必要です。
そして、メディアの役割は、スキャンダルを追うことではなく、そうした隠された情報を提供することでありましょう。
再び余談ですが、
イラクに人助けにいったといっては非難し、人助けをせずにボーリングしていたといっては避難し、いったい何がいいたいのか。
もし、労組が救援にいっていれば、置石説をとってテロリストの自作自演だとでもいいたいのか?面白おかしい記事で、購読数をふやそうということしか考えないメディア。情けない。
以上、1日2投稿のため、こんなところにまとめ書きしました。