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(回答先: Re: おやおやお久しぶりです。 投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 09 日 21:19:41)
如往さん。 レスありがとうございます。
しかしこんなマイナーな話におつきあい頂くと、かえって恐縮です。
「すみちゃんさんの敢えて隘路に踏み込もうする志向性みたいなものを好ましく思っています。」
えへへへ。 本業ではそんなことはしません(笑)。
歴史とか、陰謀論とかは、あくまでも趣味の領域なので。
隘路に踏み込んでも実害はないし(笑)。 お金もかかりません。
「立論者自身が明確に根拠を示しているか、殊に検証の方法を明示している文献などを、ご推薦いただければ幸甚の至りに思います。」
これは上に挙げた参考文献につきるかと思います。
池田氏のホームページは率直に言って出来が悪いように思われるので(笑)ここから判断されるのは気の毒かと思います。
正直言って、私も全体像を把握できていないのでコメントを控えます。
山田氏のコラムについては良いですね。
戦前の書き物を持ってくるのは、いただけませんです。
「考古学ならば中間体の化石の発見ですね。「秀真伝」に記されている内容の解明以上に、非常に困難と想われるのは「ホツマ文字」が小笠原家に秘匿され世間から姿を消した真相の解明でしょう。」
「真相」は不明です。
「ホツマ」側の「真相」開示としては、「生嶋問答」(ワニコヤストシ著作)に詳細な記載があります。
内容、文体的に見ますと、ホツマ文字から漢字訳したというようには見えます(逆方向は難しいように見えます)。
その際に誤解に基づく誤訳も多いことから、おそらく「伝言ゲーム的」中間体があったものと想定できますが、
今後とも見つかることはなさそうです。
「何れせよ、『神代巻秀真政伝紀』の完本である近江三尾神社の神宝をどこまで小笠原家が研究者達に公開しているのか不明ですし、発見させられた遺物がまた新たな解釈を施されて出回ってしまっている、そんな邪推も可能ではないかと見ています。」
最古の写本「ワニコヤストシ」本は滋賀県の藤樹記念館に保存陳列されています。
明治初期の写本は「国立古文書館」に保存され、公開されています。
公開、異本の異同研究は進んでおり、あんまり疑う余地はないです。
如往さんがいろいろひっかかっているのはもっともなところであり、
私もいかにも江戸臭い文章だなあと思うところもあります(笑)。
しかし、如往さんにはこの文献の魅力的なところがまだ見えていないと思うんですよ。
一つ目はその文章の品格、体系性、そして意味不明の古語に満ち満ちていることです。
このような文献は他にありません。
二つめは、この本が漢字訳前の原本(の一つ?)であったと仮定すると、
古事記、日本書紀における何やら中東臭い、怪しい諸要素があぶりだされてくるところなんです。
こういう「中東的」要素は明治初期に徹底的に利用されます。ここが気になっていました。
これらの漢字文献に現れる何やら偉そうな「人格神」たちがどうもおかしい、普通の日本人の習慣や信仰とは違うぞと長年思っていたんです。
だいたい日本人は普通は雲の上の神様を拝んだり、神社にしたりしないと思います。
生きて功績のあった人や、人々に慕われた人や、怨霊となりかねない人を祭るのが普通です。
ホツマツタヱでは、このような「人格神」が消滅し、すべて立派で有能ではあるが普通の人間の姿で出てくるわけですね。
これは実感的にしっくりとくるわけです。
これが何やら中東臭い人格神に変形されていき、やがて中世にかけて神がかりになっていくと。
そのプロセスが見える文献−そこが面白いわけです。
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