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(回答先: Re: 飛鳥・奈良は渡来人が造った都 (荒 岱介) 投稿者 笛吹き童子 日時 2005 年 2 月 06 日 19:40:31)
横からレスします。
ご存知の通り、平城京は唐の長安をモデルに建てられました。当時の長安はコスモポリタンで多くの外国人が住んでいた、とりわけペルシャ人は街を造って住んでいました。(アラブ人・イスラム教徒に追われたゾロアスター教徒)
ほぼ中央にあるペルシャはシルクロードの架け橋の国であり、ペルシャ人はシルクロードの交易商人でもあった。 当時、中国とペルシャは良い関係にあり、ペルシャ、ササン朝時代のペルシャ錦織り、文様、飛天の壁画の天井図案、砂糖の製造法も中国に伝わった。
余談だがキリスト教の一派である、景教(ネトリウス派)がペルシャ人によって中国につたわった。景教はギリシャ正教から生まれた一派だが古代ペルシャで信仰されていた。 長安の大奉寺に建てられたペルシャ寺の石碑には70人のペルシャ人の名前が残されている。
彼らは芸術、商いだけに優れていたのではなく、政治のアドミニストレションや建築の分野でも中国で活躍し、高い、ポジションを得ていたもようである。
よってペルシャ人は日本にも渡来している。 火祭りはゾロアスター教そのものである。
日本人は縄文人と多種の渡来人との混血でしょう。 最近は日本人の顔、目や耳、鼻などしげしげと見てしまう。 性格や器量もなんとなく、推測される。
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