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(回答先: Re: 石油はマントル起源(ロバート・エールリッヒ氏に反論しようと思ったのですが、↑を読めば彼はあまり反対もしていない) 投稿者 万事急須 日時 2005 年 1 月 12 日 23:49:39)
実際どの書物もそうだ。
しかし自分はどのようなテイの本であってもヒントとなる面白い知識があればそこだけをかすめ取り、思考の根幹へとプラスしている。1冊丸ごとスミからスミまで一言一句首を縦に降る事はない。誰しもそうでなくては困る。そうしていくと手にとるまでもない本も解る様になる。
まこともって花盛り出版業は、スミからスミまで豊富なうんちく出鱈目話題知識で溢れんばかり。読む側もまたそういうものを求める傾向があるのではないか。そういう人心で溢れる世の中になってしまった。しかしそれを自分が悲観しなきゃいけない問題でもないからすておく。
著述業を営む人間の描く自己中心的な物言いと言うものは非常にやっかいだ。著名になるとますます早合点でものを書く。デタラメ度が加速する。五木寛之とかは名前ばかりで中身がこれぽちもない。共著ともなればとかく出鱈目まっしぐらなものだらけ。五木はやっかいなものかきの筆頭に挙げたい。これには誰か反論があれば面白いくらい。
今回の著書の内容においては、その内容とセンスを部分的に興味重視したもので、著者の経歴や素性は一切自分の関心とするところではない。反論云々に関することには殊更御容赦願いたい。されど言い分は承知した。しかし現在、著述者のその殆どは経歴など知ればすべてほうり投げてしまいたくなるものかもしれない。内容に人を見よ。
これからの窮地に生きなければならない人間に、どのように意味がある内容なのかだけを見極めて、描いてある事柄を活かせる知識として吸収させていただいた。この情報自体あるかないかは読者次第となっている。何も問題はないと思われる。
特に今回、投稿しようとしたキッカケといえば、昨日この本が手許に戻ってきた折、ふと開かれたページに、スマトラの天然ガス田に関する事柄が書かれていたからだ。読み取り方としてはそこにだけ注目した。
耳なれない人からすれば、これこそトンデモ話だろうが、琵琶湖の湖底の地質調査で明らかなのは、数十万年前から何度かにわたり、過去人類が何度もこの地球上で栄えた形跡があることで、今の原油は非生物起源かどうかはともかく、9万年前に一度現在と同じようなガソリン文明が発達し(滅んだ)た時代の"おさがり"だと考えているので、今もその由来は不明として認知している。
現在にわかに太陽系全体において確かな現象であるポールシフトとよばれるそれは、人の歪んだ心が蔓延する世においてトリガーとなると知る。現在、往々にして人災とも呼べる災害が、とめどなく大きな広がりを見せていることに対して、それはさらなる悪循環の歯車が、人の心の狂わし始めていることの目に現わせる結果だろうと覚える。それはあらゆる時代の根底にある宗教観にも似たものだろうが、同様、現在の立ち後れた確率崇拝の科学でも、到底到達出来ない、測りしれない程の"微少なる物質群"がこの世を包んでいるからに他ならない。その微少なる環境のバランスに欠かせない物質は人の気ともよべる"意識物質"により安易にコントロールされる。正常な状態を維持し、気候などのバランスを一定に保ち続けるには、人々の心がけ次第と言うことなのだろうと考える。暦の上で繰返しおこなわれる節目の祭りというのはそうだろう。人々の心が潤い、歓喜に満ちて日々あらねばならない。
そうしていこうとする努力が必要なのだ。
これは過去から、現在を通じて、未来へ受け継いでいかなくてはならない科学なのだ。
それが出来ないままに先へ先へとすすもうとし、人を蹴落としすれば、地軸の傾きと共に氷河に文明も何もかもすべてが埋もれてしまう。その中で何もない世界をただひたすらに続けていかなくてはならなくなる。それがもうそこまで来ていると言うのだ。
宗教の違いなどどうでもいい。ただ生まれながらに身のあることにひたすらに感謝すればいい。ただあることそのものは感謝だと気づけばいい。
少しでもこの世界をよく変えたいと願うなら、まず自分が変わればいい。そのための学問が足りていないのだ。その学問を学ぶための心構えが欠けているのだ。
しかしともかく、著述者には要注意なる団体が潜む場合もあるし、ゴーストライターなどもあるからして、注意に目が効く鼻が効くでなくてはやっていけない事も事実。自分はすでに悠長に本を読んでられる時間を感じないので、ただ真実だけが飛び込んでくるというこのたよりになる勘だけを信じている。