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(回答先: マルコポーロ事件に関連して(ヒトラーはごろつきに過ぎず大物でない)[韋駄天掲示板より] 投稿者 XL 日時 2005 年 1 月 12 日 07:59:30)
[39096] 勝者は善・正義の救世主、敗者は悪・大量殺戮者
投稿者:エルロイ 投稿日: 01/12 Wed 08:26:51 削除
わたしはナチスのガス室があったか否かの議論の前に、
ドイツのナチスガス室や日本軍の南京大虐殺糾弾というスローガンだけで、
非常に単純な真理をそこに発見し、そのことに驚きを禁じえない。
この単純な真理の前では賃金奴隷制下の象牙の塔の学者の研究も
赤旗を振りたてるイデオロギー奴隷制宣教師の声も色褪せて見える。
なんのことかといえば、おかしなことに、
大量虐殺を犯したとして糾弾される国は、なぜかいつも「敗戦国」なのだ。
想像をたくましくしてみよう。
仮にアメリカが日本に敗れていたとすればどうだろう?
アメリカ軍によるヒロシマ・ナガサキの原爆投下は残酷無比な無差別殺戮として
歴史学者や思想家の研究対象になり、詳細に調査され、末代まで糾弾されて、
二度とアメリカが立ち直らないようにその事実でアメリカ国民を萎縮させ、
永遠に日本に隷属させることに寄与するだろう。
同じく、連合軍によるドイツのドレスデン大爆撃もまさしく史上最大の無差別爆撃として
永遠にその残虐性を歴史に刻印され、世界中の学者の研究対象、活動家の糾弾対象になったであろう。
そのことでも連合軍側の国民は一生、負の刻印を刻まれるよう教育される。
その一方で、日本の「南京虐殺」もドイツのナチス収容も「戦争を早く終わらせるためには
仕方がなかった」という一言で片付けられ研究者は少数派になっただろう。
現在、何かまるで正義と善の奉仕のために黒い闇を暴くような態度で
ナチス犯罪を糾弾したり、南京虐殺をほじくり返している人々も、所詮は、
権力のおおきな手のひらの上で踊らさせれている、めしいた者たちにすぎない。
一見、正義と善のために戦争犯罪を糾弾しているようだが
単に体制に奉仕しているだけの狂態にすぎないという歴史の皮肉に行き当たる。