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(回答先: 神道とカトリックとの関連について:平成天皇はカトリック教徒? 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 1 月 02 日 07:22:44)
バルセロナより愛を込めてさん、貴重な情報ありがとうございます。
さらに、暗澹たる気持ちにさせるかもしれませんが、
鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」358頁より引用。
私は幼い頃に、神を受け入れたら、その神はほとんど例外なく脳髄深くにとどまり、そこから去ることはない、とたびたび書いてきた。私は正田美智子が最後の決断をする時、皇太子に「キリスト教徒であることを決してあきらめない、それでもいいですか」と言ったと思う。そして、「あなたも神を信じているのですか」と。その時、皇太子ははっきりと「神を信じている」と答えたと思う。五島茂は皇太子に、妻の美代子は美智子妃に、歌を教えた。その過程で皇太子と美智子妃のキリスト教に対する「祈り」の深さを知り、即興の形式をとりつつ、あらかじめ用意していた「……祈りふかぶか」という歌を詠んだのであろう。
(引用終わり)
注)皇太子明仁と美智子の結婚の義に続く馬車パレードで、NHKラジオ実況中継に出演中の皇太子の和歌の先生五島茂が、その場での和歌を求められ即座に読んだ歌。
おんふたり いま輝きて 通りたまふ
祈りふかぶかと 仰ぐ時の間
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鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」374頁〜376頁から引用。
昭和天皇が満六十八歳となったときから、以後、新嘗祭は夕の義の四十分だけとし、暁の義は中止とした。「入江相政日記」にそのことが書かれている。平成の天皇になり、本来の姿へと戻された。十日ごとの旬祭のうち、毎月一日は三殿へ参拝。年間三回ほどの祭りを厳修している。日本の神々に祈りを捧げる天皇について、美智子皇后は一九九五年の誕生日に、次のように語っている。
国民の叡智がよき判断を下し、国民の意思がよきことを志向するよう、(天皇が)祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます。
では、美智子皇后に問わねばならない。祈りとはいつも祈りの対象を持つのである。それは、日本の神々なのであろうかと。天皇に代わって侍従は毎朝宮中三殿に「世の平らぎ」を祈るという。このとき祈る対象は日本の神々に対してであろう。
皇后が「天皇が祈り続けていらっしゃることが……」と言われたが、「祈り」とはイエス・キリストに対しても同時に祈ることができるのであろうか。戦前のキリスト教徒たちは、天皇教の神にも、基督教の神にも祈りを捧げたのであるが、どうであろう。現在の世界の紛争地域を見ても、その根元にあるのは間違いなく宗教の衝突が最大の原因である。「宮中聖書事件」の背景にあるのは、渡辺みどりが指摘したごとく、二つの異文化、すなわち、東洋と西洋の文化の衝突、そのせめぎあいであった。天皇と皇后は日本国の象徴的散在である。個人としてカトリックに近づかれるなり、その態度を取るならば、国民にはっきりと公的な場で信仰を明らかにし、国民の判断を待つべきではないのだろうか。マックス・ウエーバーは「社会における個人の問題は宗教の問題にほかならない」と論じた。同じように、「社会における天皇・皇后の問題は、日本国における宗教の問題にほかならない」のである。
中略
軽井沢で天皇・皇后に聖書に聖書の教えを説く田中政男牧師が各地で講演し、天皇・皇后のキリスト教への帰依の深さを語っているのは、秘密にする必要がなくなったからであろう。そして、「キリストの福音」の中で田中政男牧師を紹介した釘宮義人牧師は週報「キリストの福音」の中でたびたび、天皇と皇后にキリスト教徒であることを公式の場で発表してもらい、日本のキリスト教のリバイバルを期待したいと書いている。こういう思いはキリスト教徒のほぼ全員が持っているのではないだろうか。
引用終わり。
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そこで、再度、現皇室の「宗教戦争」は、キリスト教徒であるが同時に神道行事を行っている平成天皇・皇后と、神道行事を行いたくないという皇太子の問題かとも思える。この点を検証する為に、再度、太田龍氏の記事より引用。
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皇太子夫妻は、神道行事、神道祭祀への参加を拒否することに成るのか?
「サンデー毎日」(16.12.26)。
太田龍の時事寸評
平成十六年(二〇〇四年)十二月十三日(月)
(第一千百五十七回)
○「サンデー毎日」平成十六年十二月二十六日号、二十四頁〜二十九頁。
○皇室「波乱の一年」
知られざる全内幕。
○ここに、皇太子の、「公務を見直す」との発言、
これは、宮中祭祀まで含めて見直す、ことではないか(原武史、明治学院大学
教授)、との見方が紹介されて居る。
○これは、現在の皇室内の全問題の核心を突いて居る、と考えられる。
○要するに、皇太子夫妻は、宮中の伝統的祭祀への参加を忌避したい、と言う
ことであろう。
○言うまでもなく、宮中祭祀は「神事」であり、神道祭祀にもとづくものである。
○それでは、れっきとした「キリスト教徒」と伝えられる平成天皇と美智子皇后が、
今のところ、神道式祭祀に参加して居るのはどう言うことか。
○この件については、鬼塚著「天皇のロザリオ」(三百八十六頁)に、曰く。
(ローマ)法王は(一九八一年)二月二十五日、世界最初の原爆被災地広島
で平和アピールをした。翌二月二十六日、法王は日本カトリック教会殉教の
地長崎を巡礼し、「日本神道はやがて、神へいたる道である」と述べた。
神とはキリスト教の神を意味する。
○つまり、ローマ法王と、法王庁、バチカンは、やがて日本の天皇に成るべき当時
の皇太子夫妻が、キリスト教徒でありつつも、日本の神道行事に参加することは
差し支えない、との正式の認可を与えた、ものと了解出来る。
○従って、平成天皇夫妻は、なんらの精神的葛藤なしに、キリスト教徒であり
続けつつ、日本神道の行事にも参加出来る、わけである。
○しかし、もちろん、これは、いわば方便であり、便宜的、過渡的措置である。
○いづれ、既にキリスト教化して居る日本の天皇は、公然、キリスト教徒として
の自分たちの立場を宣言して、神道を明確に捨てるべき時が来るであろう。
○それでは、皇太子夫妻はどうなのか。
○皇太子夫妻は、自分たちの宗教的立場を、日本民族に対して公言して居ない。
○しかし、皇太子夫妻が、神道を拒否したい!
神道祭祀への参加を拒否したい、と言う考えであると仮定したら、
○その場合には、たしかに敵イルミナティの土俵の上での争いに過ぎないとしても、
或る種の宗教上の深刻な対立が、平成天皇夫妻と皇太子夫妻との間に、存在する、
であろう。
○今、まさしく、日本民族と日本文明の根源を殺害せんとする、この種の深刻な、
ユダヤイルミナティ世界権力からの対日侵略戦争の最終局面が、我々の目の前
で、展開されようとして居るのである。
引用終わり。