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(回答先: 文科系と理科系を問わず専門職エリートほど本を読んでいません。彼らには、古典的教養 など、かけらもない。副島隆彦 投稿者 TORA 日時 2004 年 12 月 24 日 18:39:38)
古典的教養ですか・・・耳が痛い
自分なりに文章をいろいろ書いてみて一番がっくりきてしまうことは、自分の教養の無さがあらわになってしまうことです。いまさら若い時分の不勉強を嘆いてみてもしょうがないのですが、この年齢になってみるともはや取り戻せないものが余りにも多いことに気付き、慄然としてしまいます。特に「古典的教養」と言われると、いやはや、滝のごとき冷や汗を流さざるを得ないような有様で、これは耳が痛い。
ふらりとスペインくんだりに流れ着いた風来坊の浮き草で、こちらでも日本に一時帰国しても、本を買いあさる金もロクに無く、大枚はたいて維持しているインターネットで読む文章だけが頼りの毎日ですが、日本語でもスペイン語でも英語でも、確かに教養がある人の書いた文章は、その立場や主義主張はともかくも、圧倒されるような「分厚さ」を感じます。それに比べると自分の書いたものの薄っぺらさには、つくづく嫌気がさすときがあり、今の所「スペイン・ネタ」という、一般の日本人にとってのものめずらしさだけで、いろんな人から読んでもらっているのではないか、と恐れざるを得ません。
それでも何とか、いろんな立場にある多くの教養ある人々から知恵を拝借し、様々なことを学ばせてもらって、少しでも向上したいと思っております。
ただ、そのような「分厚さ」を感じさせる人が必ず「本当のこと」を語っているのか、という点になりますと、少々疑問を感じざるを得ません。私は自分の本能である「本当のことを知りたい」という欲求に従って動いているだけの、立場も何も無い根無し草ですが、例えば9.11やホロコースト程度の嘘に無条件に引っかかってしまう人ならば、「何だ、こいつの『教養』は要するに嘘をつくための武器なのか」と見抜けます。
「プロのジャーナリスト」にパンチを浴びせる人が、その『教養』をどのように使っているのか、は様々でしょう。確かに『教養』は武器になります。しかし「良い武器」を持っている人が必ずしも「本当のこと」を言っているわけでも無いと思います。ただそれを正確に見抜くためにも、やはり読む側の教養の程度が問題となり、これが私の頭の痛いところです。
例えばこれらの事件の「証拠」などは巨大な権力があればいくらでも作り上げることができ、嘘も百万回繰り返せば本当になる、後は『教養』を多く身に着けた者がその嘘を練り固めて「確固たる真実」に作り変えればよいわけで、私はそのような人間の『強盗の武器としての教養』は素知らぬ顔で積極的に盗み取り、自分が使える武器に作り変えようと心がけています。
それが、今の私の居場所でできる、少年時の不勉強を少しでもカバーできる精一杯の方法だと考えています。
おかしなものを見ておかしいと思うことは、眼の澄んだ人ならばできることですが、それから次に本当のことを知ろうとすると、やはり最小限の教養はどうしても必要でしょう。若い時間を無為に過ごし副島氏よりも多少年齢を食ってしまった私が、死ぬまでにどれほどのことができるか分かりませんが、やはり学び続けるしかないようです。
取り留めの無いレスになって申し訳ありません。