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(回答先: 戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石(毛沢東の直筆手紙 天皇制なくせぬ)【加藤哲郎(一橋大学)】 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 09 日 20:03:40)
画像関係はリンクのみ、下記サイトを参照願います。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
1942年6月米国「日本プラン」と象徴天皇制
加藤哲郎(一橋大学・政治学)
● 11月8日発売の雑誌『世界』12月号に掲載される「新史料発見 1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」が、「天皇を『平和の象徴』に 米国機密文書で判明」という見出しで、『東京新聞』『日経新聞』『京都新聞』等に掲載されました。そこで、その原資料の一部である、私がこの夏見つけた「OSSドノヴァン長官文書」(米国国立公文書館所蔵RG226、1990年マイクロ化)マイクロフィルムReel 62 中の機密公文書、1942年6月3日付米国陸軍省軍事情報局心理作戦部「日本プラン(最終草稿)」全32頁のダイジェスト版3頁写真版及び重要関連資料をアップ。
● 太平洋戦争開戦半年後、ミッドウェー海戦時にマッカーサー将軍も読んだ機密文書で、ちょっと読みにくいですが、2頁目の(d)項に、「日本の天皇を(慎重に、名前を挙げずに)、平和のシンボルとして利用すること[To use the Japanese Emperor (with caution and not by name) as a peace symbol]」とあります。「象徴」という表現よりも、「利用」のニュアンスに注目してください。
● ただし、『東京新聞』等新聞記事には「2001年に解禁されたOSS史料の中から発見」とありますが、正確には「全面解禁」で、当サイト9/15版トップで紹介したように、OSS史料全体は段階的に公開されてきており(ローレンス・マクドナルド「アメリカ国立公文書館のOSS史料ガイド」『インテリジェンス』創刊号、2002)、「日本プラン(最終草稿)」の入っている「ドノヴァン長官文書」自体は1990年に公開され、132リール・175000頁の大部のマイクロフィルムなため、日本の研究者が誰も見ていなかっただけのものです。
● なお、これを解読した『世界』12月号論文134頁で、「天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である[The Emperor is the representative of the nation and the symbol of its unity]」と明記した新渡戸稲造の英文著書『日本――その問題と発展の諸局面』の刊行年を「1930年」と書きましたが、原書はInazo NITOBE,JAPAN: Some phases of her Problems and Development, Ernst Benn Limited, London,1931, p.171で、正しくは「1931年」でした。ついでに訂正しておきます。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan1.JPG
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan2.JPG
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan3.JPG
より興味のある読者のために、
〔付1)1942年6月3日付け陸軍省心理作戦課長ソルバート大佐の序文
http://homepage3.nifty.com/katote/JPSolbert.JPG
(付2)1942年6月3日付け陸軍省心理作戦課長ソルバート大佐のCOIドノヴァン大佐宛手紙
http://homepage3.nifty.com/katote/JPSolDon.JPG
〔付3)「日本プラン(最終草稿)」本文末尾30−31頁の「六 特別の慎重に扱うべき提案」中「天皇」「皇統」の項
http://homepage3.nifty.com/katote/JPEmperor.JPG
(付4)1942年8月5日付けマッカーサー将軍「日本プランについての覚書」
http://homepage3.nifty.com/katote/JPMaC1.JPG
http://homepage3.nifty.com/katote/JPMac2.JPG