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(回答先: 党派闘争とて殺人は許されません 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 9 月 26 日 00:17:44)
竹中半兵衛さん。おはようございます。
「重力ある記憶」を感じ入りました。
70年代から、はるかにおらなんか逃亡しているのですが
竹中さんは逃げていないと
読ませていただきました。
美しい文章であると思いました。
70年代は沈黙せざるをえない重力があり、押し潰されてしまうのですが
「語れ、語れ、貧しき唇から・・・」という
韓国詩人・金芝河「民衆の声」を思い出しました。
重力があるから人間身体は地球上に生存できるのであり
その重力とは記憶でもあるのかもしれません。
過去を忘却する人間とは忘我であり、あざやかに軽く疾走する日本世間様の
忘我状況の動物へと堕落したおらですけんど
「人間として」を感じ入りました。
第2次世界大戦の敗北から日本は戦争体制国民総動員に対して
個人として否と言える、近代的主体と近代的自我の確立をめざして
出発したと思います。
その近代的主体と近代的自我の破産から、現在現出しておりますのが
「忘我」携帯電話社会という絶対的電磁波ウィルス社会です。
このコントロールされました21世紀よりも
おらは激烈な党派闘争があった時代の方が健全であり、個人が存在していたと
思います。
竹中さんの文章に70年代の陽光の街を感じました。
おらが東京に行ったのは73年1月でした。
品川・戸越公園駅、
旗の台駅、日曜日でした、たしか3月。
春の陽光のなか東急電車が入ってきました。まぶしかったです。
まぶしい若者たち、おらがつきあっていたのは中小企業で働く人々でした。
誰もが恋にも生き方にも真剣でした。
あの頃はアメリカ帝国主義への反米闘争と日本のレジスタンス運動が
ありましたので、日本も健全でありました。
「街は病気だね」というかぐや姫の歌もありましたが・・・
文学でも「末期の思想」と人類文明への終末感という危機感がありました。
21世紀日本は、完璧に植民地化され
「忘我」の世間様になってしまいました。
近代的主体も近代的自我もすでに忘却です。
「近代的主体と近代的自我」は敗戦後、抵抗の左翼勢力が担ってまいりました。
敗戦後日本支配層とは自民党にみられるごとく、植民地傀儡思想です。
近代個人思想が日本に根付くことを、支配層は断固阻止してまいりました。
近代的個人主体とは、植民地状態からの独立を希求します。
ゆえに近代思想の担い手である左翼は日米安保に反対し反安保大衆運動を
組織してまいりました。
70年安保闘争は日本が植民地から脱却できる最後の希望でありましたが
敗北させられてしまいました。
アメリカ帝国と日本植民地の支配層は抵抗勢力の壊滅に全力をあげました。
心理を萎縮させ、傷つける方法です。
「ゲバルト党派闘争と指導者暗殺」
抵抗勢力の内面を壊滅する方法です。
アメリカ帝国の植民地政策への抵抗運動とそのシンパシーに
幻滅ウィルスを外部注入する方法であります。
アメリカ帝国でCIAに就職するのは、インテリジュンスの最高峰として
ステータスがあります。インテリ・エリートこそがCIAに入っていきます。
日本の60年安保闘争と70年安保闘争を怜悧に分析・解析したCIA。
アメリカ大使館にも在日米軍にも情報部隊と起動工作部隊あり。
CIAと謀略部隊は反安保闘争を壊滅するべく、工作起動しましたのが
1975年からの謀略であります。
現在、在日米軍基地は安泰であります。
日本本土では反基地闘争も反米闘争もありません。
そして誰もが日本が植民地であるとは思っておりません。
米軍基地はみごとに日本の自然に溶け込んでおります。
横浜でもわざと上空から弾薬を落としました。
猛暑の7月でありました。
米軍の家来である日本警察機動隊が弾薬を探しておりました。
それを指示する米軍兵・・・
反米反基地闘争が日本本土で皆無となった現在
米軍はわざと事故をおこし、植民地世間様の反応を見ております。
不断に植民地住民の意識調査をする必要があります。
その有効な手段こそ米軍機による事故であります。
在日米軍とは日本を植民地として永遠に固定化するための
謀略部隊であります。戦争とは機略と謀略であり陰謀によって勝利するのは
古代からの鉄則であります。
日本の反米反基地抵抗勢力の復権は、反近代主義思想ではないかと思っております。
楠正成を規範とした悪党の出現であると思っております。
竹中半兵衛さんの文章に返信しようと思いまして
いろいろ書きました。
ありがとうございました。