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(回答先: シャミーリ・バサーエフ人物情報【チェチェン総合情報/BBC】 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 9 月 18 日 17:59:41)
ボリス・アブラーモビッチ・ベレゾフスキー
>この時期にロシアの政商ベレゾフスキーと手を結び、資金援助を受ける。
手っ取り早く言えばユダヤ人勢力からの資金援助。
>一定の軍事的資質を持ち、チェチェンの戦局を左右する人物と推察されるが、
>バサーエフの行動はチェチェンにとって裏目に出ることが多い。
そりゃー、そうだろう。
>常にロシアを利用しようとし、結果としてロシアに利用されているのがバサーエフではないだろうか。
「ユダヤマネーを利用しようとし、結果としてユダヤ勢力に利用されているのがバサーエフだ。」
とはっきり言って欲しいものだが言えないんでしょうね、BBCは。
http://www.russigator.ru/people/bere.html
エリツィン時代ロシアを実質的に支配していた政界の黒幕。
元下院議員。
Profile
1946年1月23日モスクワ生まれのユダヤ系ロシア人。
モスクワ林業技術大学卒。応用数学博士。
1989年に自動車販売会社ロゴバスを設立。
その後大手石油会社シブネフチを買収。
プーチン氏が大統領に就任するまで、マスコミに対する影響力は絶大だった。国営放送ロシア公共テレビ(ORT)民放TV6、ロシアの日経と呼ばれるコメルサント紙、独立新聞、週刊誌アガニョク、ヴラスティなどを自由自在に操り、思いのままに世論を形成していた。
金融部門ではアフトバス銀行、統一銀行を傘下におさめ、航空最大手アエロフロートにも多大な影響を与えている。
96年の大統領選挙ではマスコミを総動員し、エリツィンを再選させた。その報酬として政界への進出を果たす。
96年10月より、安保会議副議長。
98年4月よりCIS執行書記。
98年9月にプリマコフが首相に就任すると、一時期影響力が衰える。汚職を追及され、99年3月にCIS執行書記を解任された。
しかしプリマコフが失脚し、99年の下院戦挙が近づくにつれ次第に権力を回復。選挙のわずか数ヶ月前、ベレゾフスキーの資金で親クレムリン政党「統一」、後に議員グループ「人民代議士」組織された。
12月の下院戦挙前、ORTを使い「統一」を強力に後押しした結果、同党は大勝利を収める。比例区では第1党共産党に僅差の2位。
ベレゾフスキー自身もカラチャイ・チェルケスの小選挙区から出馬し、議員となった。
2000年3月に実施された大統領選挙では、プーチン大統領代行を支持。プーチンは2位のジュガーノフ共産党委員長に大差をつけ圧勝した。
しかし、ここからベレゾフスキーの転落が始まる。国民、上院、下院からの支持を得たプーチン大統領は、新興財閥を政界から追放する方針を決め、実行。
エリツィン時代権勢を極めたベレゾフスキーは、大統領への批判を強め孤立した。
ベレゾフスキーは同年5月末から度々、「プーチンは独裁の道を進んでいる」との声明を出した。
7月には「ロシアには建設的な野党が必要だ。野党がなければ、中央集権化が始まる。それは権威主義的政権が作られることを意味している」との声明を出し、新党を結成する意向を明らかにした。
ベレゾフスキーは、下院、上院、マスコミ、知識人をまとめ上げ、強力な反プーチン勢力を作ろうとしたが、支持を得られず失敗。下院議員を辞職した。
プーチン大統領を批判した結果、ベレゾフスキーの立場は悪化。
クレムリンの支持で動くロシア最高検察庁は、アエロフロート資金の横領疑惑などでベレゾフスキーへの追及を強めた。
身の危険を感じたベレゾフスキーは国外に脱出。
以後、自称「政治亡命」状態が続いている。
現在も検察庁から逮捕状が出ている。
2001年に入り、保有していたORT株49%を、クレムリンと良好な関係を保っている元政商で現チュクチ州知事のアブラモビッチに売却。ロシア国内における最大の基盤を失った。