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(回答先: 仏南部でバスク独立派指導者ら拘束=スペイン警察 [ロイター] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 04 日 16:20:07)
「ETAトップ」逮捕の奇妙さ「テロ」政治利用の効用
今回逮捕されたのは「ETA(バスク祖国と自由)」ナンバー・ワンでETA政治部トップと「見なされている」ミケル・アルビツ・イリアルテ、通称「ミケル・アンツァ」(43才)と、その内縁の妻で過去多くの「テロ事件」に関わったとされるマリア・ソレダッド・イパラギレ、通称「アンボト」(43才)、その他20名、と発表されています。またこちらの新聞でも南仏の4箇所で多くの武器や現金、爆薬が押収された、と報じられています。
エル・ムンド(10月4日付)
http://www.elmundo.es/elmundo/2004/10/04/espana/1096850469.html
エル・ペリオディコ(10月4日付)
http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=5&idioma=CAS&idnoticia_PK=152838&idseccio_PK=4&h=041004
ところで今回逮捕された「ミケル・アンツァ」なのですが、これまでに起こった数々の「テロ事件」にはまったく関与しておらず、「前歴」としては1985年に起こった2名のETA幹部の脱獄事件を計画・実行したとされている件くらいです。このときには、彼は刑務所内で開かれたコンサートの「音声係」となって、この二人の囚人をスピーカー・ボックスに隠して逃亡させた、という容疑で逮捕されました。その後、公判中に逃亡し、パリで他のETA幹部と一緒に住んでいたのではないか、と、スペイン国家警察科学捜査班によって推定されているようです。刑務所内で誰がどう協力したのか、などの詳しいことは分かっていません。
この「ミケル・アンツァ」を、1993年以来のETAナンバー・ワンと決め付けたのは、大法院判事のバルタサル・ガルソンです。このガルソンはゴンサレス社労党政権に致命傷を与えた「極右テロ組織GAL」事件、1998年のピノシェット告発、2001年からのスペイン内でのアルカイダ組織への捜査などを担当した有名な判事ですが、ETAが起こす「テロ事件」については一貫してこの判事が最高責任者となっています。3.11事件担当のデル・オルモ判事でもそうですが、この国ではこのような大規模犯罪捜査に関しては、大法院(日本の最高裁にあたる)の判事の判断が最高権威を持っており、彼らの「筋書き」は絶対なわけです。
一緒に逮捕された「アンボト」は80年代半ばから、バスク州とマドリッドでの数々の「テロ事件」に関与し、1992年には危うく逮捕を免れてフランスに逃亡し、その後は武力路線を捨てて合法活動に携わっていた、とされています。
新聞によりますと、こまごまと彼らのこの10年間の活動内容について書かれてあるのですが、今まで彼らの居所やスペイン・フランス両国でのETAの活動状況をつかんでいなかったはずも無いでしょう。今回逮捕された「ミケル・アンツァ」は、今年の1月にカタルーニャ左翼共和党(ERC)党首カロッ・ルビラがETA幹部と南仏ペルピニャン(16世紀まではカタルーニャの一部だった場所)で秘密会談を行った際に同席したと報じられていますが、この秘密会談は日刊紙ABCによって総選挙の選挙戦前半に明らかにされました。そしてその新聞の編集長の兄弟が中央情報局の関係者で、情報局からのリークであったことは明らかです。つまり、彼らの動きの情報は逐一収集されていたはずであり、フランスとスペインの情報局がスパイを使ってコントロールしていることは言うまでも無いでしょう。
「ETA最高幹部」は政治部、軍事部、兵站(調達)部の3つに分かれている、とされ、今まで多くの逮捕者を出してきました。例えば軍事部のトップ通称「チャポテ」は2001年2月に、その後継者オララ・グリディとアイノア・ムジカは2002年の9月、さらにその後継者「モブツ」が今年の4月にそれぞれ逮捕。また兵站部のアシエル・オイアルサバルは2001年の9月に逮捕されています。政治部の「ミケル・アンツァ」だけはずっと逮捕を免れてきました。なお現在の兵站部のトップは「アイトナ」と呼ばれる男ですが、彼はフランスで何度も微罪で逮捕され釈放を繰り返しています。
当然ですが、担当判事の筋書きを元に、その逮捕をいかに政治的に利用するか、の、そのときの政権担当者の政治判断によって捜査・逮捕が決められます。「テロ」の政治利用はこの国では昔から行われているわけで、例えば第1次アスナール国民党政権の時期1997年7月10日に、バスクの国民党幹部ミケランヘロ・ブランコがETAに誘拐され、その命と逮捕されているETAメンバーの釈放とを交換する、という条件がETAから出されました。アスナールは断固としてこれを拒否し、ブランコは2日後の12日に死体で発見されました。こうして「テロに屈しないかっこいい首相」としてアスナールが一気に男を上げ、これが2000年の総選挙で国民党の単独過半数を確保する一つの要因になったわけです。しかし、一方でETAは同じ目的で誘拐したオルテガ・ララを1年半ほども辛抱強く生かしておき、ブランコ事件の直前の7月1日になってララはETAの隠れ家から「発見された」のです。落ち着いてその流れを見ていると、ETAにもぐりこんでいる情報局員や、彼らを操って政治利用をたくらむ勢力の様子が見えてくるわけです。
今年の9月になってから、いきなり3.11事件に関してETAと「イスラム・テロ」を結びつけようとする奇妙な動きが出ています。恐らく国民党の筋に操られている「密告屋」ゾウヒエルがこれに関して3.11調査委員会の証人喚問で「爆弾発言」をする可能性もあります。これは3.11での「責任逃れ」をたくらむ国民党が主に進めている策動と思われますが、政権党の社会労働者党にしても「テロは怖いぞ」キャンペーンを一気に盛り上げ、欧州各国との警察力の連携を強め、ついでに「分離独立」の方向を捨てないカタルーニャやバスクの政府をけん制するためにも上手に利用したいところでしょう。このような流れの中での今回の「ETAトップ」逮捕です。