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(回答先: 小さな靴の悲しい列、壁・窓に射殺痕跡 ロシア学校占拠 (asahi.com) 投稿者 彗星 日時 2004 年 9 月 06 日 10:32:42)
学校占拠・現場ルポ
入学祝う文字に弾痕
理科実験室だったという校舎の部分は跡形もなくなっていた。まさに戦場を思わせる惨状だった=5日午前
【ベスラン(ロシア・北オセチア共和国)=中島健二】講堂に残る入学・進級「おめでとう」の文字、血痕がまだ生々しい教室には死臭が漂っていた−。ロシアの学校占拠事件で激烈な戦闘の舞台となった北オセチア共和国ベスランの第一小・中等学校で五日、警備の制限が解かれ、市民や報道陣が中へ入ることを許された。そこで見たのは、子どもにとっての最初の門出が一転して、地獄絵となった幼子の墓場だ。
事件が起きた一日は晴れの入学式。校舎の奥の講堂のステージに「ス・プラーズニカム(おめでとう)」の文字が張り付けられていた。そこにも大量の弾痕。教室には、入学や新学年を祝う飾りや花束が床に放り出されたままになっていた。
その中を一人の少年がさまよっていた。「一年生になったばかりの弟が見つからないんだ」
一つの教室には、しぶきのような血痕が無数にあり、わきには血に染まったカーテン。窓際には男物の靴がそろえて置かれていた。治安当局者によると、この部屋で武装集団が人質の成人男性を殺したのだという。漂う死臭はそのためだった。
そして、最大の悲劇の現場となった約千二百人もの人質が閉じこめられていた体育館。中は思っていたより狭く「暑さで気が狂いそうだった」(人質の児童)当時の惨状をほうふつとさせる。今、そこは屋根が落ち、かろうじて骨組みが残る。大きな窓もすべて破壊されていた。
焼けこげた残骸(ざんがい)に埋め尽くされた床には、子どもがはいていた大小さまざまな靴が散乱。救出に使われた担架も転がっていた。中央には、焼け残ったいすを並べて、市民らが花束やお菓子を供えた。「暑くて、さぞや、のどが渇いていたろうに」と、ペットボトルに入った水とコーラを置く。
中で立ちつくしていた近所の女性(50)は「こんなにひどいなんて」と言ったきり絶句。身内十人が犠牲となった男性(65)も「はらわたが煮えくりかえる。犯人は獣以下だ」。
武装集団が最後まで抵抗したとされる理科実験室があったところは、跡形もない。激しい銃撃の跡は、まさに戦場。なぜ、子どもたちが通う場所が、こうなってしまったのか…。
■死者・不明500人超
【ベスラン=中島健二】北オセチア共和国の学校占拠事件で、同共和国大統領報道官は五日、入院中の元人質の死亡により、死者が三百三十八人になったと発表した。一方で、ロシア議会筋によると五日現在の行方不明者は百九十一人。身元確認が取れない遺体や入院患者が含まれるとみられるが、死者はさらに増えそうだ。
三日の治安部隊突入後、約七百人が収容された共和国内の病院では五日現在、子ども百八十四人を含む計三百八十六人が入院、うち約六十人が重体となっている。また頭部に重傷を負った子ども十二人を含む計十七人をモスクワへ転送した。
ロシアのプーチン大統領は、六、七の両日を国民服喪の日とすることを決めた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20040906/mng_____kok_____006.shtml