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(回答先: イラク:サドル師派「米軍撤退まで戦う」 明け渡しは方便 (毎日新聞) 投稿者 彗星 日時 2004 年 8 月 21 日 17:36:46)
ここまで、あからさまな暴虐にも関わらず、なぜに、見殺しに加担するのだろうか。
国連は、いったい、何のためにあるのだろう。
世界のメディアは、何をつたえているのだろう。
事実をみて、知って、そこで終わっているのはなぜなのだろう。
これほどにまで、人々は平和が嫌いではないというのに、なぜ、殺戮がつづくのだろう。
朝日新聞(8/21、私の視点)を引用するが、もしかして、これは、闘牛場の観客に甘んじる人間が最多ということなのだろうか。観光産業としての闘牛、そして、その残酷さを牛の処刑の過程をたっぷりと楽しむ観客が、確かに、実在するということなのだ。
要は、自分の生活が安泰なら、他人の犠牲はいとわないということだろう。
下記一部引用。
「 ・・・牛はのんびりとした草食動物で、食べ物を得るために狩りをすることもない。何かを追いまわしたり、攻撃するように{創造}されたりしてはいない。
そのため、闘牛で牛を怒らせるため、闘牛場に追い込む前にわざと負傷させる。みなさんは、闘牛場がなぜ円形なのか考えたことはあるだろうか? もし正方形ならば、雄牛はこの血生臭いゲームに加わることを望まず、隅に隠れてしまう。円形にすることによって、雄牛が隠れる場所を完全に奪っているのだ。
雄牛の目にワセリンを塗りつけることもある。視界を濁らせ、混乱させるためだ。周囲で何が起きているのかわからないまま、雄牛は隠れる場所が全く無い場所へ引き出さえれ、ゆっくりと殺されていく。すべては人間の娯楽のためだけに。
闘牛士が勝利を祝って耳をや尾を切り取る時、まだ生きていることもある。一体何のための勝利だろうか。生きたままの動物が苦しめられ、公開処刑される姿を楽しむ。良識ある人たちがそんなことできるとは思えない。」
良識ある人たちがそんなことできるとは思いたくないが、現に、闘牛は延々とつづけられている。反闘牛市民団体の会員のアンジェラ・ラファルトさんらがいくら反対運動をしようが、バルセロナの産業は闘牛を観光コースに組み入れている。需要と供給の要請がなかったなら、こんな身の毛もよだつ観光産業が成り立つはずが無い。
パレスチナで、イラクで、まさに、この光景がダブって見えてくる。