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(回答先: 文芸春秋9月号の、「橋田信介さん殺害事件」についての二つの文章について。私の疑問等。 投稿者 新世紀人 日時 2004 年 8 月 16 日 15:51:12)
故橋田信介氏夫人の文章の終わり近くに重要と思われるところがありますので、一部を転記いたします。
一方で、橋田と功太郎、そして通訳のムハマドの死によって、救われた人たちも大勢いると私は考えている。昨年から橋田が言っていたのは、「今年の五月か六月、まず日本人ジャーナリストが殺される。自衛隊宿営地を攻撃するにはそれなりの準備が必要だから、それはもっと後になる」ということだった。
しかし、橋田が死に、サレハ少年の物語がイラク全土に広まったことから、イラクの武装グループの間で、日本人や自衛隊宿営地に対する襲撃計画は、見合わされているとのことだ。政府や世間に頼らなかった橋田の死が、日本人の安全を発揮しているのだ。
だからといって、イラクの日本人、自衛隊がいつまでも安全であるとは言えない。自衛隊がイラクに駐留しているかぎり、日本人は武装グループのターゲットでありつづける。自衛隊派遣を決めたのは政府であって私たちではないという言い訳は通用しない。
日本の政府が民主的な方法で選ばれた人たちによって作られている以上、その「罪と罰」は日本国民一人一人が引き受けなければならないのである。 後略
私が不思議に思うのは、橋田さんの昨年からの発言である。
ジャーナリストの殺害を、どうして予測出来たのだろうか? まさか、自分がそうなるだろうとは、何処まで予測していただろうか。予測を生み出した情報は何だったのだろうか? 誰に殺されると(ジャーナリストが)考えていたのであろうか。
私が疑問に思うのは、人質になった四人が殺されずに、丁重に解放されたのに、それを橋田さんは知っていたのに、何故?このような予測をたてたのだろうか。彼の「勘?」に私は驚くのである。 ??なのだ。何か引っかかるのだ。単に事故的な死までも予測し得るものだろうか。
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