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(回答先: 『徹底暴露!! イラク侵略のホンネと嘘』『スキャンダル大戦争』8号刊行!!鹿砦社通信 8月6日号 投稿者 なるほど 日時 2004 年 8 月 12 日 17:00:02)
大手書籍取次会社による
『もうひとつの反戦読本』シリーズへの
露骨な配本妨害を糾弾する!
鹿砦社から出版された『もうひとつの反戦読本』(2004年2月刊)と、『もうひとつの反戦読2:徹底暴露!! イラク侵略のホンネと嘘』(同8月刊)は、日本を代 表する2大書籍取次会社か極端な配本数の制限を言い渡され、配本妨害を受け続けている。
これは「出版の自由」を破壊する自殺行為に等しく、日本の書籍流通において支配的な地位を占める企業としてはあるまじき行為であるから、私はこれらの本の編著者として2社の横暴に強く抗議し、これら取次会社が「出版の自由」を守るために深く反省して公明正大な出版流通業務に努めることを、要請する次第である。『もうひとつの反戦読本』の刊行時には、同書の最も重要な記事(イラク駐在外交官“殺害事件”の謎)に関する巻頭グラビアが「死体写真が出ているので書店に置きづらい」という屁理屈を付けられて、トーハンでは2000部の委託配本を申し込んだのに対して800部のみ、日販に至っては800部の申し込みに対して何と130部しか引き受けず、その結果、事実上の配布拒否をくらった。
2大取次会社が難癖をつけた「死体写真」とは、日本のマスコミが黙殺した2外交官(奥克彦・在英国大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館三等書記官[いずれも肩書きは死亡当時])がイラクで殺害されたのち、収容先の病院で報道機関に公開された御遺体を写したものであった。奥氏と井ノ上氏の殺害状況はいまだに(日本で55年前に起きた「下山事件」のように)不審点が多く、イラク駐留米軍による誤射だった疑惑も依然として否定できないのである。御遺体にはひどい損傷は見られないが、弾痕や切り傷のような跡が残されており、殺害状況の謎を解明する上で重要な画
像資料である。この遺体写真を敢えて掲載し、公表するに至った必要性と社会的意義については、同書のグラビアページと記事のなかで十分に説明してある。断じて“興味本位”で公表したものではないし、そうした意図も全くないことは、グラビアと記事を読めば誰でも理解できるはずである。……ところがトーハンと日販の担当者は、おそらく記事を読むこともせず(もし読んで配本の実質的な拒否を決めたのなら担当者の読解力不足は致命的である!)、「死体写真」に対する自分勝手な偏見を押しつけて、同書を事実上の門前払いにしたのだった。
そして今回も、トーハンと日販は『もうひとつの反戦読本2』に対して、きわめて不当な配本数制限を行なった。「巻頭グラビアの死体写真を多数掲載している」と言いがかりをつけて、トーハンは900部、日販に至ってはわずか100部しか配本を引き受けなかったのだ。この第2弾の巻頭グラビアは、日本ではすっかり「アラブの野蛮なテロリストのしわざ」だと信じられているアメリカ人“人質”への「首狩り処刑」の映像トリックや、奥氏と井ノ上氏の御遺体の写真をめぐって外務省など日本政府が行なった報道妨害の顛末を紹介している。だが巻頭グラビアに載せた遺体写真は、前回
同様の日本人外交のものと、トリックの疑いが強いアメリカ人“人質”らしき人物の「首」の(ビデオからキャプチャーした)不鮮明なあいまい画像と、この不審な殺人事件と酷似した55年前の「下山事件」の事故現場の写真だけである。そのうち「死体写真」と一見して分かり、なおかつ本物の遺体と言えるものは日本人外交官の死亡直後の写真だけなのだ。(「下山事件」の写真は遺体でなく事件現場の写真だし、アメリカ人“人質”の首はフェイク映像の疑いが強い。) これらの分別は、グラビアの解説文や本文記事を読めば理解できるはずなのだが、ここでもトーハンと日販は、短絡的な臆断で「死体写真がたくさんある」と決めつけて、同書を流通から排除しようとした。『もうひとつの反戦読本2』の特集テーマは「インチキ映像や偽情報にだまされるな!」であるが、皮肉にも出版流通の根幹を担当する大手企業の担当者が、そうしたトリックにすっかりだまされて、理性の抜け落ちたヒステリックな反応で、貴重な考察材料を市場からパージしたわけである。こうした“冷静なる知性”の放棄こそ、日本を泥沼の戦争と、その当然の帰結としての敗戦に追い込んだ元凶であり、出版関係者が特に反省すべき問題だったはずなのに……。
トーハンと日販は、日本の出版流通の8割を占めている巨大寡占企業である。法人格上は民間企業だけれども、寡占企業の常として、日本の出版流通においては準国家機関とも呼べるほどの公共的な性格を持つに至っている。これほどの寡占企業になったのは、先の大戦時に組織された国策統制企業「日本出版配給会社」から改組発展してきたという歴史的事情が大きく働いている。
戦後60年近くも経つのに、今もなお戦時統制経済下のような超巨大寡占企業が日本の書籍流通を支配している現状がある。しかしそうした状況が続いてきたのには、それ相応の理由があるのだろうから、私としては、この寡占状況を、寡占ゆえに非難することはできないと思っている。けれども出版流通を事実上支配している現状にあぐらをかいて、僭越にも出版社やその書籍、小売店に差別的な対応を行なっている状況については、怒りを感じざるを得ない。
トーハンも日販も法人格上は「民間企業」であるが、書籍流通体制のなかで実質的に果たしている政治・経済的な機能は「準国家機関」と呼ぶにふさわしく、決定的な影響力を行使している。したがって、これらの巨大取次会社が検閲を行なった場合には、公権力による検閲に準じるものとなり、憲法に抵触する可能性さえあるだろう。
トーハンや日販は、検閲を行なう思想警察ではないはずだ。民主主義国家であるはずの日本において「出版の自由」を防衛し、自由で公正な書籍流通を実現することが最大の務めであるはずだ。憲政の危機と、言論出版の危機と、書籍文化の危機が日々増しているこの国において、トーハンも日販も自らの使命をあらためて熟考し、卑劣な出版流通妨害を自ら行なうことのないよう、心していただきたい。
2004年8月6日
『もうひとつの反戦読本』シリーズ編著者
佐藤雅彦
http://www.rokusaisha.com/0test/tushin/tushin2004/tushin20040806b.html
http://www.rokusaisha.com/0test/akuseku.html