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(回答先: 米軍の脅威に侵された戦後審判は誤りである! 投稿者 ごるごるもあ 日時 2004 年 8 月 15 日 19:47:37)
天皇陛下は国民の規律を維持する上で重要な役割を果たしていましたが、同時にそれは反逆者を根絶やしにする恐るべき殺戮部隊を形成していたのです。
ここにその生き証言を載せておきます。
本当の沖縄戦
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皆さん、五十八年前の太平洋戦争・沖縄戦は、どういうことが起こったかご存知だと思います。
日本の軍隊は、沖縄を守るのではなくて本土を守るために来たのです。
その沖縄に行く前に、軍の下士官級から、諸君が沖縄に言った場合には、沖縄の人々が沖縄語を使ったり少しでも怪しいなと思ったら、容赦なく殺害せよ。足手まといになった場合にも、容赦なく撃ち殺しても良い。そういう命令が下ったんです。沖縄は日本でありながら、なぜこのような命令を軍は下したのでしょうか。それは本土を守るために沖縄が利用されたわけです。十五万という兵力を誇ったんですけれども、徹底的に沖縄で敵を食い止めよ、日本本土の被害を少なくするためには、沖縄で徹底的に戦え、ということで沖縄県民が沖縄で沖縄語を話すとスパイということで、何でもない人を殺害する、沖縄のまだ未成年の女子を強姦する。
そういう悲劇が沖縄で起こりました。
新聞やテレビ、映画では本当の沖縄戦は出ません。本当の沖縄戦が出た場合には、文部省から国から全部ストップが入ります。
今や沖縄から本土まで、沖縄戦の映画「月桃の花」「まぶい」や「姫ゆり」の映画がありますけれど、あれは本当の沖縄戦ではありません。日本のファシズムがプロパガンダ用に美化したものです。
今日は、本当に沖縄戦であったことをここでお話しますので、よく聞いてください。
一九四四年(昭和一九年)に、日本から10万という兵力が来ました。沖縄県民は皆決起し、年寄りから子供まで、この戦争は日本が絶対に勝つ、もし負けたら鬼畜米兵にやりたい放題にされる、我々は日本の軍隊に協力しよう。
だから女も子供も全部総力動員で、みんな軍隊に協力しました。男は道路や飛行場建設、女は炊事、洗濯、あらゆる物を総動員で、一生懸命協力したんです。それから一九四四年(昭和一九年)の一〇月一〇日、いよいよ沖縄にも第一波の空襲があったんです。グラマンが一四〇〇機、沖縄の空を埋め尽くして、那覇から首里まであっという間に焼き尽くされたんです。その時に日本の軍隊は、敵の飛行機に向かって両手を挙げて、みんな万歳万歳と喜んでいるんです。何故かというと日本軍は情報もなく、パニックになって米軍のグラマンが日本の飛行機だと思って、味方だと思って喜んでるんです。
それがあっという間に那覇から首里、あらゆるところが全部破壊されたんです。それで慌てて兵隊達は逃げ惑う、市民なんか構ってられない。これはなんだということで沖縄県民は、軍の協力どころではない。我々の防空壕を探そうと、軍の協力を他所に、防空壕を探して入って行ったんです。そうしたときに日本の兵隊達が、我々の防空壕へ来て、男の人を引きずり出して殴る蹴るの暴行を働いていたんです。「なぜ、お前達は軍に協力せんのか。我々は沖縄を守りに来たのだ。だから協力せよ。」「お前達が生きようが死のうが関係ない。突撃せよ」それを聞いた沖縄県民は唖然となって、こいつ等は沖縄を守りに来たのか、我々を守りに来たのか、一体どうなんだと。
一九四五年(昭和二〇年)の三月末、米軍は沖縄に総上陸を行いました。
約一四〇〇隻の駆逐艦、護衛艦、輸送艦、あらゆる軍事力が沖縄の海に集まったんです。爆弾や艦砲射撃、それらは「鉄の暴風」と恐れられているようにまったくの雨のような状況だったんです。
みなさん、ここで日本の兵隊はどういう行動をしたでしょうか。その時、日本の軍隊は、沖縄県民を守らず、山へ山へと退避する。米軍は五四万人日本軍はたったの一〇万人、さらに日本の兵隊は食糧が無い。何も食べるものがない。米軍は食料満タン。とうてい勝ち目はありません。それから日本軍は自暴自棄ということで、沖縄県民の防空壕の中に入ってきて、食料は奪うは暴行する。そういうことを沖縄は受けたんです。
さらに米軍は、慶良間列島にも猛攻撃を加えました。なぜ、何の変哲もないこの小さな島に猛攻撃を加えたかというと、ここには日本軍の特攻隊の基地があったからです。ベニアの船に大きな魚雷を積んで米艦隊へ突っ込んで体当たりする。神風特攻隊と同じ海風特攻隊ですな。
そういった特攻隊の基地があったんで、米軍は猛攻撃を加え上陸したんです。
その時にも同じように沖縄県民を防空壕から追い出す、暴行する。殴る蹴るの残酷なことを行ったんです。
それで八重山の住民達が、これは大変だと、我々を守ってくれる日本の兵隊が、今や我々に暴行し、殺害するようになっていると。
このときの慶良間列島、座間味島・赤島の防空壕に避難しているのは女の人やお年寄り、子供ばかりです。若い人は女の人まで兵隊に連れて行かれておらんのです。
一九四五年五月二六日、もう食料も底を尽きて、あるのは水だけです。それで堪り兼ねて防空壕から出て、山の中に入って木の皮を剥いてきて、その皮を突付いてその汁を飲む。中には畑に入って芋のツルを取ってきて、火は炊けないから生でそのツルを齧って食べる。そういう方法で生き延びてきたんです。子供達は毎日お腹を空かせて泣いている。朝起きても、お母さんお腹空いた、お母さんお芋ちょうだい。お母さん喉か沸いた。明けても暮れてもお腹空いたと泣いて、お母さんも何も食べてないからもう声も出ません。そうしたときに兵隊が防空壕の中へ入ってきたんです、みんなに鉄砲を向けて、「こらっ、あんまり子供を泣かすな、子供を泣かしたら敵に気づかれて、集中砲撃されたら、ここにいるわれわれもみんな死んでしまう。絶対に子供を泣かすな」「もし子供を泣かしたら後はどうなるか解っているだろう」そういう具合に沖縄のお母さん達に鉄砲を向けて、暴言を吐いている。沖縄も同じ日本でありながら、こういう野蛮な扱いを受けているんです。その時は、兵隊四〜五名は帰って行きました。お母さん達もやれやれと思った。それから三日ほどたったら十五名くらいの日本の軍隊が、その野蛮な軍隊が我々の防空壕へ入ってきたんです。その時には箱の中に注射器と毒液が入っていたんです。箱の中いっぱいに入れて抱えて持ってきたんです。とうとう、兵隊達は少しでも生き延びようと、すべての防空壕を回って、子供達を殺して回っていたんです。
兵隊達はお母さん達を見て、今日はこの子達を泣かさないように、静かに寝かせてあげるから、みんなも覚悟しなさい。それを聞いたお母さん達は「この箱は何ですか」、そうすると兵隊は「静かに眠らせられる薬だ」それを聞いてお母さん達は仰天し、もう兵隊さんとは言わない「兵隊、お前らはそれでも人間か、それでも軍隊か、お前達は獣だ、この子供達が何をしたのだ、何の罪もないこの子供達を、天皇陛下の命令で殺すのか!」。
兵隊は「そうだ。打つ。」それを聞いてお母さん達は、みな兵隊ここを出て行け!ここは我々のものだ、お前らは本土へ帰れ。お前達は人間ではない悪魔だ。殺すならお前が先に死ねと食って掛かった。その時に兵隊達はみな立ち上がって、無理やりお母さん達の子供を奪い取って、親の目の前で八名のまだ小学生だった子供達が尊い命を奪われたんです。お母さんはパニックになって大泣きして、変わり果てた子供を抱いて、その様子を唖然と見ていた人々も口々に「獣だ」「悪魔だ」「日本軍が沖縄に来なければこんなことにはならなかった。」「米軍が沖縄へ上陸したのも日本軍のせいだ」「沖縄を守りに来たというのは大嘘だ」「しかもこんな子供達まで殺すとは」と。これを聞いた兵隊達は怒りだして、そこに居たお母さん達にも鉄砲を向けて、次々と5名のお母さん達の頭を打ち抜いて殺したんです。これが本当の沖縄戦です。皆さんはテレビや映画でウソの沖縄戦を見てきたと思いますけれども、そんな生易しいものではなかった。本当の沖縄戦は絶対に日本では認められません。日本では全部否定されます。沖縄戦の映画といっても、戦後復興の中でプロパガンダ用に作られたものなんです。事実は違います。世界中で日本軍は、恐ろしい悪魔としてどこの地域でも、この事実を知らない人は居ません。
http://homepage3.nifty.com/darkelf/murders.htm