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沖縄・宮森小学校ジェット機墜落事件1959/6/30当時の宮森小学校4年1組の担任・新里律子先生のお話
http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/1049.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 8 月 24 日 13:50:59:HcDLIonJaW4jM
 

★「シンさんの辺野古日記」 http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/index.cgi?y=2004&m=8 2004,8,21より。
・・・では、本題に入ります。1959年6月30日、私は宮森小学校で4年1組の担任をしておりました。いつものように、平和なのどかな朝が始まり、平和な学園生活で、みんなも嬉々として一日を迎えていました。当時わたくしは29才。結婚したてで、お腹の中には6カ月の赤ちゃんを身ごもっておりました。(中略)ちょうど10時20分頃だったんです。どっかーん。すごい音が教室中を揺らせました。
 なんだろう。子どもたちは、席を蹴って、ミルクをこぼして私の教壇の前に集まりました。ひょっと、西側の入り口の屋根の上を見ますと、真っ黒い物体が屋根の一角にぶら下がっております。私はとっさに、これは、不発弾だなと思いました。あれが落ちたら教室はこっぱ微塵だ。子供を避難させなくてはいけない。とっさに思いました。(中略)先頭の子供たちは、順序良く出口から出ていきました。わたくしは最後に教室の全体を見回して、1人の子供も残っていないかなと思って、最後に教室から出ていきました。
 するとどうでしょう、わたくしの前の、2年生の教室の前から、4、5名の子供が火だるまになって飛び出してきました。髪はぼうぼうと燃えて、洋服がぱちぱちと燃えております。最後にパンツのヒモが……。私はこの状態を見ても消すことができませんでした。パンツのヒモが燃えて、最後に、水道のところでパタッと倒れました。じゅうという煙に混ざった水の音にわたしはびっくりしました。子どもたちは欠けたガラスの上を、火の上を、踏みながら安全な場所へと歩いていきました。
 職員室の前に来ました。まるたんぼうのように、真っ赤に焼けただれた男の子か女の子かわからないような子が、手足だけが丸くなって煙をはいております。2階の方から、当時の教頭先生が、女の子を抱いて降りてらっしゃいます。6年生の女の子、頭のほうが大怪我をしています。到底助からないと素人の目にも映りました。教頭先生が真っ白いワイシャツを真っ赤な血で染めながら、この子を抱いて泣きながら降りてらっしゃいました。
 それでも私は自分のクラスの子供が36名、無事に一箇所に集まってくれましたので、そちらへ行きますと、1人の男の子が、「先生足が痛い。」ミルク当番で、ミルク受けを持った子供が、足が痛いと。見ましたら、運動ズボンの足の下の皮が全部剥げているんです。生皮が剥げて、真っ赤に、血はでてない。「あなたは重油をかぶったんだね。お母さんはお家にいるから、お家に帰ってお母さんと病院に行って頂戴。」
 もう1人の女の子は頭から血がざあざあと流れてきました。この子は、窓側の窓ガラスで頭に怪我を負っていました。髪をあげるとたいした怪我ではありませんでしたので、もっていたハンカチで押さえてあげて、「あなたも怪我はたいしたことはないね、お家にかえりなさいよ。」やっとのことで、それだけを言って、家に帰えしました。
 そして、残りの生徒は全部無事だということが、わたくしは分かりましたので、お腹の子供がちょっと下がり気味でしたので、運動場の一画で座っていました。しばらくしますと、いろんな親たちが子供の名前を呼んで、子どもたちは親の名前を呼んで、地獄絵さながらでした。
 ヘリコプターは空中から飛んできます。後で分かったんですけれども、わたしの教室も、屋根の、煉瓦の屋根がめくり取られておりました。そして、教室をこすって、2階の教室に、機体の一部が、6年の教室に入り込んだのです。担任の先生が、肩を、機体の一部で、肩を打たれて、その瞬間は痛みもなにも気づきませんでした。自分のクラスの子が、機体の下になって、あの、プレハブ教室の、セメントの中に、血だらけになって亡くなりました。
 児童11名、一般の方が6名、17名が亡くなりました。さらに、210名という重軽傷者がいました。
 わたくしたちは職員としての務めをはたすべく、一生懸命頑張りました。1人の女の先生が流産しました。当時の校長先生は、ショックのあまり、病気に倒れました。それから、一番多くの犠牲者を出された女の先生は、教室にいて、自分は助かって、大勢の子供が亡くなったり、怪我をしたり、苦しい気持ちをこらえながら、各遺族の家を回りました。そして、この先生は、戦争の体験で、満州引き揚げ者でいらっしゃいました。主人と2人の息子を満州でなくしました。自分は満人に犯されないように、顔に炭をぬり、縁の下にもぐっては難を逃れてきた。そんなふうな苦しみを越えてきたのに、またこのような悲しみにあうとは。先生は毎日このことで、苦しんでおられました。先生はこの苦しみを胸のなかに秘めながら、去年亡くなりました。自分の体は琉球大学の医学部に献体をなさったと聞いております。
 さて、当時の事故は、思い出すのも悲しいことでございます。遺族の方々は38年を過ぎても、まだ苦しみをこらえております。去年いった、あの、2年生の女の子の、亡くなった女の子の家庭でびっくりしたことがありました。「先生、これ見て下さい。」といって見せてくれたのは、なんと、その子供の1年生の時の皆出席証だったんです。1年の時に病気もせずに、このように健康で1日も欠席しないで学校出てきた子が、2年の6月に帰らぬ人となったのです。家族にとって、年が重なる毎に、悲しみは深まるとおっしゃいます。その間中あちらこちらで、線香の匂いがしました。今日は病院から連れて帰るんだ、この子は助からないんだ、といってあちらこちらで線香の匂いがいたしました。
 直った子供で記憶喪失の子もいます。4年生になっても3年生の時の怪我が、かけ算も全部忘れてしまいました。五十音もわすれました。その前のことは、あなたの受け持ちは誰だったでしょう、といったって思い出せません。記憶は全然ないそうです。それから、その当時は助かったけれども、何年後に体のケロイドのために皮膚ガンで亡くなった方もいます。
 いくら賠償の金を積まれても、いくらお詫びを言われても遺族の気持ちは、変わらないと思います。今沖縄に基地ある限り、絶対の安全と言うことはありません。私たちはそういう悲しみを二度と味わないために、平和な島にして欲しいと思います。どうも有り難うございます。(拍手)
 (全文は、 http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/index.cgi?y=2004&m=8 の2004,8,21に。)
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沖縄ヘリ事故抗議&辺野古基地撤回行動続報
以下転載します。
[appeal2005][00331] ヘリ事故抗議&辺野古基地撤回行動続報 より。
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基地はいらない!女たちの全国ネットの芦澤礼子です。

8月22日(日)12:00〜14:00に新宿西口で行われた「ヘリ墜落抗議」大情宣行動には40人ほどが参加し、エイサーや歌などを交えながら、沖縄の新聞に報道された記事を掲げて訴えました。チラシの受け取りが非常に良く、この事故に対する関心は決して低くないと意を強くしました。 

今後の動きで私が把握しているものは以下の通りです。

8月26日(木)13:00〜14:00
衆議院第2議員会館第1会議室
「沖縄国際大学構内への米軍ヘリ墜落事故に抗議し、普天間基地撤去、日米地位協定の改訂をもとめる緊急国会集会」
※伊波洋一宜野湾市長は残念ながら参加できないようです。。
◆呼びかけ人
衆議院議員 ―― 赤嶺政賢、東門美津子、照屋寛徳、
参議院議員 ―― 大田昌秀、糸数慶子、喜納昌吉 (50音順)

8月27日(金) 午後6時半
「米軍ヘリ墜落抗議 普天間基地返還要求集会」
三河台公園(六本木4-2-27 地下鉄日比谷線・大江戸線 六本木駅徒歩3分) 
(集会後 米大使館経由、日比谷までデモ)
主催:辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会
連絡先:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK/

9月4日(土)18:30〜21:00
「沖縄はもうだまされない!普天間基地即時閉鎖!辺野古の新基地建設を止めるために」
報告:真喜志好一(まきしよしかず)さん
文京シビックセンター4階 シルバーホール
東京メトロ丸の内線・南北線後楽園駅前
都営地下鉄三田線・大江戸線春日駅徒歩3分
参加費:500円

真喜志好一さん(建築家)は、米軍基地の重圧から沖縄が解放される日を目指して、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団をはじめ、さまざまな行動に関わっています。辺野古をめぐる内外の情勢を、パワーポイントを駆使してわかりやすく解説して下さいます。

主催:辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会
連絡先:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック http://www.jca.apc.org/HHK/
------------(転載ここまで)---------(さらに、ほかにも・・・)------------
★東京・毎週抗議 
日時:毎週月曜日(6月14日から開始、毎週続行中)午後6時30分集合
場所:防衛庁正門前  JR総武線「市ヶ谷」駅徒歩7分
主催:辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会 http://www.jca.apc.org/HHK/2004/040614.html
毎日(月〜金)国会前で座り込み続行中。

★沖縄・現地行動 (ほかにも連日あちこちで実行中!)
9月2日(木)13:00〜 沖縄県収用委員会公開審理第6回(沖縄県女性総合センターてぃるる)
9月21日(火)13:10〜 一坪反戦地主裁判(那覇地方裁判所)
9月21日(火)14:00〜16:15 反戦地主裁判(那覇地方裁判所)
10月20日(水)10:00〜 反戦地主裁判(那覇地方裁判所)
11月4日(木)13:00〜 沖縄県収用委員会公開審理第7回(自治会館)

★座り込み等のボーリング調査阻止行動へカンパを http://www.jca.apc.org/HHK/2004/040614.html
≪振込先≫郵便振替:01710−8−53407 加入者名:命を守る会
通信欄に「ボーリング調査阻止行動へのカンパ」と記入して下さい。激励メッセージもお願いします。
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
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マーチン・ルーサー・キング牧師は、次のように語ったこともある:
「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」。

今、たとえ、キチガイと言われようが、声を上げ、叫びまくり、怒りまくり、反戦行動をしなければならない。
大量殺人を平気でやる奴ら、ブッシュ、ブレア、シャロン、コイズミ、etc.…、奴等こそ、正真正銘のキチガイだ!ただちに精神病院に放り込め!くたばれ!
アメリカ軍は、沖縄から、イラクから、世界中から、とっとと、消えうせろ!

♪大合唱曲《返せ沖縄》(全6章)1968年 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kaese.html

その、第四章

 軍用道路に六時間
 佐藤迎える十万の赤旗 (←小泉)
 ”売国奴佐藤帰れ” (←売国奴小泉やめろ)
 ”売国奴佐藤帰れ” (←売国奴小泉やめろ)
 沖縄は日本のもの
 真白な軍用道路一号線
 ベトナムに続くこの道 (←イラクに続く)
 とめる俺達
 ”佐藤帰れ” (←小泉やめろ)
 沖縄を返せ
 打ち砕け戦車
 打ち砕けナパームを
 打ち砕け毒ガスを (←劣化ウラン弾)
 ジェット機を (←軍用ヘリ)
 ”アメリカは出てゆけ!”
 旗を持つこの腕は
 二十七度線で
 共に闘い誓った
 ぬくもりのさめぬ腕
 赤旗高く掲げ
 ムシロ旗上げろ
 九十万の叫びは一つ
 沖縄を我らに返せ

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