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(回答先: Re:真実はどこに・・・ 投稿者 沖縄人 日時 2004 年 8 月 24 日 22:40:51)
私の父は内地で兵役についてましたが、家内の父は同じフィリピンで生き残り組みで、昭和23年に帰国したそうです。
私も結婚して長いのですが、数年前家内の父は家内の母が亡くなった折、葬儀を済ませて皆集まったときに、孫たちに向かって「ちゃんと飯を食え」と言い聞かせていました。
そしてぼつりぽつりと軍隊の話しを始めました。
家内の兄弟が、「とうちゃんがそげな話しすっとは初めてじゃ」と言って、みなで聞き入りました。軍隊の話は生まれて以来みな聞いたことがなかったそうです。
祖父は台湾に里子に出され、そこで応召して本土へ戻り、そこからフィリピンへ向かった。小さな孤島での通信兵だったそうです。弾も食料もない中でジャングルで持久戦をやるため陣地を構築した。地元での食料の調達はしないということでジャングルを開墾して菜園や畑を作って、野菜やタロイモを植えて結構ほかの島の部隊とは違って飢えや地元とのトラブルはなく優雅に暮らせたそうです。地元の人とも仲良くできたそうです(マニラでの日本軍の蛮行は筆舌に尽くせない、そのため日本軍への憎悪は激しかったと聞いています)。結局米軍の進攻はないまま終戦となり、捕虜となったわけですが、みな無事に戻れたそうです。
家内の父はこの「捕虜」であったことを言いたくなかったのではないか、だから戦争の話しをしなかったのではないかと思います。今でも私は帰国までの3年間について聞いてみたりしますが、頑として語りません。
戦闘で死んで行った仲間たちのことを思えば自分が生きていることへの複雑な思いがあるのではないでしょうか。それゆえかどうかは知りませんが、復員してからろくな仕事につけず貧乏神に取り付かれ相当に苦労したようです(捕虜経験者に対してなんらかの差別があったのではないかと思います)。