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(回答先: ヨルダン、もしイラク新政府が要請すれば軍を派遣する、と(エル・ムンド) 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 7 月 03 日 05:02:34)
ヨルダンのハシミテ王家はイラクと深い繋がりがあります。
またイスラエルからパレスチナ人を全てヨルダンに強制移住させ、ヨルダンをパレスチナ人の国にしてしまおう。
と云う計画も囁かれているようです。
田中宇の国際ニュース解説
http://tanakanews.com/
イラク攻撃・イスラエルの大逆転
2002年9月16日 田中 宇
http://tanakanews.com/c0916iraq.htm
------------------------------------ 一部引用 ---------------------------
▼イラクを狙うヨルダン王室
イラク国民会議の7月の会合には、意外な人物が登場した。ヨルダンのハッサン王子である。
ヨルダンはイラクの隣国で、ヨルダン人は、同じアラブ民族であるイラク人に親近感を持っている。ヨルダン人の大半はパレスチナ難民出身なので、アメリカの戦略によってひどい目に遭わされているイラク人の心境は十分理解できる。しかもヨルダンは国内で使う石油のすべてをイラクから輸入しており、その半分は無償、残りの半分は野菜などの商品とのバーター貿易で安く買っている。これらの関係から、ヨルダンはアメリカのイラク攻撃には反対してきた。
だがその一方でヨルダンは親米国で、イスラエルとも和解しており、その見返りにアメリカからかなりの経済援助を受けている。ヨルダン王室のハシミテ家はもともと、中東を植民地支配(信託統治)していたイギリスから、1923年にトランスヨルダン(今のヨルダン)の統治権を与えられ、この国の王室となった歴史があり、王室はイギリスやアメリカには逆らいにくい。ヨルダンの一般国民は反米傾向だが、王室は親米という、ねじれた状態になっている。
そのため、ヨルダン政府はアメリカのイラク攻撃には反対だが、米軍がヨルダンへの駐留増強を求めると断れず、米軍とヨルダン軍の合同軍事演習をやるという名目で、今夏から米軍の増強を受け入れている。そんな微妙な立場のヨルダン王室が、イラク国民会議の会合にハッサン王子を送り込んできたため、世界中の注目を集めることになった。
会合で挨拶したハッサン王子は、政治の話を避け、イラクがヨルダン王家のハシミテ家と歴史的に深いつながりがあるということを話した。イラクはヨルダンより2年前の1921年、宗主国イギリスによってハシミテ家のファイサルが王位に据えられ、1958年に決起したアラブ民族主義の将校団が国王一族を殺害するまで、王政が続いていた。
アラブ民族主義については「アラブ統一の夢は死んだか」参照
ハッサン王子の話は、表向きは政治の話を避けているように見えながら、実は深い政治的な含蓄を持っているとも受け取られた。米軍がサダム・フセイン政権を倒した後、ハシミテ家のハッサンがイラクの国王に返り咲くのではないか、と思われたのである。かつて帝国主義のイギリスがイラクやヨルダンに王家としてハシミテ家を据えたように、今また「新帝国主義」のアメリカがイラクにハシミテ家を据えて統治させるのでないか、という筋書きだ。(「米英で復活する植民地主義」)
ハッサンは王子といっても55歳で、アブドラ国王の叔父に当たる。先代のフセイン国王は長いこと弟のハッサンを皇太子に定めていたが、死の直前に皇位継承権を変更し、息子のアブドラを皇太子に変えてしまった。ヨルダンの国王になれなかったハッサンは、隣国イラクの国王になるのではないか、という憶測を呼んだ。
先にイラク国民会議をアメリカ側で動かしているのはネオコンの人々だと書いたが、ハッサン王子をロンドンの会合に呼んだのもネオコン勢力だとみられている。ハッサンは今年4月初旬に訪米し、ネオコンの中核であるウォルフォウィッツ国務副長官と会っている。そのときにウォルフォウィッツがハッサンに持ちかけたのではないか、と分析する記事もある。
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