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(回答先: 階級闘争概念は弱きを助け強きを挫くヤクザ論理の典型 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 8 月 02 日 09:02:18)
木村さんたびたびすみません。
僕としては、資本主義の矛盾が、労働者への犠牲、他国への侵略という形で非常に階級的に鮮明になっているにもかかわらず、自称「共産党」までが労働者階級の党から国民の党への転換を宣言し、どんどんと階級性を投げ捨て始めている中で、木村さんがあえて階級闘争概念そのものを否定するという、大変勇気のある誤謬の道を宣言されたので、何か言わずにはおられません。
で、木村さんは
>「階級闘争」の概念は、「弱きを助け強きを挫く」と称して、
>自らの暴力を正当化するヤクザ、破落戸の論理の典型なのである。
とおっしゃっていますが、こんなことをマルクスが言っているんでしょうか?
階級闘争の概念は、第三者が誰かを助ける、というのではなく、階級間の争いのことを言っているんじゃないですか? 木村さんの表現だと、闘う主体は第三者です。それは階級闘争の概念とは違うと思います。
階級闘争というのは、支配者と被支配者が経済的に利害対立している以上、その形態が平和的だったり、暴力的だったり、あるいは表面上まったく抵抗すら行われなくても、有形無形の闘争が行われている。そしてその闘争が歴史を作ってきたということだと思います。
マルクスは現代において闘う主体の中心は労働者だと言っているのですから、「弱きを助け」ではなくて「弱きが闘い」です。労働者を「弱い」と表現するのもマルクスの主張だというのは疑問です。
当事者が主体となって闘うのが階級闘争概念だと思います。そこにおいて「助ける」という概念は、中心的なものと言うよりは補助的な役割だと言うことだと思います。
「弱きを助け強きを挫く」という思想は、階級闘争の概念でも、マルクスの概念でもないと思います。むしろ木村さんの主張なんじゃないかなという気がします。