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(回答先: Re: 階級闘争概念は弱きを助け強きを挫くヤクザ論理の典型 投稿者 ある傍観者 日時 2004 年 8 月 02 日 10:18:32)
ある傍観者さん バルタンです。
>事実関係として、労働者が権力を握った歴史はありません。
んなことはないでしょう。
パリ・コミューンはプルードン派のアルチザンが樹立した「世界初の労働者政府」
(マルクス)じゃなかったでしょうか。スターリンとフランコに潰されたスペイン
人民戦線政府を労働者権力を呼ぶことに抵抗がありますか?
フーコー的な「ミクロ権力」まで拡張すればイタリアのサンジカリストやグラムシ
の工場評議会運動も入れても良い。
> 職業「革命家」やその「後継者」「元手先」が権力を握った例は多々ありましたが。
>「ソヴィエト」なども看板倒れの典型でした。
それは「裏切られ史観=裏返し史観」ではありませんか。ボルシェビキだけがロシア
革命を担ったわけではなく、エス・エル戦闘団、ナロードニキ、デカブリスト達の
「先行する諸形態」があった。マフノの黒軍運動もはずせません。
ナロードニキは貴族の子弟で「ええとこのぼん、じょうちゃん」ですよね、彼らは毒薬を
握ってツァーリの高官の馬車に爆裂弾を投げた。人の命を奪う対価として自分の命を捨てる
覚悟がある。しかし、馬車に子供が乗っていると断念してすごすご帰ってくるわけです。
不幸にして意見が対立し組織が分裂しても金はもちろんペン先一個、紙一枚まできれいに
分けて握手して別れている。こういう「倫理性」はどこから来たのか。
ガンジーの「非暴力直接行動」というのは物凄く「過激」な思想なわけです。人は卑怯、
日和見と非難されるのを恐れ蛮勇に身を任せる事をいとわないからです。誤解を恐れず
に言えば「人の死によって政治的目的を達成する」のがテロリズムとすれば過程に奮迅し
倒れる事を辞さない「究極のテロリズム」です。目的達成後の世界を構想したり「指導」し
ようとする「欲」とは無縁であることで、ナロードニキの倫理性と通底し「人の命を奪う
ことを潔しとせず」という意味で、より「過激」です。
別スレ http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1256.html
で言えば「線路の上に寝て軍需列車を阻止する」思想は共産党、民団の火炎瓶、竹槍
の「政治」とは相容れないものだと思います。
>人間がマルクス主義を真に実践するには、人間の頭脳や体力は小さすぎます。
そんな大層なものならサッサと捨てた方が良いですね。教祖様自ら「あるべき理想の
状態を目指すのではない、現実を批判する現実的な運動だ」と仰っているわけですし。