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Subject: [aml 40041] 渡辺修孝君の自衛隊違憲・損害賠償・債務不履行訴訟 米兵・自衛官人権ホットラインの小西です。 ●訴 状 東京地方裁判所 御 中 原告訴訟代理人 〒164-0003 東京都中野区東中野1−41−5 2階 〒105-0003 東京都港区西新橋1−21−5 一瀬法律事務所 〒100-8977 東京都千代田区霞が関1丁目1番1号(中央合同庁舎6号館) 違憲行為差止,損害賠償,及び債務不存在確認請求事件 1.被告は「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により自衛隊をイラクおよびその周辺地域並びに 第1 当事者 2.被 告 第2 国際法、憲法、イラク特措法に反する自衛隊の活動 2.憲法違反、自衛隊法にすら違反する行為 3.イラク特措法にさえも違反する自衛隊の活動 4.憲法第9条と自衛隊の関係 5.自衛隊は何処で誰と一緒に何をしてきたか 第3.思考を停止させる「日米同盟」 第4 法的救済を求める原告の権利・・・被害法益 第5 債務不存在確認について 第6 多数決原理より立憲主義・・・司法の役割は重い 好評発売中 http://www1.jca.apc.org/aml/200406/40041.html
From: "makoto"
Date: Thu, 10 Jun 2004 16:25:28 +0900
Seq: 40041
6/8に提訴した渡辺修孝君の「自衛隊違憲・損害賠償・債務不履行訴訟」の訴え(訴状)をお知らせします。
裁判が始まりましたら、傍聴などのご支援をお願いします。
転送歓迎(長くなりますがご容赦下さい)。
2004年6月8日
弁護士 内 田 雅 敏
同 内 藤 隆
同 中 島 通 子
同 佐 和 洋 亮
同 一 瀬 敬 一 郎
同 佃 克 彦
同 福 山 洋 子
同 大 山 勇 一
原 告 渡 邉 修 孝
〔送達場所〕
〒160-0008 東京都新宿区三栄町8番地 三栄ビル3階
四谷総合法律事務所(TEL)03−3355−2841
(FAX)03−3351−9256
原告訴訟代理人
弁護士 内 田 雅 敏
同 上
同 内 藤 隆
〒160-0022 東京都新宿区新宿2−2−4
第10御苑宮庭マンション12B
同 中 島 通 子
〒105-0003 東京都港区西新橋2−2−5 竹内ビル3階
佐和法律事務所
同 佐 和 洋 亮
同 一 瀬 敬一郎
〒105-0004 東京都港区新橋2−16−1 ニュー新橋ビル515
恵古・佃法律事務所
同 佃 克 彦
〒107-0061 東京都港区北青山2−12−13 青山KYビル3階
総合法律事務所あおぞら
同 福 山 洋 子
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1−17−10 池袋プラザビル6階
城北法律事務所
同 大 山 勇 一
被 告 国
上記代表者法務大臣 野 沢 太 三
訴訟物の価額 金6,623,566円
貼用印紙額 金38,000円
請求の趣旨
周辺海域に派遣してはならない。
2.被告は原告に対し金500万円及び本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3.原告の被告に対する,金2万3566円の債務の存在しないことを確認する。
4.訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに第2項につき仮執行の宣言を求める。
請求の原因
1.原 告
原告は1967年生れ、栃木県足利市の出身で、地元の高校を卒業後、陸上自衛隊第一空挺団に入隊,満期退職後,陸上自衛隊板妻駐屯地へ再入隊
後退職。その後,死刑廃止運動やパレスチナ問題など様々な社会運動を経て,2003年6月から,反戦の立場から自衛官の人権問題などに取り組
む市民団体「米兵・自衛官ホットライン」と活動を共にするようになる。
2004年2月下旬から半年間の予定でイラクに渡り,同団体の「在イラク自衛隊監視センター」スタッフとしてイラク現地で自衛隊の調査・監視
活動を行い,ホームページ上で「イラク現地リアル・レポート」と題して,南部サマワの陸自の活動などを報告していた。
活動中の本年4月14日,現地の武装勢力に,フリージャーナリスト安田純平氏と共に拘束される。同月17日,バグダッドにて解放される。
帰国後現在は,イラク占領の現状を市民集会での講演や著作により活発に行っている。
5月20日に発表された著書「戦場イラクからのメール」(社会批評社)では,自身の身柄拘束の体験談と共に,マスコミが報道しないイラク戦争
の悲惨な現状とサマワの自衛隊の実情をまとめ,反戦・平和の立場から自衛隊の撤退を訴えている。
(1)被告は、2003年7月26日、第156回国会において「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置
法」を成立させ、8月1日公布、施行した(以下「イラク特措法」という)。
同法は、2003年3月20日に始まる米英の武力行使によるフセイン政権崩壊の後、国際連合安全保障理事会決議第1483号を踏まえて、自
衛隊を中心に人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行い、「イラク国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資する」
ことを目的とする、4年間の時限立法である。
(2)政府は、同年12月8日、「イラク特措法に基づく対応措置に関する基本計画」(以下「基本計画」という)を閣議決定した。
(3)12月18日、防衛庁は、「イラク特措法における実施要領」(以下「実施要領」という)を策定した。
(4)同月19日、防衛庁長官は、航空自衛隊に準備命令・同先遣隊に派遣命令を発し、陸上自衛隊及び海上自衛隊に準備命令を発した。
上記命令に基づき、航空自衛隊先遣隊がクウェート、カタールに派遣された。
(5)2004年1月9日、防衛庁長官は、航空自衛隊輸送部隊及び陸上自衛隊先遣隊に派遣命令を発した。
(6)同年1月26日、防衛庁長官は、陸上自衛隊本隊、海上自衛隊に派遣命令を発した。
(7)同年2月9日、防衛庁長官命を受けて、陸上自衛隊の本隊、先発隊約80人中の約60人がイラク南部サマワに到着。
(8)同年2月20日、防衛庁長官命を受けて、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」、護衛艦「むらさめ」がイラクに向けて出航した。
(9)同年2月21日、防衛庁長官命を受けて、陸上自衛隊本隊、主力部隊第1陣約140人がクウェートに向けて出発した。
同隊は同国内の米軍キャンプにて訓練を受けた後、イラク南部サマワに入った。
(10)同年3月21日、第1陣第3波120人が出発、現地サマワに第1陣の総勢550人がそろった。
1.国連憲章、国際法に違反する米軍の行動
被告がさせている上記陸・海・空の自衛隊の活動は、2003年3月20日、米国が国連安保理での決議を経ることなしに(得られなかった)イ
ラクに対してなした先制攻撃に起因するものである。同年10月17日ブッシュ米大統領が来日した。イラク問題をめぐって人員的・財政的に苦境
に陥っている米国が各国に対して人員(兵隊)の派遣と、占領費用の分担を求めての“集金旅行”だ。小泉首相は1年間で15億ドル(約1650
億円)、2007年までに50億ドルを分担することを約束し、2003年内には陸上自衛隊をイラクに派遣することを約束した。
イラクに対する米国の攻撃は、イラクによる米国に対する武力攻撃或いはその差し迫った危険のない状態で先制攻撃(予防攻撃)となされたもの
であり、自衛のためとは到底言えず、国連憲章第51条に違反するものである。
先制攻撃としての米国のイラクに対する攻撃は、国際社会が1928年パリ不戦条約以降、営々として積み重ねて来た戦争の違法化の試みを粉々
に打ち砕くものである。
自衛隊のイラク派兵は当然のこととして日本国内の治安体制の強化となる。現にアルカイダの報復及びそれへの対処が云々され始めた。2004
年2月27日、「立川自衛隊監視テント村」のメンバー男女3人が立川市内の自衛隊官舎の郵便受けにイラク派兵反対を訴えるチラシを入れたとし
て住居侵入の容疑で令状逮捕された。
「テロとの戦い」とはすべての議論を封ずるオールマイティの力を有するようだ。「テロリスト」に対しては刑事手続裁判も不要、戦時法規の適
用も不要、しかも「テロリスト」は姿を隠していて、どこにいるかも分からない----どこにでもいる----から個別的自衛権も集団的自衛権も関係な
いというわけだ。そして「テロリスト」との戦いは相手との交渉はなく、殲滅するまで続くから、何時終わるかはわからない。アフガニスタンの次
はイラク、北朝鮮、イラン、シリア等々終りはない。「『「テロリスト」との戦争』とは実は、『敵』を明示せず市民社会を不断の臨戦体制あるい
は非常事態に置くための空前の発明なのである」(『テロとの戦争』とは何か----9・11以後の世界!」西谷修・以文社)。貧困、富の配分の不
公正というテロの根源に迫ることなく軍事的な対症療法に終始する限り、そしてたび重なる国連決議を無視し、パレスチナの地を占領・支配してい
るイスラエルに対する無策に見られるようなダブルスタンダードをとっている限り、米国が第2、第3の同時多発テロの恐怖から免れることはでき
ない。米国の「イスラエル」化だ。
米国に追随する日本も攻撃の対象から免れない。
「日米同盟」という呪文によって立憲主義を破壊し、米国のイラク空爆を支え、イラク民衆の殺戮に加担した日本は、さらにブッシュの求めに応
じて陸上自衛隊をイラクに派遣し、東洋の「英国」になろうとしている。
被告がさせている上記陸・海・空の自衛隊の活動は、後に詳述するように、「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうち
に生存する権利を有する」と憲法前文に規定された「平和的生存権」に反し、武力の不保持、交戦権の否認の規定し、そして従来の政府見解によっ
てすら「集団的自衛権」の行使を認めていない憲法第9条に違反するものである。のみならず、「自衛隊はわが国の独立と平和を守り、国の安全を
保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし」と自衛隊の存在目的を規定した自衛隊法第3条1項にも違反する
ものである。
被告はイラク特措法は、自衛隊の活動地域を「非戦闘地域」に限っているので憲法に抵触しないと主張する。この見解が到底容認できないもので
あることはすでに述べたとおりであるが、今、この点は措くとして被告のいう「非戦闘地域」に限って論じてみる。
米兵らに対する攻撃が止まないイラクの状況----「イラクのどこが戦闘地域かどうかなどわかるわけがない」「自衛隊員でも襲われたら殺される
可能性があるかもしれない。相手を殺す場合もないとは言えない」(小泉首相)-----からすれば、やがて派遣された自衛隊員中に死傷者が出るこ
と、あるいは逆に自衛隊員の発砲による死傷者が出ることはほとんど不可避であろう。
被告の最高責任者である首相が「戦闘地域」、「非戦闘地域」の区別は意味がないと公言しているのである。ところでこの「非戦闘地域」の定義
については、周辺事態法のときの「後方地域支援」という造語の「手品」があったと同じように、言葉の「手品」がほどこされている。
イラク特措法第2条は、「戦闘地域」とは「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われるこ
とがないと認められる」場所であるとしている。そして「戦闘行為」とは「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、又は物を破壊す
る行為」としている。ところがこの「国際的な武力紛争」の解決として、被告は「国または国に準ずる組織の間において生ずる、一国の国内問題に
とどまらない武力を用いた争い」と答弁している。ここに言葉の「手品」がある。
つまりイラクのサマワで活動する自衛隊に対する武力攻撃があり、自衛隊がこれに応戦しても、その攻撃が国もしくはそれに準ずる組織のもので
ないとされれば、イラク特措法にいう「戦闘行為」でなく、「戦闘地域」でなくなってしまい、「ゲリラ」の攻撃などいかようにも解釈できること
になってしまうのだ。「イラクのどこが戦闘地域かどうかなどわかるわけがない」という小泉首相の答弁は、いかなる事態が生じようともイラク特
措法の「解釈」によっていかようにも合法性を主張できるという考え方に立っているものである。
前述したように、憲法第9条「戦争の放棄」は、国家の交戦権の否認と戦力の不保持を宣言している。
しかるに、1950年6月朝鮮戦争を契機として連合国軍総司令官マッカーサーの司令により、警察予備隊が設立されて以降、その後の名称変更
を経て年々自衛隊はその装備、人員を拡大し、今では世界第3位とも言われるほどの軍事力を有する名実ともに軍隊となった。
朝鮮戦争を契機としてマッカーサー指令によって自衛隊の前身である警察予備隊が設立されて以来、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を宣
言した憲法第9条との整合性について歴代政府は、
@ 警察予備隊であって軍隊ではない。
A 近代戦争を遂行する能力を有していないから憲法が禁ずる戦力にあたらない。
B 必要最小限度の実力組織であり憲法上許される。
C 専守防衛、すなわち国内においてのみ活動し海外に派兵しないから憲法違反でない。
D 国連決議の下に海外に出ていくのであるから憲法違反ではない。
等々、その場限りの説明を繰り返してきた。
そして、今「日米同盟」。後述するようにこの語句にはすべての思考を停止させる効用があるらしい。
ところで現実の自衛隊の活動と憲法第9条との関係についての歴代政府の、その場限りの説明をもってしても、どうしても越えられない壁があっ
た。集団的自衛権の壁である。日本の防衛に直接関係のない事態に対し、自衛隊が出動することは憲法第9条をどのように拡大「解釈」しようとも
かなわぬことであった。前述したように自衛隊法第3条が自衛隊の目的について「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略およ
び間接侵略に対し、わが国を防衛することを主たる任務とし」と規定しているとおりである。
ところが1999年夏、成立した周辺事態法は、日本に対する攻撃がない場合でも「後方地域支援」の名のもとに日本が米軍の支援活動を認める
ことができるとし、集団的自衛権の行使を認めないとしてきた歴代の政府解釈の壁をいとも簡単に乗り越えてしまった。もはや憲法の空洞化でなく
破壊である。
そして米国同時多発テロを契機として成立させられたテロ対策特措法は “周辺事態”という制約すらかなぐり捨て、米国が「テロとの戦争」を
行う場合には、武器弾薬の提供以外なら、世界中どこでも、いかなる「後方支援」も可能であるとした。もっともこの「後方支援」は戦闘区域では
許されないと説明されたが、ミサイル発射中の米軍艦に給油等の「後方支援」をしても、ミサイルが敵に到達しない間は戦闘区域とは見なされない
から、許されるなどという内閣法制局長官の珍答弁-----後日になって彼は、あれは恥ずかしい答弁であったと述懐した-----も出る始末であった。
その後もインド洋、アラビア海に派遣中の海上自衛隊の補給艦がイラク攻撃に向う米空母キティーホークに間接的に燃料補給をなしたとの事実も
明らかにされている。
深刻なことは、このような憲法の根幹を揺るがすような法案がまともな憲法議論もなされないままに「日米同盟」なる呪縛の下に全ての思考が停
止され、「常識」(小泉首相)と、没論理で議会の多数派によって簡単に成立させられていることである。そして2003年5月、また有事法制3
法案がこれまた小泉首相の「備えあれば憂いなし」という没論理で成立させられた。
「備えあれば憂いなし」というのは、本来自然災害に対しての文言であり、それを軍事に対して使うところに物事の混乱がある。日本に対して一
体、どこの国が侵略して来るというのか。
民主主義とは多数決とイコールではなく、まず議論をすることであり、相手の見解に耳を傾けることだということが忘れられ、与党と野党第一党
とのすり合わせという「国対政治」でこの国の今後の方向性が決まってしまうというのは誠に恐ろしい。
「何でも賛成する人びと」と「何でも反対する人びと」を抱えた寄り合い所帯〔某幹部談〕の民主党は、まずはじめに有事法制に賛成ありきで、
あとはいかに党の分裂を回避しながら法案に賛成するかということにしか関心はなかった。
1950年朝鮮戦争を契機にマッカーサー指令によって創設された自衛隊(警察予備隊)の規模、そして活動の変化については、すでに述べてき
たとおりである。
法案的にみれば1999年の周辺事態法が曲がり角であることもすでに述べた。これを自衛隊の具体的な活動として見れば、2001年秋、米国
同時多発テロを契機として成立させられたテロ対策特措法によるインド洋における海上自衛隊の米英軍等に対する給油活動、あるいはイージス艦に
よる情報処理等の活動である。同法に基づく海上自衛隊艦による米英軍などの艦船への給油は、2001年12月2日から2003年9月8日まで
の時点で291回、合計で約32万キロリットル(約120億円分)を洋上で無償給油している。この間に米海軍が消費した燃料の約4割は、日本
が提供したものだという。
また海上自衛隊の艦船は2003年9月までに計21隻(延べ25隻)が派遣され、これを人員的に見るならば、約4250人の派遣となってい
る。その後も補給艦は「はまな」、イージス艦は「こんごう」、護衛艦は「ありあけ」の3隻、約600人が活動中した。
2003年3月までで海上自衛隊の活動経費の総額は、229億円になっている。政府は時限立法であるテロ対策特措法を再々延長した。
もちろんその理由は米軍からの要請によるものである。2003年2月25日海上自衛隊の補給艦「ときわ」がオマーン湾で米軍の補給艦に燃料
約83万リットルを洋上給油した。その数時間後、件の米補給艦は米空母キティホークに給油した。この空母キティホークが、イラク攻撃に使用さ
れた。
このように海上自衛隊のインド洋での活動は、米軍の戦闘行動と一体なものとなっている。
2001年9月4日付朝日新聞朝刊によれば、すでに1984年の「日米シーレーン防衛共同訓練」で、海上自衛隊の護衛艦、P3C対潜哨戒機
が米空母機動部隊の一部を構成し、空母護衛の役割を担ったという。そして米軍によるアフガン空爆が始まると、海上自衛隊の艦船がインド洋で作
戦行動中の米軍に対して給油等の後方支援をした。日米が共同して具体的に軍事行動を行ったのだ。まさに米軍支援のための海上自衛隊である。
米軍がアフガニスタン、イラク攻撃の際に新型核兵器ともいうべき劣化ウラン弾を使用し、空爆による被害はもちろんのこと、その後も人体に深
刻な害を与え続けていることはNGO団体などの様々な活動によって報告されているとおりである。
そのイラクに、日本政府は前述したように、2003年7月26日自衛隊を派遣する特別立法、イラク特措法を成立させ、自衛隊を派遣した。
米国からの要請があればすべて従うというのが被告の安全保障政策であると言わざるをえない。
国の基本法である憲法を超え、かつまた国連憲章をも超え、問答無用とばかりにすべての議論を封殺する「日米同盟」とは一体何であろうか。
日米安保条約は日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約とセットで結ばれ、同講和条約発効後も占領軍としての米軍が「在日米軍」と名
を変えて引続き、日本(本土)の占領状態を継続するための法、いわば「占領継続法」としての性質を有するものである。戦後の日本は法体系的に
は戦争を放棄した憲法と米軍と共同して戦争を行う日米安保体制という二つの相容れない法体系の奇妙な同居があり、後者による前者の空洞化の歴
史であった。「日米同盟」の「呪縛」は、この出自に由来するところが大きい。
日米安保条約はその前文において、「日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義
の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済
的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のう
ちに生きようとする願望を再確認し、・・両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、・・」と述べ、国連
憲章の定めるところに従い、民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配の擁護、「国際紛争を平和的手段によって」解決(同第一条)することを
高らかに嘔っている。ところが、近年世界唯一の超大国となった米国には、地球温暖化防止のための京都議定書からの離脱、オランダハーグに設立
された国際刑事裁判所(ICC)への不参加など国際協調、国連憲章、法の支配を軽視する傾向が見られる。とりわけ、ブッシュ大統領になってか
らその傾向が顕著だ。同大統領の論理は、@先制攻撃、A単独行動主義(ユニラテラリズム)の二つに集約される。「殺られる前に殺れ!」とい
う、無法時代への回帰であり、国連すなわち国際協調主義の否定である。しかもブッシュ大統領のいう「先制攻撃」は、米国に対するさし迫った侵
害「急迫不正な侵害」がない場合にも行うというのであるから、それは言葉の正しい意味での「先制攻撃」でなく、正しくは「予防攻撃」と呼ぶべ
きものである。
そして「自由が失われたという連中はテロリストの味方だ」(アシュクロフト米司法長官)という発言に見られるように「敵か味方か」という言
語の一元化が急速に進められている。米国に対する無批判な従属でなく、言葉の正しい意味における「同盟」つまり対等な関係であるならば、ブッ
シュ大統領の行っている無法行為について、その非をさとし、その中止を求めるべきである。イラク攻撃をなしたブッシュ大統領に対して、異を唱
え「査察」の継続を主張した仏、独もまた米国とは「同盟」という強い絆で結ばれていることを理解すべきである。
「日本には日米安保条約がある。イラク問題では、米国に協力して『貸し』を作り、北朝鮮危機の時に『貸し』を米国から返してもらえばいい」
(佐々淳行元内閣安全保障室長・2003・2・28・毎日新聞朝刊)
あるいは、「しょうがないんじゃないの、日本は米国の何番目かの州みたいなものだから」(久間章生元防衛庁長官・2・14・朝日新聞朝刊)
等々と述べ、米国のイラク攻撃を支持すべきだとする主張があった。小泉首相も基本的には同じであった。これらの主張は「同盟の本質」を理解せ
ず、敗戦コンプレックスから抜け出せない「自虐的国家観」に基づいたものであり、あまりにもなさけない。「経済協力」を武器に国連安保理のメ
ンバーである途上国に対して米国を支持するよう圧力をかけた日本の外務省は醜悪であり、まさに米国務省の日本出張所である。
ことは恥ずかしさだけの問題ではない。日本の「国益」に関することでもある。ブッシュ大統領による国際法、国連憲章無視のイラクに対する武
力攻撃は、日本と北朝鮮との間にも重大な影響を与えることになる。当然のこととして北朝鮮の金正日政権は、<イラクの次は自分達だ>と考える
であろう。
北朝鮮外務省は2003年4月6日、「国際世論も国連憲章もイラク攻撃を防げなかった。強力な軍事的な抑止力を備えてこそ、戦争を防ぎ、国
と民族の安全を守れるというのがイラクの戦争の教訓だ」と声明し、さらに6月18日付労働新聞は「われわれにも核抑止力を備える権利がある」
などと「核抑止力」を公言している(東京新聞・2003年8月28日付) 。
米国が北朝鮮に対して「先制攻撃」を行う場合、日本が米国に無批判に追随することは、すでに実証済みである。北朝鮮はどうするか。「核開
発」による防衛の強化と日本に対する不信感の増幅であろう。その結果、日朝間はますます遠のき、北東アジアの緊張は高まることになる。行き着
く先は、有事法制、日本の防衛力の強化であり、核武装すら公然と主張されるようになるかもしれない。「我々の選択肢は米国かイラクである」
(内閣参与・岡本行夫)というように米国追随は日本の「国益」のためやむなしとする論が盛んだが、真実はむしろ逆であることを理解するべきで
ある。
「日米の関係」は軍事的なものだけでなく、経済・文化と多岐にわたるものであり、また一政権・・・「ブッシュとの同盟」・・・との間のもの
でもなく、その国を構成する民衆との間のものでなくてはならない。
原告は被告に対して「イラク特措法」によるイラク及びその周辺地域並びに周辺海域における自衛隊の活動の差止めを求め、かつ精神的苦痛とし
ての慰藉料の支払いを求めるものである。
イラク特措法による自衛隊のイラクに対する派遣が違憲、違法なものであることはすでに述べたとおりである。
原告は前述したように、2003年6月頃,反戦の立場から自衛官の人権問題などに取り組む市民団体「米兵・自衛官ホットライン」の活動に参
加し,自衛隊の隊員たちに憲法遵守と海外派遣任務の拒否を呼びかける活動の一環として「在イラク自衛隊監視センター」のスタッフとして,本年
2月26日にイラクに入国し,イラク南部サマワ市の治安情勢や自衛隊の活動状況をインターネット通信によって報告してきた。
イラク国内で原告が見たものは,日本の報道では伝わってこないような米軍を中心とした外国駐留軍によるイラク住民に対する著しい人権侵害で
あった。
イラクにおいて,自衛隊が「人道復興支援」よりもイラクの占領体制の一翼を担っていると認識されるようになり,イラク国民は被告である日本国
政府と自衛隊への強い不信感を持つようになってきた。原告が取材に行ったサマワ市内の失業者集会や,バグダッド市内の中心部「サドル地区」と
呼ばれる街の集会で,原告ら日本人は住民たちから,「日本人は敵だ。日本人はイラクから出ていけ」と罵声を浴びせられたこともあった。
原告は,4月14日,ファルージャ付近の取材に行くフリーランス・ジャーナリストの安田純平さんに,取材の同行をさせてもらうことにした。
同日,原告と安田氏は,バグダッド西方アブグレイブにおいて,武装勢力に拘束された。
拘束中に武装組織は,原告に対し,イラク武装組織が原告を拉致監禁した理由を,「イラクに軍隊を派遣した国の国民だからである」と述べた。
したがって原告は,被告による違憲違法なイラクへの自衛隊派遣を理由として拉致監禁されるという,まったく本人に何の謂われのない肉体的苦痛
と精神的屈辱を被ったのである。
被告による違憲、違法な自衛隊のイラク派遣は、日本国憲法の前文の平和的生存権,戦争を放棄した同法第9条、幸福追求の権利を保障した同法
第13条に違反するものであり、派遣された自衛隊によるイラクを占領する外国駐留軍への直接的・間接的軍事支援で損害を受けたイラク国民と,
彼ら「被害者」たちが受けた被占領国民としての深い恨みが,原告の国籍を根拠に「占領体制を支援する国の国民」とイラク国民から認識されて,
原告にあっては上記で述べたような苦痛と屈辱を被る結果になった。これを金銭的に換算すれば金500万円を下らない。
被告は云う、「自衛隊はイラクに戦争に行くのではない。復興支援に行くのだ」と、しかし、それならばその装備と能力を持った専門家集団を派
遣すればいい。既に活動している非政府組織(NGO)を支援すればいい。何故武装集団である自衛隊を派遣するのか。イラクに対する自衛隊の派
遣、米軍による占領政策に対する協力、占領行政への財政的支援、これらに対し原告はその差止めを求め、かつ慰藉料の支払いを求め、裁判所に対
し法的救済を求める権利を有するものである。
被告は原告に対し,平成16年5月24日付け配達記録郵便を郵送し,同日付け書面にて,「航空券…代金」及び「航空券…日付変更料」を「立
て替えて」いるので「精算をお願い致します」と称し、215米ドルの支払請求をしてきた。215米ドルは,2004年6月8日現在の為替レー
ト(1米ドル=109円61銭)で円に換算すると,金2万3566円となる。
上記金員は、原告の帰国の際の航空運賃相当額を指しているようであるが、そもそも被告が上記金員を支出したことを原告は不知である上、仮に
被告に何らかの支出があったとしても、被告がなぜ原告に対してかかる金員の支払請求をなし得るのか、根拠が全く不明である。
その上、原告がイラクにおいて拉致拘束されたのは,被告自身の違憲違法な自衛隊イラク派兵が原因であるのであって、かかる立場にありながら
原告に対し、名目の如何を問わずおよそ金員の支払を求めるなどということは、法的にはもちろんのこと、道義的にも許されざる行為というべきで
ある。
付言すると、そもそも被告は,外国において身柄拘束された邦人の保護を行う責務を当然負うのであって(外務省設置法第4条(所掌事務)「外
務省は,前条の任務を達成するため,次に掲げる事務をつかさどる。」9号「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関するこ
と」),仮に原告の帰国のために被告が一定の費用支出をしたということがあったとしても、邦人保護・救出に関わる全費用が被告の負担になるこ
とは当然のことである。
よって,原告は被告に対し,被告主張の前記金 2万3566円の債務が存在しないことの確認を求める。
憲法第81条は裁判所に「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」と、いわゆる違憲立法審査権
を認めている。
しかし違憲立法審査権の行使については、裁判所は従来より謙抑的であり、とりわけ憲法第9条に関する事項については、1959年12月16
日最高裁判所が砂川事件判決において、日米安保条約について、「我が国の存立の基礎に極めて重要な関係をもつ高度の政治性を有するものであ
り」それが「違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまず、一見極めて明白に違憲無効であ
ると認められない限りは裁判所の司法審査の範囲外のもの」と、いわゆる「統治行為論」を述べて判断を回避して以降、その傾向が顕著となった。
「統治行為論」に基づく違憲立法審査権の行使に消極的な見解の根拠として、三権分立、選挙権の行使としての間接的な議会制民主主義の制度が
挙げられる。確かに国民の選挙権の行使を通して選出された議員によって構成される議会において制定された立法が、国民の選挙による洗礼を受け
ていない裁判官によって簡単に否定されるというのは、不都合だとする見解にも一理ないわけではない。しかし、立憲主義の下では議会といえども
万能の力を有するものでない。すなわち多数決原理によっても超えることのできない基本法(憲法)の制約というものがある。
この基本法の制約を、その制約自体を改変することをせずに立法という手段で乗り越えることは許されない。それは法律という下位法によって基
本法を変更しようとする法の下剋上であって許されないものである。多数決原理によってこれを強行するならば、それは議会の多数派による立憲主
義否定のクーデターを意味する。
もしそのような事態が発生したならば裁判所はもはや、「統治的行為論」によって違憲立法審査権の行使を躊躇してはならない。このような事態
になってもなお裁判所が違憲立法審査権の行使を躊躇するならば、憲法第81条が規定する「憲法の番人」としての役割を放棄したことになる。
すでに前記最高裁砂川判決から40余年、約半世紀近くが経過しようとしている。日本をめぐる国際情勢も大きく変化した。1989年には冷戦
も終結した。冷戦構造の真っ只中にあった1959年当時はともかくとして、現在において日米安保条約が「我が国の存立の基礎に極めて重大な関
係をもつ高度の政治性を有するもの」ではないことは明らかである。
また日米安保条約と極めて密接な関係を有する自衛隊の装備の拡充、そしてその活動、とりわけ米軍との共同行動は前記最高裁判決当時と比べて
格段の違いを有するものであることは「一見極めて明白」である。
前述したように、自衛隊の前身である警察予備隊が設立されて以来、憲法第9条との整合性について政府は、その場限りの説明をくり返してき
た。
そして違憲立法審査権の行使に謙抑的な裁判所はこれを見逃し、放置してきた。裁判所のこのような消極的な姿勢が、この国における法に対する
信頼をいかに損なってきたかを考える必要がある。イラク特措法による自衛隊のイラクへの派遣は、単に「政策」の問題であるだけでなく、すぐれ
て憲法的・法的問題であり、裁判所の職掌に属する。もはや裁判所は判断を回避してはならない。
よって、原告は主権の行使の一環として裁判所に対し、憲法第81条の違憲立法審査権の発動を求め、請求の趣旨記載どおりの判決を求め提訴す
る次第である。
附属書類
1.訴訟委任状 1通
新刊『戦場イラクからのメール―レジスタンスに「誘拐」された3日間』(渡辺修孝著)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/61-1.htm
新刊『NO WAR!』(瀬戸内寂聴ほか編著)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/56-5.htm
konishi makoto