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(回答先: 不誠実なことを「それでもあなたはブレることなく誠実に語る」君、勝谷誠彦クン。 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 6 月 01 日 21:04:16)
■2004/06/01 (火) 銃と死とビデオカメラの映像の向こうで雨降りやまぬhttp://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20040601
5時半起床。
<死んでもカメラを離しませんでした>。木口小平の故事に倣ったこのフレーズをかつて不肖・宮嶋の原稿を構成していて思いついた時、私は小躍りしたものだった。以後、彼の文章の中で何度も遣い本人もそれをひねって本のタイトルにまでなった。
しかし私はこれからの一生このフレーズを平静な思いで書くことはできないだろう。そもそも書けるのかどうかそういう機会が来てみないことには自分でもわからない。橋田信介さんの黒こげになったビデオカメラが公開された。新聞では遺体の横にあったと報じられているがずっと早くに私に教えてくれた人はその手に握られていたとも言った。
米軍の爆弾が降り注ぐハノイでフィルムを回す撮影機を構えていた青年はその後ビデオカメラを担ぐようになりある時はポルポト派にそれを強奪された。ビデオカメラが家庭にも出回りどんどん小型化するに従って彼が手にするそれも小さくなり「歳をとるとさあ、これが軽くていいんだよ」と私に笑った。しかしここぞという時には彼はやはり大きなビデオカメラを取り出して「よっ」と肩に担ぎファインダーを覗かない目もカッと見開かれて凄味のある光を宿した。
キャパの人生がライカで語られるように橋田信介の一生は私たちが手にしているビデオという道具の誕生から今に至る歴史そのままである。あの道具を作り出した人々がその事に気付いてビデオカメラの歴史の上に橋田さんを位置づけてくれることを願いたい。いつの日かソニーなどの広告でビデオカメラを構えた橋田さんのありし日の姿が見られるかとも私は夢想する。子どもの運動会を撮る父親の絵もいいけれど橋田信介の撮影風景から私たちはもっと力強い何かを感じるだろう。
たとえ自分の一生にそういう状況はないと思う人であっても。破壊しつくされたカメラと対照的に撮り終えた素材はきっちりと整理されていた。タイトルの緻密な字はおそらくは功太郎君のものでどんなに疲れていても部屋に戻るとその日のテープをきちんと整理していたに違いない。甥である前に助手であることを功太郎君はひとときも怠ったことがなかった。それは一日の仕事を終えて呑める私たちは一杯やりながら談笑する時でさえも。
昨夜の『報道ステーション』は黒こげのカメラを愛おしそうに抱く幸子さんの映像から始まり最後は奇妙なオチへと持っていった。少年の治療にあの番組がどうしてそんなに拘るのか私は知りつつも注視している。
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<死んでもカメラを離しませんでした>。木口小平の故事・・・不肖宮嶋氏をたとえるにしても酷いセンスだ。それを撤回するかと思ったら、勝谷はまだこだわっている。
そして橋田さんを貶めて止まない。
> いつの日かソニーなどの広告でビデオカメラを構えた橋田さんのありし日の姿が見られる
> かとも私は夢想する。
『ブッシュのバカめ! 戦争やめろ!』
それを伝えるために命をかけた二人の遺志を、ここまではぐらかすのは何故か。
勝谷誠彦の妨害にひるまず、
橋田さん小川さんの最期の仕事に、俺達は耳を傾けよう。