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(回答先: 安保理は取締役会ではない 常任理事国めぐり外交部 [人民網日本語版] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 22 日 23:26:55)
日本の小泉純一郎首相は昨日、国連総会で「日本は、国際平和と安全に主要な役割を果たす意思と能力がある」とし、「国際社会から高く評価されていると私は信じる。わが国の果たしてきた役割は、安保理常任理事国となるにふさわしい確固たる基盤になるものだ」と述べた。日本は常任理事国入りを狙うドイツやブラジル、インドとともに「お互いに立候補を支持する」という共同声明まで発表した。
国連安保理の常任理事国条項は、第1次世界大戦以後、世界の平和を維持するため発足した国際連盟が「1国1標主義」、言い換えれば世界政治の現実的力学を反映できない構造のため無力化したという教訓から生み出されたものである。1945年に国連が発足してから60年が経った世界の現実は、当時とは様変わりしたのが事実であるだけに、その変化した現実を国連が反映すべきというのが、安保理常任理事国改編の名分である。
実際に、今年の日本の国連分担金280万ドルは、米国の363万ドルに次ぐもので、他の常任理事国4か国の分担金合計220万ドルよりも多い。発展途上国への政府開発援助(ODA)も、年間約100億ドルに達し、米国に次ぐ第2位である。国連の平和維持活動にも多くの経済的・軍事的支援を行っている。
にもかかわらず、日本が常任理事国になる十分な資格を備えているとは言いがたいのが現状だ。現在の常任理事国である米国やロシア、中国、英国、フランスは、第2次世界大戦の戦勝国としてその資格を獲得したのが事実だ。しかし、単に戦勝国であるからではなく、その戦争がファシズムという世界悪を相手にした道徳的戦争であり、この善悪の対決を勝利に導いたという道徳的名分がその基底に横たわっているのである。
つまり、日本の安保理常任理事国資格審査においても、日本の国力と国連に対する経済的な寄与のみならず、道徳的姿勢が問題にならざるをえないのである。しかし、この道徳的基準については前世紀に日本が起こした戦争被害国だけでなく、相当数の日本国民もあっさりとは同意しがたいはずだ。
小泉首相が隣国の批判を尻目に、第2次世界大戦のA級戦犯が合祀された靖国神社を堂々と参拜し、それを日本の伝統と慣習として合理化しようとしているのが、その証拠である。
日本が世界政治で主導的な役割をし、そのためには国連の常任理事国入りが必要だとしても、その資格基準は日本自らが名乗り出るよりは、日本から被害を受けた国々が世界の現実を国連に反映するため、あるいは日本から道徳的更生意志が見られ「もう日本が常任理事国になる時期だ」と支援してくれる環境を作り、そうした段階を踏むことが順序と言えるのである。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/22/20040922000101.html