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(回答先: 国民保護法制:指定公共機関に160法人 新たに民放も【毎日】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 9 月 08 日 20:00:14)
日本の有事の際、政府への協力が義務づけられる指定公共機関に、民間企業など160法人が指定されることが決まった。航空や鉄道、船舶などの輸送機関に加え、NHKや民放各社も指定された。国民を保護するという名の下でのなし崩し的な協力への懸念や、生命の危険が伴う業務に従事することへの不安の声が現場から上がっている。【臺宏士、中島みゆき】
■民法「報道の自由、注視」
「政府は、民放を思い通りにしたいという意図があるのではないか」。指定公共機関に指定された在京の民放の記者(27)は「有事の際に警報などを放送するのは、報道機関としての当然の責務だ。それにもかかわらず指定するのはおかしい」と批判した。
有事の際に放送事業者が政府の要請を受けて警報などを報道する枠組みが整備されることについては、「大本営発表につながりかねない」という懸念が出ていた。民放各社の労組でつくる日本民間放送労働組合連合会(140組合)の碓氷和哉委員長は「NHKを含めて放送局を指定することは放送の自由を制約するもので、大変遺憾だ。有事法制を発動させないような取り込みをしていく」と話した。
一方、NHKは7日、「有事に際しても、自らの編集判断で、迅速・的確な報道を行う基本方針になんら変わりがない」とのコメントを出した。「国民の生命・財産に直結する緊急情報をいち早く的確に伝えるという放送の役割を果たすことによって、国民の期待に応え、公共放送の使命達成に全力を挙げて取り組みたい」として、表現の自由や放送の自律が保障された上で運用が行われるよう関係機関に強く求めていく考えを示した。
日本民間放送連盟(民放連)の石黒大山・報道委員長(東海テレビ社長)も「報道の自由が堅持され、有事法制の運用が適正に行われるよう、注意深く見守っていきたい」とのコメントを出した。
民放連は昨年11月、指定公共機関に指定される動きについて「報道の自由を確保する観点から大きな懸念がある」と反対を表明した。しかし、具体的な放送手順を定めた業務計画の策定が、首相との事前協議制から事後報告に変更されたことを受けて方針を転換し、今年6月に「当初案に比べて報道の自由に配慮した修正が行われた」として、指定公共機関の政府からの受け入れ要請についての対応は各社の判断に委ねた。その結果、要請を受けた民放19社はすべて指定を拒否しなかった。
■航空「軍事利用許さない」
航空関係では、日本航空や全日空など9社が指定された。各社の労組でつくる航空労組連絡会(55組合)は7日、「国民保護の名の下に民間航空の軍事利用に道を開くものだ。有事法整備が進み、航空労働者とのかかわりも明確になったことに危機感を強めている。軍事利用を許さない戦いを強めていく」とのコメントを出した。
海運業者は5社が指定された。全日本海員組合(約3万人)の福岡眞人・政策教宣局長は「有事法の制定そのものにこれまで反対してきた。危険な地域には組合員を行かせないなど平和と職場の安全を守る取り組みをしていく」と話した。
毎日新聞 2004年9月7日 12時58分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040907k0000e040073000c.html
戦時中のような、政府にとって都合のいい国民とならないよう、昭和史から教訓を得るとすれば、▽教育の国家統制▽弾圧立法の制定・適用▽暴力による言論の封殺▽情報発信の一元化−−の四つの動きに警戒することだ。
現在はどうなのか。東京都が日の丸・君が代を学校現場に強制するのを見ると、教育の統制は進みつつあるし、有事法制は運用次第では弾圧立法に転化する危険性を十分抱えている。政府による情報の一元化までにはまだ至っていないが、イラク派遣の自衛隊の取材・報道規制や、自衛隊の多国籍軍参加をめぐる政策に批判的なメディアを、小泉純一郎首相が「反米マスコミ」とレッテル張りしたことなどは看過できない。
「今の日本は昭和の初めごろと雰囲気が似てきている」という指摘に、「言論の自由もあり、戦前のような道を歩むことはない」という批判がある。ところが、1930年代もそれなりに言論の自由はあったという人もおり、「まさか日本が米国と戦争するようなばかなことはしないだろう」と思っていた国民は少なくなかった。私は戦前と似た動きだと思っている。日本社会は無意識に歴史の教訓を忘れていないか。メディアは歴史的な視点を持って報道してほしい。
「イラクへの米国の派兵を日本が支持し、今、イラクに自衛隊がいる。そして自衛隊がいるサマワが交戦状態にある。これを戦時下と言わない方がおかしい」。批評家の大塚英志さん(45)はそう言う。取材したのは、東京・吉祥寺。路地を歩く若者の笑い声が喫茶店の中にも響いてくる。
「今、昭和十年代の新聞を読むと、なぜ戦時下なのに、人々はこんなに危機感がないのかと不思議に思うのと同じです。当時の近衛内閣と小泉内閣が似ているだけでなく、ミステリー小説のブームや女の子の小説家がもてはやされるといった事象までそっくり。現在は満州事変が起きた後くらいの状態にある気がする」
一九八〇年代末の著書『少女民俗学』から、最近の『サブカルチャー文学論』『「おたく」の精神史』まで、サブカルチャー的事物の興隆の意味を問い続けてきた。『多重人格探偵サイコ』など人気漫画の原作者でもある。その大塚さんが今、反戦、護憲に取り組むのは、こうした事実認識に基づく。
日本が戦争に向かいつつあるという漠とした不安は、多くの人が共有しているのではないか。だが、反戦、護憲がマスメディアをにぎわすことはまれだ。
「個々に話をすれば、イラク戦争に肯定的な論調のメディアの記者も戦争の危機を感じている。でも、ジャーナリストは個人と組織の意見を使い分け、それを言葉にしない。戦後、誰もが『戦前は反戦と言えるムードではなかった』と言い訳したが、当時も銃を向けられて戦争協力を強制されたわけではなかったはず」
変調に気づいたのが数年前。論壇誌など複数の媒体で特定の人物について、当人から圧力さえないのに執筆対象とすることをタブーとされた。拒否し、その媒体での執筆をやめたが、9・11以降、“自発的な言論統制”は加速した。
こうした現象の要因を、大塚さんは戦後、日本人が「自己の責任を全うせずに、他者の自己責任ばかり問うてきた」ことに見る。「二次大戦で被害を与えたアジアに対する自己責任は問わないのに、北朝鮮の自己責任は熱心に問う。イラク人質事件で、人質の自己責任を追及する政治家は、年金で最低限の自己責任さえ果たしていなかった。戦争をした自分たちが間違っていたという自己責任の表明から始まったのが戦後民主主義だったのに、それを全うせずに来てしまった。小泉首相の国会答弁のように、自己責任をかわすための議論ばかりがなされ、そのかわし方のうまさに拍手を送る。内心、みんなそれを望んでいて、メディアもその要望に応えている」
だから、人々の不安をよそに、危うい現実から目をそらす言い訳の論理や言葉ばかりが街にあふれる。