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(回答先: 右翼サイトは9割9分がただの反中反韓である 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 8 月 04 日 14:19:17)
スパルタカスさんは色々の立場を体験されておられるようですね。私は民族派系のサイトを覗いたことはありませんが、雑誌の「諸君」や「正論」の新聞広告は時々見ます。広告を見れば内容は大体解るので、それで済ませるのです。左派系の論調にしても、雑誌広告に目を通して済ませます。
どちらも、特別な新発見の資料を論じたりしたものには目を通します。
私は、どの立場にせよ、誠意を持ちつつ真相を究明しようとした文章以外には関心を持ちません。
感情に走ったものは目が曇っていて、まず間違っていると思っています。それは、予断と偏見に拠ったものであります。
歴史的事件についても、今現実の事件についても、そこには必ず論理があります。
それを誠実に見ようとして、見ることの出来た作品が本物でしょう。
自分の感情(信念・思想ではない)を投影しただけの文章は無意味です。
左右の論調にはこれが多いと思いますが、同感ではないですか?
私も若い時に、政治運動の誘いを多く受けましたので、本物の見分け方が少しは身に付きました。
感情に訴えるものは、まず間違っていて、インチキです。人は感情に訴えられ易いものなのです。意識的にか無意識的にか、扇動的文書、論文はこの方法を採っています。
あくまでも論理追求をした文書、論文が主張することは先ず正しいのですね。
簡単な現実の例を挙げると、イラク戦争では、イラクと米国とでは、どちらが不正義か?と問うた時、答えは中学生でも解ります。しかし、立場とか思想が先にあると、これが見えなくなって、逆のことを考えるのです。
先の日本の戦争にしても、「どの国が本当に戦争を望んでいたか」を問うときには、犯罪を刑事や裁判官が調べるように問わねばなりません。それが出来ている作品や論文は少ないですよ。「お前が望んでいた」「いや、お前の方だ」と双方は主張します。
しかし、どちらの方に、
「戦争目的が確立していたか」
「戦争準備が完了していたか」
「戦争を迫られていた立場であったか」
「方針が定まらず曖昧なことはなかったか」
を調べれば、戦争を望んだ方はどちらかが解ります。
これを、行わずに書かれたものは、意味がないと考えています。
この時期になると戦争を振り返ることが多いので雑音に悩まされます。
白を黒と主張することは出来ます。感情だけで主張すればそういうことも出来ます。
そういうものは読むに耐えられません。
無意味で進歩を阻みます。
貴方はどの様に考えられますか?