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北朝鮮による日本人拉致事件の被害者家族への支援チームが内閣官房に設置され、その責任者(内閣官房参与)に起用されたのが前ウズベキスタン大使の中山恭子氏、元大蔵省キャリア官僚である。
中山氏は1940年生まれで、元通産省キャリアの川口順子外相より1歳年上、東大の卒業年次も2年早い。
しかし、官僚としては、川口氏が順調にポストを上りつめていったのに対し、中山氏は「女性差別」意識の強かった旧大蔵省で苦闘の連続だった。
中山氏は東大文学部で仏文を専攻し、63年に卒業後、1年間の研究室生活を送っている。64年に外務公務員中級試験に合格し外務省に入省するが、国家公務員上級職試験(経済職)を受け直し66年に大蔵省に転じた。
入省後、最初に配属されたのが関税局国際課で、67年に半年間のフランス留学期間はあるが、国際課勤務は7年間にも及んだ。男性キャリアは2年でポストを転々とするのが普通で、川口氏も通産省入省後、2年で新たなポストに回されているのにである。
しかも、中山氏は大蔵省同期入省のキャリア官僚(中山成彬氏、現自民党代議士)と結婚し、69年に男児を出産。育児で残業ができなかったことから2年間、同期入省キャリアより給与を1ランク下に据え置かれたこともある。
その後の昇進も川口氏に比べると数年間は遅れた。中山氏は四国財務局長で退官し、ウズベキスタン大使になるが、両氏の官僚として歩んだ道はまことに対照的だったとみてもいいだろう。
また、性格面でも中山氏は川口氏とはいささか違うらしい。
「中山さんは、自分のことを“落ちこぼれ”と謙遜してましたが、バランス感覚抜群で、ひとの痛みのわかる女性でした」
と振り返るのは、中山氏と同期入省のOBである。
これに対し、川口氏は自他ともに認める「才媛」、ソツのない典型的な官僚タイプという印象を与える。
日本人拉致事件は、解決までに大きな山がいくつもありそうだが、外務省の川口氏、内閣官房の中山氏、この2人のタイプの違う元女性キャリア官僚がどうタイアップするかも大きな課題になるだろう。【生田忠秀】