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(回答先: Re:「反転のJesus」! ピンと来ました。 投稿者 マドオンナ 日時 2004 年 9 月 23 日 06:57:02)
マドオンナさん、レスをありがとうございます。
そして、詩をありがとうございました。
Es(Id)に因む話には語り尽くせぬところがあります。これまでにも、フロイトをはじめとする精神医学者達や心理学者達や生物学者達が所謂生物学的諸動因の解明に腐心してきました。
精神分析学的に表現すれば、Jesusのもつ側面をEgo(自我)に、とりわけMosesのそれをSuper-Ego(超自我)に喩えることができるかも知れません。しかし、Jesus もMosesも内なるSatanを飼い馴らす状況を創り出すことができたのか、甚だ疑問であると思っています。何故それができないか、おそらくSatanこそがEsの本質の重要な部分を占めているからではないでしょうか。
マドオンナさんの投稿を読んだ時、最初にイメージしたのがゴルゴダの丘の風景でした。
SatanがJesusのネガ[Negative]なのか、またその逆なのかはキりスト教徒ではない私にとってはどうでもよいことですが、宅間守の当為はまさしく Satanの振舞いであると映りました。しかし、本来それは善悪の彼岸にあるものだと考えています。ただし、Jesusが人間の罪科を贖うべきポジ[Positive]として捉えて譲らない宗教的・教条的思潮には訝しいものを感じますし、実のところ、キリスト教はSatanを引き受け切れていないのではないかと想われるのです。それ故、現存在としての宅間守はキリスト教をはじめとする宗教の真髄(救済)にたいし痛烈な反問になってしまったがために、葬り去られる運命にあったのではないでしょうか。
宅間守は“反転のJesus”すなわちSatanを表象していると思います。しかし、人類はそれを飼い馴らすこともできず、結局は死刑制度でしか応じることができなかった、そうした現実を突き付けられた事件でした。またそれは、マドオンナさんがexpressされているように、宅間守が己の身体性を以て人類にたいし突き付けた強烈な問いかけと言えるのかも知れません。
今回、マドオンナさんによって又とない示唆を受けたと感じています。ありがとうございました。
また、会いましょう。