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(回答先: Re: 「祟り神」となり我々の上に君臨することになった、宅間 守。 投稿者 マドオンナ 日時 2004 年 9 月 20 日 02:24:23)
>自分を愛さず、世間体を重んじ続けた偽善者
>の親に対する「復讐」という動機・・・・
>ある意味で「時間差自爆テロリスト」と言ってもいいかも知れない。
>己の内なる偽善を甘やかす、全ての者に、「逆転の真理」を伝えたかったのだろう。
>単なる自殺では、己の「生きた証し」「魂の刻印」を世に残すことができなかった
>のだ。そして、彼の両親や、そのメンツを支える世間に、己の「子供の魂の殺人」と
>いう罪の責任の重さを自覚させることもできなかったのだ。
>彼は、完全に目的を果し、心から満足したであろう。
>彼の殺人の動機(=目的)は、「死刑制度の利用」に尽きる。
>自分の行為の結果が何を招くかについて完全に意識してターゲットを置いていたなら、
>それを執行してもらうこと自体には、何の恨みのないだろう。まさに、大成功を収めた
>ということである。
>だが、この「露骨で凄惨な犯罪」は金目当てでも、直接怨恨でもない。
>あくまで、大衆に支持される制度、死刑目当てである。
逃げ道を遮断する「世間」は、まだしかたがないとして、本来 親はどんなことがあっても子を庇うべきものであり、たとえ偏見・偏屈であろうが、徹底的な「えこひいき」をもって 子を庇うから 子は逃げ道があり、心の安寧を図ることができる。 それすらできぬ(わからない)、幼稚なピン呆けした輩が年とともに親となるだけの恐ろしさ。
獄中結婚妻が『諭す』と、「邪魔しないでほしい。もっと僕の精神状態を理解してほしい」と宅間は反論したとのこと。 理解できない半端な「妻」だからこそ、代理で謝罪するのだろう。
執行停止から恩赦まで、あらゆる手段を用いて生に固執する、いままでの死刑囚よりも、『いかにも人間らしい』と宅間が職員から言ってもらえた と得意げに話したこともあるとのこと・・・頷ける。
「祟り神」となるしか 道のなかった、哀れを極めた 第二第三の宅間予備軍は、実は我々の周囲に 沢山いる。