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(回答先: 宅間死刑囚:「死刑で当たり前」と話す 臨床心理士ら会見 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 15 日 01:56:49)
大阪教育大付属池田小で8人の児童を刺殺し、15人にけがをさせた宅間守死刑囚(40)の死刑が14日、執行された。死刑確定からわずか1年という、異例の早さだった。法廷で身勝手な言葉を繰り返し、刑の確定後も、謝罪の言葉がその口から語られることはなかった。
「もう無駄に生きたくない」「これ以上生け捕りにされるのは嫌だ」
大阪拘置所(大阪市都島区)に拘置されていた宅間死刑囚は、昨年9月に死刑が確定してから、関係者に寄せた手紙で獄中の心境をこう書き留めた。
主任弁護人に送った手紙でも刑事訴訟法475条で規定された「6カ月以内」の執行を訴えていた。死刑が6カ月以内に執行されないと、「精神的に苦痛を受けた」として、国家賠償請求訴訟を起こす準備すらしていたという。
また、今の境遇になったのは、過去に入院した精神病院や自分の家族のせいだと考え、「どうせ死刑になるんだったら一矢を報いたい」と賠償請求訴訟を起こす考えも持っていたという。関係者に今年に入って届いた手紙では、「(嫌な思いをさせられた)百のうち一つでも二つでも痛打を与えたい」と記していた。
宅間死刑囚が一時期、反省らしき言葉を語ったことがある。事件直後の01年7月、検察官の取り調べに「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」「たくさん殺せば確実に死刑になるし、道連れは多いほうがいいと考えた」と語る一方で、「全然関係がない子どもの命を奪ったことに対して本当に申し訳ないという気持ちがある」と供述した。
01年12月27日の初公判でも、起訴事実を全面的に認め、弁護団が用意した「生命をもって償いたいと思います」と書いた書面を読み上げた。
しかし、検察官が起訴状を朗読している最中、「座ったらあかんか」とぶっきらぼうに声をあげるなど、その言葉が真意かどうかは分からないままだった。
初公判から半年後に被告人質問が始まると、謝罪の気持ちがないことを明かした。「初公判でなぜ『償う』と言ったのか」と検察側から問われると、「裁判の判決の新聞記事でそういう言葉がよく出てくるから言っただけ」と語った。
被告人質問では自らの半生も振り返り、自己中心的な言葉を連ねた。小学生のころから、思うようにいかないことがあると友達を殴ったり、つばをはいたりしていじめたと話した。中学校時代に父親から金属製の刀で殴られ、「寝ている間に包丁で刺したろかと思った」ことや、事件を起こすまでに離婚や転職を重ねたことなどにも触れ、「世の中、全員が敵だった」と、世間への一方的な不満をぶちまけた。
「なぜ付属池田小を狙ったか」と聞かれると、「勉強ができる子でも、いつ殺されるか分からないという不条理を分からせたかった」と身勝手な動機を述べた。
昨年6月の最終陳述でも、「井の中の蛙(かわず)の、しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方が良かったのかもしれない」と自暴自棄な言葉を言い放った。弁護側が「犯行当時、心神喪失または心神耗弱だった」と刑を軽くするよう求めたが、宅間死刑囚は「死ぬことにはびびっていません」と遺族らの感情を無視した言葉をはき続けた。
宅間死刑囚は昨年12月、西日本在住の女性と獄中結婚。関係者によると、女性は今年に入ってからも面会を重ねたが、そのたびに「夫」が犯した罪の深さを知り、次第に苦悩を深めていく様子だったという。
(09/14 16:59)
http://www.asahi.com/national/update/0914/022.html