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(回答先: 個人発信『ウェブログ』から民主的メディア革命を(上)【hotwired】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 9 月 28 日 22:09:16)
メディア検証コラム:増大する報道不信、変わらぬ影響力【hotwired】
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040707205.html
Adam L. Penenberg
2004年6月30日 2:00am PT 今から6年前、デジタル技術の波はまだ到来しておらず、URLとUFOの区別もつかない人がほとんどだった頃、私は『フォーブス・コム』――当時は『フォーブズ・デジタル・ツール』といった――の編集者をしていた。5月中旬のある朝、上司は私をオフィスに呼びつけ、『ニュー・リパブリック』誌の最新号を机越しに渡すと、ハッカーについて書かれた記事を指さして皮肉っぽくこう言った。「どうしてお前はこのネタをものにしなかったんだ?」
上司の髪型や性格についてぶつぶつ文句を言いながら(そのほとんどは口からでまかせだったが)、私はさっさと自分の机に戻った。しかし、渡された記事を読んだ途端、私もまた、こんな大きな獲物を見逃していたことに茫然とした。
ワシントンDCで活躍する若手記者が書いたこの記事は『ハッカー天国』というタイトルで、悪意に満ちた10代のハッカーがカリフォルニア州にある「大手ソフトウェア会社」のコンピューター・システムに侵入していたことを報じるものだった。ほとんどの企業なら、そういう事実が判明した時点で警察に連絡をするはずだが、この企業の幹部は、そうする代わりにこのハッカーを買収するという手に出たという。
さらにこの記事には、人材エージェントの仲介により、標的とされた企業とハッカーが百万ドル単位の契約を交わすといった行為が横行していること、事態を懸念したネバダ州の捜査当局が「レジの見張りに万引き犯を雇いますか? ハッカーと取り引きしないで下さい」という公益キャンペーン・メッセージをラジオで流したことを伝えた。記事の中で引用されていた法律や政府機関はどれも、私には聞き覚えのないものばかりだった。これは私が記者のくせに知識不足だからに違いないと思いながら、何か新しい収穫があるかもしれないとの期待も込めて、自分でも調べてみることにした。
ここまで話せば、その若手記者というのが、スティーブン・グラス氏のことだと察しがつく人も(ほとんどとは言わないまでも)大勢いることだろう。グラス氏の書いた『ハッカー天国』の記事はでっちあげで、ほかにもニュー・リパブリック誌、『ローリング・ストーン』誌、『ハーパーズ』誌、『ジョージ』誌に掲載された20あまりの記事についても、全部、もしくは一部が捏造(ねつぞう)されていたことが判明している。
何の話をしているのかわからないという人は映画『ニュースの天才』(Shattered Glass)[日本では2004年秋公開予定]を見るといい。この映画は、ことの次第をかなり正確に再現している(ただし、私は映画の中のように、事情を説明しようと同僚の編集者をトイレまで追いかけたりはしなかったし、フォーブス・コムにはロザリオ・ドーソンが演じたアンディ・フォックスのような図々しい記者はいなかった。私の記憶にかけてそう断言しよう)。
私が同僚たちとともにグラス氏の記事捏造事件を報じたときには、1人のジャーナリストがここまで大がかりに世間をだまし通せたということに、多くの人がショックを受けた。これと対照的なのがその5年後、『ニューヨーク・タイムズ』紙が同様に記事を捏造したとして同紙の記者だったジェイソン・ブレア氏を解雇したときの反応だ。ブレア氏は同紙での記者生活について著書『主人の家を燃やして』(Burning Down My Master's House)で告白している。
ブレア氏の取材対象となった人の多くは、米国のメディアにありがちな、薄っぺらくて大げさな報道スタイルにこそ問題があるとして、彼の過ちの数々を受け流した。要するに、報道などどうせそんなものだろうと思っていたので、不平・不満の対象にはならなかったということだ。
悲しいことに、報道の信頼性を揺るがす事件はその後もあとを絶たない。
米軍のイラク侵攻の際、『ワシントン・ポスト』紙は、ジェシカ・リンチ上等兵がイラク軍の捕虜となり解放されたニュースを大々的に報じ、文字通り素手でイラク兵と闘い撃退した英雄的存在としてリンチ上等兵を扱った。残念ながら、この話は真実というよりは神話とでも言うべきもので、マスコミが米国防総省の先棒をかつぐ結果となった。
今年初め、マット・ドラッジ氏は、モニカ・ルインスキー事件に匹敵するほどの人々の好奇心をそそる大スクープになることを期待して、大統領候補のジョン・ケリー氏が実習生と不倫をしていたという噂を流し、マスコミを騒がせた。しかし、この主張はまったくのデタラメだったことが明らかになっている。
今年5月、ニューヨーク・タイムズ紙はまたしても、自らの非を認め訂正記事を掲載するという不面目を演じた。同紙が第1面に掲載したイラク情勢を伝える記事のうち数本について、その正確性に問題があったというのだ(だが、同紙が大切な第1面記事の誤りについて本当に謝罪したいなら、訂正記事を第10面の下半分にひっそりと載せたのはどういう意味なのだろうか?)。
米UPI通信社が5月13日付の記事で触れたある世論調査によると、米国人はジャーナリストの信頼性について、自動車修理工より劣り、政治家とはいい勝負で、中古車のセールスマンよりは少しマシな程度とランクづけているという。私もこの調査結果を引用しようかと思っていた。この記事は多くのウェブサイトに掲載されているものの、UPI通信が最近の調査結果と主張している『ギャラップ調査』はどこにも存在しない(テレビ報道に関するギャラップ調査が1996年に行われているが――あまりに古すぎて今でも有効とは思えない)。
こうした状況を受け、私はワイアードニュースの一員として毎週メディアを検証するコラムを書くことになった。報道ビジネスは今、重大な分岐点にさしかかっている。すべての媒体にまたがってニュースを配信する売り手が爆発的に増加しており、一方でニュースの読者や視聴者は減少してきているため、売り手側の競争は激化している。
インターネットでニュースを読む人が増えているのに対し、新聞の購読者数は減少の一途をたどり、テレビのニュース番組は視聴率向上に苦労している。米国人の5割強が毎週新聞を読んでいるというものの、インターネットに乗り換える人が今では全体の15%を占め、その割合は増え続けている。
それだけでなく、『オンライン出版協会』の最近の調査(PDFファイル)から、テレビを最もよく見るとされてきた年齢層――18〜34歳――の人々は、テレビを見るよりもインターネットにログオンして過ごす時間のほうが長いこともわかってきた。この調査では、この年齢層はインターネットとともに成長した最初の世代なので、彼らの行動パターンが国民全体の将来のメディア利用形態の先駆けになるとの結論を出している。
しかし、ここまでメディアが氾濫していることが、米国人の報道に対する軽蔑の念のもとになっているようでもある。つねに報道にさらされているうちに、報道関係者や報道そのものに対する市民の不信感は増大してきた。例えば、『優れたジャーナリズムを目指すプロジェクト』が2004年に行なった調査によると、新聞報道の正確さを信頼しているという人の割合が、1985年から2002年の間に80%から59%に減少し、これに対応する形で新聞の購読者数も減っている。
だが、最近では悪評が積もり積もっているとしても、メディアはもはや世論を形成する力を失ってしまったと考えてはいけない。本人が認めるか否かにかかわらず、ニュースの読者や視聴者は、新聞で読んだり、テレビやラジオで見聞きしたり、インターネットで見かけたニュースの影響を受けている。
テレビ視聴者が見るまでもないと思っている政治広告でさえ、望み通りの効果をあげている。アネンバーグ・パブリック・ポリシー・センターが行なった調査(PDFファイル)によると、ブッシュ・ケリー両陣営による広告に登場する、相手の候補者に対する誤解を招きかねない主張の数々を信じる人たちが、かなりの割合にのぼることが明らかになっている。両陣営が伯仲している18州で調査に応じた有権者のうち、61%がブッシュ大統領は[米国人が就くべき]職の海外移転を促進しようとしていると言う一方で、46%がケリー候補は「ガソリン税を1ガロン[約3.8リットル]につき50セント値上げしたがっている」とも答えた。こうした両候補に対するイメージは、反対陣営が流しているコマーシャルからしか築かれようがないものだ。
実に奇妙な分裂現象が起きている。ほとんどの米国人が、新聞に書いてあることやテレビで言っていることは信じない――報道機関は通常、事実を正しく伝えていると答えた人は全体の3分の1程度しかいない――と主張しながら、その人たちの意見はメディアに影響され続けている。このおかしな現象を増幅させているのが、何十ものケーブルテレビのニュース番組と何百種類もの新聞、そしておそらくは、ニュースを伝えることを目的に作られた何千というウェブサイトと何百万のウェブログであり、その偉大なる恩恵に浴しているのがメディア・コラムニストというわけだ。
これからの数ヵ月間、私は、既存のメディアのインターネットへのアプローチを検証すると同時に、政治家や企業がニュースを作り出す方法と、受け手の側が情報を処理するあり方を分析していきたいと思う。一部の人たちがニュースの民主化につながると考えている、ウェブログの分析も行なう(私に言わせれば、ブログは単に専門的評論を民主化したにすぎないと思うのだが)。ほかにもメディア界のトレンドについてレポートするつもりだ。
そして、チャンスがあればいつでも、記者が事実を歪めている場合や個人的問題を大げさに取り上げている場合(そんなケースは実際にある)を指摘していく。主として、ますます多くの人が時間とお金を費やすようになったオンライン世界におけるメディアの進化の状態について、厳しい目を向けたいと思っている。
以前、『フォーブス』誌のある編集者が、私に向かって「大げさに表現できないなら書くな」と言ったことがあった。ワイアードニュースでコラムを執筆するにあたり、私は頭の中でこのアドバイスを次のように言い換えようと思う。「ふつうに書けないのなら、大げさな表現はするな」と。
(Adam L. Penenbergはニューヨーク大学の助教授で、同大学ジャーナリズム学部の『ビジネスおよび経済関連報道』プログラムの副責任者も務めている)
[日本語版:藤原聡美/長谷 睦]