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柔らかいデジタル 第19回〜創造の芽摘む、コピーワンスの悪夢【映像や音楽をパソコンで記録あるいは編集がもうできない?】
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/rep01/329939
2004年09月07日 18時17分
デジタル型式で配信されている映像や音楽がパソコンで記録あるいは編集できない暗黒の時代が刻々と迫っている。このまま行けば、2011年には視聴者は天から降ってくる番組をありがたくおしいただきながらただおとなしく座って視聴するしかない不自由な環境を押し付けられることになりそうだ。
音楽CDはコピーコントロールCD(CCCD)に、映像には一回のみコピー可能(あるいはコピー不可)のコピー制御信号が付加され、完全にクローズドなブラックボックスの中に閉じこめられた状態でしか利用できなくなる。2011年には地上波アナログ放送が完全に終了し、地上デジタルテレビ放送に移行するからユーザーに選択肢は残されない。
前回の私のコラム「柔らかいデジタル 第18回〜睡眠不足にさせる、罪なハイビジョンテレビ」で述べたように、特に今後、一般化して行きそうなHDTV(ハイビジョンテレビ)では、一般ユーザーが「個人利用」の範囲内であっても自由な編集・加工が大きく制限されてしまうことになる。
これまでなら、たとえば教育目的に歴史的建造物の概観を写した映像をパソコンでキャプチャし、背景説明をテキストやナレーションで追加し、分かりやすい教材に仕立て上げるといったことが可能だった。あるいは、子供の成長記録に「あの頃流行ったこと」などと題した小コーナーを作るなどといったこともアイデア次第で可能だった。しかし、こうした使い方が今の業界の取り決めの枠組み内ではほとんど不可能になる。「一回のみコピー可能」の制限がついた映像は、著作者人格権を尊重した上で、別のコンテンツに切り張りし、新しいコンテンツを創造することは、難しい。特に、パソコン内で加工編集できるようにすることに対するコンテンツ所有者の過剰とも言える防衛意識が、こうした利用方法を片っ端から潰している。
私はこれまでパソコン系の雑誌編集者として、マルチメディアコンテンツの創作の楽しみをずいぶん喧伝してきた。絵筆を持つ人は自らの体験を自分の中で消化してキャンバスに再構成する。パソコンなどのデジタル機器を使いこなす人は、映像や音楽を自分の表現に取り込んで新しい創造を楽しめば、デジタルライフスタイルの幅が広がる。こうした楽しみは過去20年、熟成されてきたわけだが、いよいよ花開くときに、根底から押し潰されようとしているのだ。
デジタル時代にふさわしい枠組みを
誤解を招かないように、強調しておきたいことがある。私は再利用がタダで自由にできる世界を求めているのではない。これまでのアナログの世界では確かに、映像の再利用などを行っても誰が何回使ったのか管理できず、著作権法上も「個人利用の範囲なら黙認します」という立場がとられていた。個別の課金も効果的な手法はほとんどなかったといっていい。
しかし、デジタル配信の世界になれば、誰が何回、どのような形で利用するのか、確実にトラッキングし、管理する仕組みも作れる。こうした仕組みを用意して、がちがちに隠してしまうのではなく、有料で配信する考えを取り入れれば、ビジネスにも広がりが出てこよう。
創造の翼を完全に切り取ってしまう今の取り組み方では、せっかくの豊かな生活を演出できるデジタルプラットフォームを不毛のものにしてしまう。「柔らかいデジタル 第17回〜デジタル時代にそぐわないどんぶり勘定」でも言及したように、新しい時代ならではの取り組み方を模索して行くべきときに来ている。
デジタル時代の著作権
そもそも、日本のデジタルテレビが課している「一回のみコピー可能」の根拠は日本の著作権法の規定から来ているものではない。著作権法は残念ながら、デジタル時代のコンテンツ流通や、そこでの運用方法について、まだ全く議論するところまで来ていないといっていい。当然ハイビジョン映像を個人利用でどう考えるべきなのか、それは今後の重要な検討項目ともなっているが、いつそれが盛り込まれるかはまだまだ数年先のこととなりそうだ。
あの「一回のみコピー可能」の制限は、何らかの法的な根拠をもとに策定されているのではなく、放送業界が懸命に作り上げたコンテンツをいかにしたら守れるかを、業界内で議論した結果の産物だ。その意向をテレビメーカーが尊重しながら、設計すると今のような形のテレビ、HDDレコーダーとなる。そこにはユーザーのより豊かなライフスタイルを演出しようとする意図は、残念ながら全くない。
問題なのは、自由な編集加工ができないことではなく、お金を払っても利用したい、あるいは保有したいと思っても、それを許諾する仕組みが用意されていないことだ。そうした枠組みを盛り込んだ新しいデジタル時代の著作権法が一日も早く整備される必要がある。
アナログ時代ならいざ知らず、デジタル時代には利用したいレベルにより、柔軟に許諾を与える仕組みが作れる。そうすることにより、クリエイティブな精神は解き放たれ、そこに新しいビジネスも生まれてくる。あらゆるコンテンツがデジタルで配信されるようになる20xx年に、ユーザーを窮屈な環境に押し込まわないよう、柔らかいデジタルの発想でもう一度考え直してもらいたいものだ。(日経BP社 編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追求、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
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柔らかいデジタル 第18回〜睡眠不足にさせる、罪なデジタルハイビジョンテレビ
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep01/326916
2004年08月24日 14時35分
アテネオリンピックの日本勢大躍進でさぞや寝不足症候群がまん延していることだろう。これを機に高画質のハイビジョン映像で楽しみたい、と薄型デジタルテレビを奮発、さらに「デジタル放送録画可能!」と銘打つDVD-HDDレコーダーも用意した人でもその事情は大差ないかも知れない。ほとんどのDVDレコーダーではハイビジョン映像は録画できない。観客の表情までくっきり映し出されるハイビジョン映像を楽しむには、放送時間に合わせて、テレビの前に座らなければならないからだ。
見る人の自由を徹底して奪うコピーワンス
「デジタル放送録画可能!」と銘打ったDVD-HDDレコーダーであってもデジタルハイビジョン(HD)映像がそのままは録画できないということ自体きつねにつままれたような気にさせられる。最終的に番組を保管するメディアであるDVD-RWなどの容量が少なすぎて、ハイビジョン映像を撮るのは現実的でないというのがメーカーの考え方らしい。しかし、デジタル放送の大きな魅力であるHD映像が撮れないのに「デジタル放送録画可能!」と謳うのは消費者に大きな誤解を与えている。
さあこれで心おきなく日本人選手の活躍が高画質で堪能できるはずと「デジタル放送録画可能!」なDVDレコーダーで録画してみると、なんのことはない、単に普通の映像に品質を落とした映像が録画されるだけ。こんなことなら大枚はたいてデジタルハイビジョンテレビなんて買う必要はなかった、普通の地上波アナログ放送を見ているのと変わりはしないと悔やんでいる人も多かろう。
結局のところ、せっかく買ったテレビでデジタルハイビジョン映像を楽しむには、放送時間に合わせて早朝までテレビの前に座っていなければならない。デジタル化って人の睡眠時間まで奪う過酷な波なんだなあというぼやきが聞えてきそうだ。(※注)
一般の「デジタル放送録画可能!」なDVDレコーダーの場合、地上デジタルやBSデジタルで放送されている「1回限りコピー可能」な映像は、従来のテレビと同品質のスタンダード映像(SD)に変換したのちハードディスクに録画、それを保管しておきたいならCPRMという著作権保護の仕組みに対応したメディア(DVD-RWもしくはRAMなど)にだけ移動できる。しかし、これを従来のテレビやビデオをパソコンで編集していたように、タイトルを付けたり、付加映像と組み合わせて自分のオリジナルライブラリにすることはできない。
数少ないハイビジョン映像のまま録画ができるシャープのDVD-HDDレコーダー(DV-HRDシリーズ)でも一旦はハイビジョンで録画したものを、DVD-RWに移す段階でSD画質に落とさざるをえない。しかもその時点でオリジナルのハイビジョン映像は消し去られてしまう。DV-HDRの最大容量版は400GB。ハイビジョン映像をそのままの高画質で録画すると約34時間録画できるが、オリンピックのようにあれもこれもチェックしたい競技がたくさんある場合には、保存しておきたい映像はDVD-RW化して外に取り出しておかなければならない。しかし、ダビングしたその瞬間、オリジナルの高画質映像を捨てる決意をしなければならない。どうしても高画質のまま保管しておきたいのならD-VHSかブルーレイ・ディスクレコーダーをもう一台用意しなければならない。
こうして、「1回限りコピー可能」なデジタル映像は使う人の自由と財を徹底して奪っている。
「録画すること」が目的ではない
現在人は忙しい。放送時間帯に十分な時間が割ける人は少ないだろう。一日のうち少しずつ細切れで空いた時間に、どうしても見たかった番組をさっとスキャンするように早送りで見てしまいたいというのが忙しいビジネスマンの願望だろう。夜10時過ぎに帰宅して、一風呂浴びたあと、10時40分ごろから10時のニュースを追いかけ視聴したい。その間に電話がかかってきたりするから、しばらくポーズもさせておきたい。そういう視聴スタイルを取りたいからHDDレコーダーを用意するのであって、決して「録画して取っておきたいから」録画しているのではないということをメーカーの製品企画担当者はそろそろ分かっても良さそうなものだ。
実際、さまざまなメーカーに聞くと、DVD-HDDレコーダーを購入した人で、撮り溜めた映像をDVD-Rにしてまで保存しておく人は少ないのだという。ニュースでもドラマでもスポーツでもさっと早送り、見たいものを見てしまえば満足、あとは、どんどん新しい番組を録り、前の番組は消去してしまうといった利用者が多いのだそうだ。
ハードに追いつかないソフトウエア
ところで、一昔前のデジタル機器のありようから一転してしまったことがある。利用術を含めたソフトウエア技術全般がハードウエアの進化に追いついていないことだ。
かつて、DTPという新しい利用分野を切り開いたPostScriptや、動画情報を管理するQuickTimeの登場を思い起こしてほしい。いずれも誕生前後はCPUの処理性能などが追いつかず、実用性に乏しいといった反応がユーザーからも機器の供給サイドのメーカーからも大きく巻き起こったものだ。いくら精細なグラフィックスイメージが印刷できようとも、1枚数分もかかるようではとても使えない、パソコンで動画が再生できたとしても、切手大の映像がぎくしゃく動くんじゃねえ、といった否定的な意見だ。
しかし、そうした「重い」ソフトウエアも、ハードの進展で見事な実用性を発揮、今ではほとんどの書籍がPostScriptによる出力で印刷され、映画までもパソコンで制作される時代になった。先見の明のあるソフトウエアが新しいマーケット、新しいビジネススタイルを見事に生み出した。
一方で、デジタルハイビジョン映像はPCで自在に扱えるハードウエアが豊富に揃う時代となっているにもかかわらず、これを編集し、加工し保管するソフトウエアが提案されていない。放送業界が自分たちだけの権利を守るため、視聴者の利便性、権利を踏みにじっている結果、それを上手に扱わせるソフトウエアが生み出されないでいる。
かつてハードウエアの進化を牽引していたソフトウエアが、全く逆の存在となってしまった。ソフトの停滞は、デジタルライフスタイルの創造において、完全なアイデア不足を意味している。
肖像権が自分にある映像も編集・保管できない
事態のばかばかしさを理解していただくため、ちょっと極端な例を考えてみよう。
家族、あるいは友人、先輩、後輩が登場するシーンを、ハイビジョンのままライブラリにしておきたい、などという特別な理由がある場合も現在のところ保存、加工はできない。極端な話、自分が登場した場面だけでも切り出して、きちんと整理しておきたいと思ってもそれはかなわない。もちろんD-VHSやブルーレイディスクレコーダーに取り貯めておくことはできるが、1枚1枚ラベルを貼り、紙のノートかパソコンのデータベースに管理台帳を作って整理するという一時代前の仕組みを使わなくてはならない。
今あげた話は極端な例かも知れないが、肖像権は自分にあるのに、自分ではそれを編集することも加工することもできないようながんじがらめの規制はどこかおかしくないだろうか? コンテンツ制作者側の発想だけを押し付けると、実に一方的な文化の押し付けになる。しかも、それが文化の蓄積に貢献しないことをそろそろ気付いても良いのではないだろうか?
普通のビデオ映像なら、話は簡単だ。ビデオキャプチャーしたムービーファイルを編集ソフトで思い通りに切り張りし、好みに合わせてテロップや、追加の情報画面を配置して、自分なりのムービーを仕上げ、保存することが自由にできる。
最近はFirewireあるいはiLink(IEEE 1394)やUSB 2.0で接続できる大容量ハード・ディスクなどが簡単に、しかも極めて安価に手に入る。こうした大容量外部記憶装置に編集済のファイルをため込んでおけば、いつでもワンキークリックで呼び出せる。1万円あれば100GB手に入る時代だ。こんな便利なディジタル生活ができるところまで来ているのに、デジタルハイビジョン映像になり「一回限りコピー可能」制限が加わった瞬間、望み通りの編集、保存は一切できなくなる。素晴らしい技術を目の前に、手を縛られた状態となる。
自分で作った映像もライブラリ化できない
友人のテレビ局プロデューサーに笑い話を聞いた。
自分で丹精込めて制作したハイビジョン番組をライブラリ化しようと思ったが、自分の番組をきれいな状態でディジタル整理しておけないのに唖然としたというのだ。もし、SDと同じように編集後のファイルを大容量のハード・ディスクに蓄えておけば立派なオンラインカタログができるのにとお嘆きの様子だった。
放送業界自らが作った規制に自分の首を絞められる。自分で使いもしない人たちが頭だけで、規制案を練り上げるからこんな結果になる。
前回の記事「デジタル時代にそぐわないどんぶり勘定」にも書いたが、いまやITをうまく活用すれば、再利用したいコンテンツに適正な課金を行うシステムをつくりあげることも可能となった。しかも、新しく制作するデジタルハイビジョン映像となれば、古い映像でよくあった権利者が誰か分からないといったばかげた問題は無くなる。今作っている映像に関わった権利者一人ひとりをメタデータとして管理しておけば、再利用時に適正な配分を行うことができる。
あるいは、米国のようにインターネットへは除外して、個人利用に限りコピー可能、商用利用はきちんと課金、という行き方も良いかも知れない。
デジタルハイビジョンテレビを楽しむのがこんなに不便だということがユーザーの多くが気が付くことになったら、ぴたりと売れ行きが止まってしまうことになるだろう。実は多くのユーザーはハイビジョンテレビなんか特別に欲しくはないのだ。狭い日本家屋や独身者のワンルームマンションには、50インチや60インチはそもそも大きすぎる。20〜30インチもあれば十分だ。そのサイズなら地上波アナログのSD映像でも美しい映像が楽しめる。
鍵をかけるばかりで自らのビジネスチャンス、そして成長の余地を潰しているのが日本の「1回限りコピー可能」規制だ。今からでも遅くはない。柔らかいデジタルの発想で、ユーザーには利便性を、ビジネスサイドには新しいマーケットの創造力をもたらす方向にまい進していただきたいものだ。(日経BP社 編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
※注:デジタルハイビジョンを高画質な「ハイビジョンのまま」長時間録画できる機器は、現在、極めて限られている。特定機種専用ではなく、汎用機器として販売されている唯一の製品がシャープのデジタルハイビジョンレコーダー、DV-HRDシリーズ。アイ・オー・データ機器はハイビジョン映像をデジタルのまま記録できるRec-POT Mを販売しているが、東芝のデジタルハイビジョンテレビにつなぐ以外は追いかけ再生ができない。ソニーも同種のハード・ディスク・レコーダーを10月に発売する予定だが、同社のベガのうち特定機種でしか使えない。なお、メディアに単に保存しておくためにはD-VHSやブルーレイディスク・レコーダーがあるが、追いかけ再生、長時間の番組をいくつも保管しておくなどができない。
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追求、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
柔らかいデジタル 第17回〜デジタル時代にそぐわないどんぶり勘定
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep01/325296
2004年08月16日 11時38分
ネットワークを通じた音楽配信ビジネスが世界各地で確実に存在感を増してきた。米国ではiTunes Music Storeが1億曲目のダウンロードを突破したし、英国、フランス、ドイツで始まった同サービスは競合サービスの16倍に上る快調なペースで音楽配信を続けている。一方日本ではこのiTunes Music Storeは商習慣の違い、法整備の遅れ、既得権益をもつ業界同士の対立などから参入を阻まれたまま、膠着状態が続いている。
新しいデジタル機器の登場に完全に取り残された法令
ネットを通じての音楽配信を阻んでいる法整備の遅れはあらゆる方面に及ぶ。なかでも目立つ端的な例が「私的録音補償金制度」。この制度は個人で音楽を楽しむ目的でMDなどのデジタル録音機器に楽曲をコピーすることを認める代わりに、権利者(作曲家や作詞家などの著作権者、歌手や演奏家、俳優などの実演家、レコード製作者)に対して補償金を支払うという制度だ。「私的録音補償金」は音楽専用の録音機やメディアに対して価格に上乗せして課金され、権利者に配分される。金額はカタログなどの表示価格に対して機器本体の場合約1.3%(上限1000円、録音機能2基搭載の場合1500円)、媒体で約1.5%だ。MDで計算すると1枚あたり約3〜4円程度となる。
補償金の支払いの対象となる具体的なデジタル方式の機器や記録媒体は政令で指定することとされており、現在までに政令指定を受けている録音目的の特定機器及び特定記録媒体は、次のとおり。
DAT(デジタル・オーディオ・テープ・レコーダー)
DCC(デジタル・コンパクト・カセット)
MD(ミニ・ディスク)
CD-R(コンパクト・ディスク・レコーダブル)
CD-RW(コンパクト・ディスク・リライタブル)
これを見ると、明らかに違和感を感じる読者が多いことだろう。よほどのオーディオマニアでも、今どき、DATで音楽をダビングして聴く人は珍しいし、そもそもDCCってななに? と思われる方も多いだろう。その一方で、急激に利用者を増やしているメモリーカードやハード・ディスク搭載のハンディな音楽プレイヤー、たとえばiPodに代表されるような機器が含まれていないのは、いかにも時代錯誤の感が強い。
パソコンはCDから音楽をリッピングできるのにその対象に入っていない。理由は簡単だ。そもそもこの「私的録音補償金」の趣旨として課金対象機器は、主たる目的が音楽録音である機器と定めているからだ。この制度が発足した1992年当時、パソコンで音楽を取り込み、CD並の音質で鑑賞することなど考えられなかったために、これも当然だったのかもしれない。しかし、その後、大きな見直しが行われていないのは不可解でもある。
権利者側はCDが取りこめるパソコンに関しても課金すべきとの意見が強い一方、汎用機器であるパソコンなど供給しているメーカーは機器の値段に反映してくる「補償金」には強い抵抗感を持っている。実は2003年1月、文部科学省に置かれた文化審議会の著作権分科会ではこの「私的録音補償金制度」の見直しを検討したことがある。しかし、権利者と機器供給メーカーの間での距離があまりに遠くて、提言を出すに至っていない。
そもそも、利害関係者の意見調整ができていないのだからこれだけ早い技術革新について行けていないのもうなずける。
業を煮やした米アップルコンピュータはiPodに関しては補償金を払っても良い、という考えを示している。しかし、制度的に受け入れる体制になっていないために、事態は膠着したまま、互いに交渉の場を持つことさえできていない状態だ。
どんぶり勘定はもう脱却すべき時
この「私的録音補償金」の金額が妥当かどうかについては、また別の議論が渦巻いている。ユーザーによって録音回数が異なるのに、一律課金でいいのか、極端な安売りがされることの多い媒体に表示価格ベースで課金するのは不自然といった反論である。
さらに根の深い問題は、一律にユーザー、メーカーから徴収した補償金を権利者団体を通じて権利者に「配分」してしまう乱暴な方法にある。配布は前年度活動の実績による。しかし、実際にどんな曲がどれだけ聴かれたかとは関係なしに配布されていることになり、新進気鋭のアーティストやレコード会社などは大いに割を食っていることになる。
iTunes Music Storeはダウンロード購入した曲が5台のPCで聞けるが、これは1曲1曲がどこの誰が購入しているかをサーバー側で逐一管理しているからできることだ。こうしたガラス張りの販売ができ、それに対して適正な対価が権利者に確実に支払われるというビジネスをアップルが提供したから、各レコード会社、アーティストは気持ち良く協力関係を結んできた。
こうした膨大なデータをきっちりと管理してくれるのがデジタルシステムだ。もう、どんぶり勘定を前提とした仕組みを作るときではない。極端な話をすれば、誰が何回聞いたかできちんと公平に課金し、それを権利者にきちんとフィードバックするといった新世代の権利処理システムがデジタルででき上がるはずだ。これからの議論は、音楽録音再生には使わないかもしれない機器へもうむを言わさず課金するといった乱暴な方法ではなく、誰もがきちんと使用料を払い、権利者が応分の対価を受け取れる仕組みとなるべきだ。
世界で一番窮屈な国にならないために
日本のレコード会社の多くはダウンロード販売をする場合であってもiTunes Music Storeのような仕組みとは相いれないという意見を持っている。一旦ダウンロードしたファイルは個人利用を前提とする限りCD-Rに枚数無制限で焼けるというiTunes Music Storeの方針が受け入れがたい要因だという。しかし、枚数無制限で焼けるのは、利用者本人のみ、他人にファイルを転送してしまえば、そのファイルは無効となってしまう機能が組込まれている。利用者が自身で他人にCDを販売するなどといった犯罪を犯す場合は別だが、正しく料金を払って音楽を聴きたいというユーザーも多い。そういう新しいビジネスモデルを待ち望んでいる善人まで犯罪者予備軍として扱おうとする権利者団体は、欧米のデジタルライフスタイルがどこまで進んでいるか謙虚に受け止めるときが来たことを認識しなければならないだろう。
さらに、私の経験、あるいは周囲のユーザーの行動を見て言わせてもらえば、こうした便利なハード・ディスクプレイヤーを使う人はいまさらCD-Rに音楽を焼きはしないだろうと思われる。
1万曲を取り込んだあと、ジャンル、アーティスト名、あるいは自分で設定したシチュエーション別プレイリストを瞬時に選びながら聴ける装置を手に入れた人が、いまさら何枚もの「お気に入りCD」を焼いて、取っ換え引っ換えCDプレイヤーにかけるだろうか? あるいは、車に何10枚ものCDを持ち込む気になるだろうか? やはり、車に持ち込んだiPodをクルクルっと操作して、その時の気分に応じてお気に入りの曲をかけるだろう。もしデータのバクアップが必要に思えたら、DVD-Rにデジタルファイルのままコピーしてバックアップするだろう。これはあくまでもデータの保全用バックアップだから、課金対象にすること自体おかしいだろう。
このようなことを考えて行くと、業界全体として、CDに焼けることを問題にするよりも、どんな曲が何曲ダウンロードされたのかを確実に把握して、確実に権利者に利潤が戻って行く仕組みを考える方がどれほど有意義なデジタルライフスタイルが送れるようになることか。本当にリーズナブルな料金体系と一般の人に理解してもらうには、現在の一曲一律何円という料金体系は変えなければならないかもしれない。お気に入りで毎日聴く曲には年間数100円、1回しか聴かなかった曲は数円といった料金体系でも提示すれば理解してもらえるだろうか?
世界で一番不便で楽しめないデジタル家電王国とならないために、法整備を含めて振り出しから考え直すべきときに来ているようだ。必要なのは柔らかいデジタルの発想だ。自分個人のパソコンなら5台まで転送して自宅の別の場所でも聴ける、ネットワークを通じてやはり、別の部屋でも楽しめるという柔らかい発想が新しいビジネスチャンスを創り、素晴らしいデジタルライフを創り出すのだということに気付く時がきた。(日経BP社 編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追求、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
柔らかいデジタル 第9回〜情報発信ビジネスの枠組み変えませんか?
http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=297394&FORM=biztechnews
これから20年、30年先、よほど特殊な事情がない限り、紙での情報提供から、主にデジタルで行われることになることはどなたも異論がないだろう。これから貴重な紙パルプ資源を消費する形で新聞や雑誌、書籍が発行されることは徐々に少なくなるだろう。一方で、記録あるいは通達のための情報伝達は既に今でも多くはデジタルで行われるようになってきている。30年後には、高価な美術本、和紙に絵筆を走らせたような工芸本などは別として、一般的な書籍、雑誌は200dpi以上の高精細な電子ペーパーやPCの広いディスプレイで読むスタイルに移行していることだろう。
もう現在既に、PDF形式で仕上がりイメージにしたもの、あるいはアプリケーションソフトで作られたネイティブファイルがネットワークを通じて飛び交い、改ざんやなりすましに備えたデジタル署名付きファイルも日常的に使われるようになってきた。特に音楽ファイル、映像のストリーミングなどには収益モデルと合体させたさまざまな手法が試みられており、ちょうど街のレンタルビデオショップで好みのビデオを借り出してくるような気分で、短い映像を手に入れて楽しむこともできるようになってきている。
しかし、意外と穴になっているのが、テキストの配信システムだ。たとえばここ、「nikkeibp.jp」サイトのように旬の情報を大量に発信する際に、一つ一つのコンテンツを立ち読みしてもらい、気に入ったら、たとえば一日間だけ無償で読んでいただく。さらにそれが役に立つと判断され、社内のビジネスプレゼン資料に引用したいとなれば、簡単な登録作業を行うだけで、小額の決済が行われ、たとえば30部だけプリントができるといった仕組み。こうした仕組みの存在は寡聞にして知らない。
時間経過すれば自動消滅。しかし、回復可能
スパイ映画によく出てくるシーンがある。テープなど媒体に納まった上層部からの指令を聞き終わったら、他の人間に渡ってしまわないよう、媒体ごと消えてしまうというシーンだ。聞いている人間が誰かを厳密に確認せずに再生し、消えてしまうという(ように見える)仕組みでは確実な情報伝達はできそうにもないが、それは昔の映画のことと笑っていただくとして、デジタルの世界ではもっときめ細かい制御が可能になる。その情報が読める人を特定することはもちろん、再生させる方法やそのレベルも細かくコントロールできる。
スパイ映画ならケムリと消えてしまう媒体も、コンピューター上なら再登録の手続きをすれば、元通り読めるように復元できるようにしなければならない。せっかく購入した情報が手元の端末の不都合で読めなくなるといった事故は避けなければユーザーの権利を侵害してしまうことになる。
テキスト情報でも、立ち読み時点では「薄く」表示させ、ちゃんとユーザ登録した人へはきちんと全文読めるようにするといったこともできる。読出した後、時間を区切って閲読可能とすることもできるし、リーズナブルな料金を払った人には文面のコピーや印刷も回数制限しながら許可することもできる。
こんな仕組みがテキスト配信システムにも加われば、情報発信をなりわいとする事業者、個人が安定的に業務を継続させていくことができるだろう。テキスト情報だけに、一旦文面をコピーして、他のアプリケーションに持っていってしまえばコピーフリーとなってしまう可能性もあるが、それを避けるためには、それらの仕組みを統合的に管理運用するフレームワークが必要になる。
そのフレームワークは、システム規模で作ることもできるだろうし、特定のアプリケーションを作り上げることでも可能となるだろう。最近は常時インターネットにつながっている環境が増えてきているので、Webサービスで実現するのも手かもしれない。しかし、実際の閲読はネットから切り離し、持ち歩くことが一般的だろうから、Webサービス+ローカルアプリケーションとの連携という姿が美しい。
Adobe Acorobatで一部解決できるかも
こんなソリューションをAdobe社のAcrobat技術が一部解決してくれそうなことは、ご承知の通りだ。無料で配布されているAdobe Readerで読めるPDFを、Document ServerとPolicy Serverで閲覧形態をコントロールする。記事単位でコピーコントロール、印刷コントロールも可能だ。
元になる情報をXMLデータベースに格納しておき、そこから読者が必要な情報をダイナミックにとり出してきて、既製のテンプレートに貼り付けて読者に供する。こうした情報発信の仕組みをAdobe社ではIntelligent Document Platformと呼び、今、事業の柱の一つとして大事に育てている。
3月5日、来日した米Adobe Systems社長 兼 最高経営責任者(CEO)のブルース・チズン氏は、筆者の「20年、30年先を見据えたドキュメント管理、発信の仕組みはどんなものになるのか」との質問に対し、「XMLベースのデータベースに納めた情報素材とダイナミックに連携させた、Intelligent Document Platform作りをさらに積極的に進め、ドキュメントの永続的な管理、そしてリアルタイム性に富んだ情報発信の仕組みにしていく」と答えた。
今後、こうしたビジョンのもと、仕組み作りが進めば、ユーザーにも利便性の高い記事閲覧、購読システムができる可能性がある。しかし、問題は発信者側が持つべきインフラが大規模になりそうなことだ。潤沢な資金をつぎ込んで大々的に情報発信を行っている企業ならいいざ知らず、スタートアップ企業や個人にはなかなか手を出しにくい状況がある。
「立ち読み」がしにくいのも難点かもしれない。今のところ、PDFでは内容をざっと確認することができないため、立ち読み用のファイルを別途切り出しておかなくてはならないなど、発信者、受け手側双方にとって利便性が失われている。
汎用的なアプリケーションができれば、大きなビジネスチャンス
昔、Macintosh向けにハイパーカードというアプリケーション開発兼実行環境があった。これはさまざまなマルチメディアデータを内包させたアプリケーションが開発できる環境で、提供されていた時代には実に多種類のコンテンツが世に出ていた。個人の日記、教育用コンテンツ、そしてさまざまな情報データベース、企業のワークフローコントロールアプリケーションとまさにアイデアが溢れるアプリケーションがたくさんあった。
特徴はデータと実行環境が一つになっていることで、コンテンツの表示を薄くさせたり、透かしを入れて見せる、ネットに接続してライセンスを購入すれば、すべて印刷できるといったコントロールがすべて自由自在にできることだった。アプリケーションそのものがコンテンツとなっているからこそできる芸当だった。
これと同じことを、Javaを使えば実現できる。実行環境は幅広いプラットフォーム上に存在するから、振舞いを記述し、データをくっつけて配付すると、配信者、受信者ともに満足できる仕組み作りが可能だろう。
リーダー部分、および表示コントロールの部分は別のアプリケーションとして配付しておき、コンテンツだけ配付する仕組みを形成してもいいだろう。これなら受け手の負担が軽減される。リーダーをPDAや携帯にも対応させることは簡単だから、クロスプラットフォームでサービスが展開できる。
うまく作れば、ニュース記事などをちょうどiTunes Music Store で音楽を買うような感覚で読んでもらうこともできるかも知れない。特定のキーワードを組み合わせて音楽ライブラリを検索、あれこれ試聴しながら、気に入った曲を選び出すといった作業、これと同じことが記事閲覧でもできたら、面白いだろう。
この仕組みをオープンソースで世に広く行き渡らせたら、情報配信の世界は大きく変わるだろう。そこには大きなビジネスチャンスもある。どうです、どなたか、やってみませんか? すぐに取材にはせ参じたいと思う。
(日経BP社編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追及、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
柔らかいデジタル 第15回〜やっぱりテレビは嫌いなんだな、Steve Jobs
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep01/319531
2004年07月14日 15時07分
パソコンを真ん中にしてさまざまな情報家電製品をネットワークで結び、デジタルコンテンツを思いっきり楽しむ「デジタルハブ」構想をパソコン業界で初めて打ち出してから3年。HD(High Definition)ビデオもリアルタイム編集できるソフトとハードを持ち合わせている米Apple Computer社が64ビットOSのプレビューを行う。これはきっと、HDビデオも含めて、iTunesと同じようにユーザーのわがままを思いっきり受け入れてくれるイノベーションを必ずや見せてくれるのではないかと大いに期待して、最前列に陣取ったのだが、期待は見事に打ち砕かれた。
からだの前で手のひらを合わせ、少し前かがみになりながら大股でゆったりとステージを歩き回る米Apple ComputerのSteve Jobs CEO(最高経営責任者)。口をついてなめらかに滑り出してくる辛辣なMicrosoft批判は、相手を罵倒するでなし、なじるわけでもなかったが、痛烈なパンチとなり、集まったアップル関連開発者の琴線をくすぐり、喝さいが巻き起こる。
久しぶり(といっても5ヶ月ぶりだが)に目の当たりにしたSeve Jobs CEOの弁舌はまさにさわやかなもので、来場者の心を直接ぐいっとつかんでしまう魔力に溢れていた。6月29日、世界44カ国から3500人のアップル関連開発者を集めて開かれたWWDC 2004。デスクトップパソコン向けには世界初の64ビットOSとなる「Tiger(タイガー)」のお披露目発表会の様子である。(関連記事 )
iTunesのビデオ版、まだだろうか?
会場に居合わせた私が、ひそかに期待したのは、業界で最初に「デジタルハブ」構想を打ち出したSteve Jobs CEOが構想から3年目でどんな「次世代デジタルハブ」ビジョンを打ち出してくるのかということだった。特に日本市場でのテレビパソコンの台頭ぶり、HDD-DVDレコーダーなどを筆頭とするデジタル家電の盛り上がりぶりを目にしていると、そろそろ「音楽・ビデオ」に一日の長を持つAppleからやはり何らかの動きが出てくるのではないかと期待したのだ。
デジタイズした音楽曲ファイルをユーザーの好み通りに管理するiTunesと、これまたユーザーの思い通りに曲を探し、30秒間ながら曲調を確認し、ワンクリックで購入できるiTunes Music Storeの無敵の組み合わせで音楽市場を席巻しつつあるAppleだから、ハード・ソフトの仕掛けさえ揃ってくれば必ずや「iTuneのビデオ版」が登場するはずだ。
基調講演半ばでは、PC向け高精細液晶ディスプレイで世界最大級の30インチディスプレイ(Apple Cinema HD Display :2,560×1,600ピクセル)が飛び出し、これでエンドユーザーにとってはもったいないほどの、コンテンツクリエイターにとってすら十分に満足できるすべての道具立てが揃ったと思えたが、「次世代デジタルハブ構想」はついに飛び出さなかった。
部分的にはHDクオリティのムービー(1280×720ピクセル、24pないしはフルHDの1920×1080、24p)を通常のビデオ映像(SD)と同程度の帯域幅(5〜9Mbps)で再生させるQuickTimeの機能拡張、H.264/AV(Advanced Video Coding)などをデモしてみせたものの、残念ながら要素技術をデベロッパーに開示したに留まった。
かねてからSteve Jobs CEOが言っているように、Appleは「ただ垂れ流すだけのテレビを見ている人の脳はスイッチが切れている。我々は自ら情報を追い求める人、すなわち脳にスイッチの入った人をサポートする機器を提供する」企業だ。ビデオファイルをメタデータなどからきちんと管理できる仕組みを誰も示せていない今、そこに飛び込んで行かない判断は当然だろう。
情報家電メーカー、ハリウッドとの連携見えず
しかし、この沈黙は逆に何かを示唆するものに見えてくる。
WWDC 2004が開かれた前週の2004年6月22日には折しも、家庭内の情報家電をパソコンを含めたデジタル機器にシームレスにつなぐための業界標準を目指す製品設計ガイドライン「ホーム・ネットワーク・デバイス・インターオペラビリティー・ガイドライン ver.1.0」が発表された。このガイドラインはDLNA(デジタル・リビング・ネットワーク・アライアンス、旧DHWG:デジタル・ホーム・ワーキング・グループ、2003年6月設立)が約1年、60人近い技術者の知恵を結集して作り上げた労作だ。ver.1.0は、とりあえずの手始め版ということで、個人で使うだけなら著作権保護に対する考慮をしなくてもよいコンテンツに関してだけまとめたガイドラインだ。今後HD映像など、ハリウッドがガチガチの制約をかぶせようとしているコンテンツにも手を広げて行くことになる。
DLNAはソニー、米Intel Corp.、米Microsoft Corp.など16社の設立メンバーを中心に約140社が集まって活動を続けてきたDHWGが、家庭内の情報家電ばかりではなく、カーAV、カーナビ、携帯機器も守備範囲に入れたいとの思惑から、発展したものだ。しかし、この140社の中にはAppleの名は無い。一部で模索の続く情報家電とPCそしてネットワークとの融合の動きに、あえて背を向けるAppleはiTunes、iPodで見せたような、独自の世界観で何かを実現しようと、虎視眈々と狙っている。幾多の情報家電メーカー、そしてハリウッドとの連携を一切示さないAppleの動きはかえって特異に見える。
「ファインディング・ニモ」(Disney/Pixar)のような超収益源となるコンテンツを自ら作り出せる(Pixar の)Steve JobsCEOがビデオの世界でもiTunes〜iPod〜iTunes Music Storeのような極上の柔らかいデジタル製品を解き放つ日は近いと見たが、いかがだろう。(日経BP社編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追求、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
柔らかいデジタル 第10回〜公的個人認証サービス、社会生活基盤に向け一歩前進
http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=300251&FORM=biztechnews
誰もが利用できなければならないはずの公的個人認証サービスが、利用パソコンの機種によっては使えないという重大な穴がある問題に、ようやく一歩前に進む動きがあった。公的個人認証サービス都道府県協議会が運営する「公的個人認証サービス ポータルサイト」の「よくある質問」の中に、「現在のウィンドウズ版に加え、マッキントッシュ版利用者クライアントソフトの開発について、公的個人認証サービス都道府県協議会の平成16年度事業にて優先的に取り組む方向で、具体的な方法などを検討する」という「回答」が掲載されたのだ。
2004年1月29日に始まった公的個人認証サービスはいよいよ第2フェーズに入る。国が進めてきたさまざまな仕組み作りは、今後地方自治体の手にゆだねられることになる。
たとえば、公的認証サービスを受けるためのクライアントソフト。スタート時点では、このソフトの開発は、国庫からの支出で行われた。全く新しい行政サービスを創出することになるわけだから開発にかかわるさまざまなリスクが伴う。したがって、最初のシステム構築は最初の雛形作りをねらい、国が主導した。しかし、こうした開発は今後、地方自治体の財源を使って進められることとなる。実際には各自治体から代表者を集めた「公的個人認証サービス都道府県協会」が方法論を検討しながら事業を進めて行くことになる。
さて、この「公的認証サービス都道府県協会」の平成16年度優先事業項目として、冒頭のように利用者クライアントソフトのプラットフォーム拡大が掲げられたのだ。しかし、実際の事業展開にはまだまだ時間がかかる。都道府県協会から、具体的な“発注”がかからなければ、財源確保、具体的な設計仕様決定に踏み出せない。それと同時に、ICカードリーダ・ライタがマックで使えるかどうかの検証作業も必要だ。総務省ではできるだけ早い時期に実現させたいとしているが、平成16年度のいつごろになるかは、全く雲の中である。
ICカードリーダの検証プログラム第2弾も計画
住民基本台帳カードを読み書きするICカードリーダ・ライタが公的個人認証サービスに適合するかどうかの検証プログラムが2003年11月から12月にかけて行われた。これは自治体衛星通信機構(LASCOM)が委託を受け、公募する形で実施された。しかし、このときの公募期間が短かったことなどから、参加を逃したベンダーなどから不満の声が上がっていた。これに対処するため、総務省では2004年3月ごろに第2回目の適合性検証プログラムを行なうとしていた。残念ながら現在、その準備が遅れているが、自治体通信衛星機構によると4月中にはなんとか公募開始できるよう作業を進めているという。
この適合性検証プログラムの第2弾でWindows以外の機種にも広がるかに思えるが、4月の段階ではまだ検証ソフトそのものがWindowsベースのものになるという。そもそも、その時点では利用者クライアントソフトがWindows限定となっており、検証プログラムのプラットフォームを広げるには至らないのだそうだ。
今後、この分野への進出を狙っているベンダーは自治体衛星通信機構が掲示している「公的個人認証サービスセンター」に出る公募案内を注意して確認する必要があるだろう。
あまねく国民が使えるようにするのだとのビジョン示せ
以前、この件について私のコラムに『Microsoftの販促企画に成り下がった「公的個人認証サービス」』と題して問題提起をしたことがある。そもそも、こういう仕組み作りは「あまねく国民が使えるようにする」のを出発点にする必要がある。「多くの人が多様な方法でアクセスできる仕組み作りを行う」ことを出発点にし、次に具体的な方策を考えるのが、公共の仕組み作りの鉄則だ。当然、コスト、時間の制約があるために、その実現は一気に完成させられるものでもなく、徐々に広がっていくのは仕方がないだろう。
しかし、前述の「公的個人認証サービス ポータルサイト」のトップページに置かれた「サービスの利用に必要となるパソコン等の環境について」には前回指摘したときの記述がそのまま残る。
次のいずれかが必要です。
・Microsoft Windows XP (Service Pack 1適用)
・Microsoft Windows 2000 (Service Pack 4適用)
・Microsoft Windows 2000 (Service Pack 3適用)
・Microsoft Windows 2000 (Service Pack 2適用)
・Microsoft Windows NT (Service Pack 6a適用)
・Microsoft Windows Millennium Edition (Me)
・Microsoft Windows 98 Second Edition (SE)
せっかく「よくある質問」にプラットフォーム拡大の回答を載せたのに、さらに上位にある解説にこのような表現があれば、「公的個人認証サービスを使った電子申請にはこれらのWindowsマシンが必須」と受け取られてしまうだろう。
内閣が設置した「IT戦略本部各府省情報化統括責任者(CIO)連絡会議」の第4回会合資料「電子政府構築計画」には、携帯端末、携帯電話なども含めて多様なOSに対応できるように検討を進めるとあるが、こうした基本的考え方が、実際の施策面に消化されていっておらず、かい離が目立つのが残念だ。
クライアントソフト仕様を公開し、使い勝手の良いシステム作りを
利用者クライアントソフトのシステム設計仕様が公開されていないことも、プラットフォーム拡大の足かせとなっている。MacやLinuxの開発会社に対して利用者クライアントソフトの仕様が公開されれば、使い勝手の良い、さまざまなクライアントソフトが登場してくると期待できる。
残念ながら、現状では、「公的個人認証サービス都道府県協会」が他のプラットフォーム向けのクライアントソフトの開発を決定したとしても、仕様が公開されていないためLASCOMに自動的に発注がかかる。使いやすさ、分かりやすさに豊富なアイデアを持つサードパーティの参加が見込めないため、開発に時間がかかり、使いにくさがそのまま残ってしまう可能性が強い。
ただ、こうした問題に対して総務省も認識しており、守秘契約などの特定の手続きを踏むことで新規参入できる仕組みも整えたいとしている。これが実現すれば、たとえば特定の申請を前提としたアプリケーションを専門開発会社が作り込むことができ、ユーザーの利便性が大きく高まることだろう。
Linuxは平成17年度以降?
「よくある質問」の利用者クライアントソフトに関する質問の最後のパラグラフ、「リナックスについては、利用者のみなさんのニーズや効果・財源を含めた対応可能性などを踏まえ、平成17年度以降の課題として検討する」という部分も大いに気になる。
そもそもプラットフォーム非依存の仕組みを作りさえすれば、MacだろうがLinuxだろうが、ホンのちょっとした手直しだけで、さまざまな機器の上で稼働可能なシステムができるはずだ。逆にそのような方針で臨まなければ、上述の電子政府構築計画にあるように、携帯電話や多様なOSに展開するのはコスト、手間、時間がかかり、難しいだろう。
これからはLinuxを積んだ家庭内情報端末、あるいはPDAなどが続々登場してくる。こうした多様なプラットフォームに最小限のコストで対応できるようにしておかなければ、時代の進展とともに公的行政サービスが受けられない人たちが次から次に生まれてくることになる。
やはり、出発点をガチガチに固定せず、何が来ても良い、オープンな設計を目指すべきだろう。そんな仕組みに整理されてくれば、Linux対応に2年もかかるなんて、言わなくてすむはずだ。
本当に柔らかいデジタルの発想を、望みたいものだ。
(日経BP社編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追及、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
柔らかいデジタル 第13回 〜ますます巧妙化するネットのオレオレ詐欺
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep01/310891
2004年06月02日 08時57分
「オレだけど、事故を起こしちゃったんだ。悪いけど急いでお金送ってよ」と、あたかも家族からのような連絡を入れ、お金をだまし取る“オレオレ詐欺”が全国で多発している。ネットの世界でも、似たような犯罪が横行し始めた。私のところにも連日そんなメールが山のように届き、捨てるのに四苦八苦しているところだ。しかし、“せっかくの経験”を私だけでしまい込んでおいてはもったいない。読者の皆さんのネット詐欺対処法の一助になるよう、その一部を報告しておこう。
ネットのオレオレ詐欺とはたとえば、こんなメールでスタートする。「○○銀行カスタマーサービスです 最近、ネットワークの盗聴など巧妙な手口によりパスワードを盗み出す犯罪が増えております。以下のWebサイトに行ってパスワード変更することをおすすめします。第三者に盗み出されていない場合でも、安全には念を入れていただくため、数ヶ月に一度は定期的にパスワード変更をお勧めします。くれぐれもご注意申し上げますが、他人に推測されやすい言葉、短い単語や数字の羅列、生年月日をパスワードにするなど、なさいませんようお願い申し上げます」と、まあ、実に真っ当なアドバイスと親切ごかしの文言が続く。いかにもユーザのためを思ってのことですよと思わせる文面だ。
差出人は銀行ドメインから
銀行に限らず、パスワードが他人に知られては困るたぐいのサービス提供者は、数ヶ月に1度、パスワードの変更をしてほしいという連絡を定期的に送ってくる。実際このようなメールが銀行から送られてくることがある。中には、本当に銀行からの注意喚起メールであることもあるが、今回のは「詐欺メール」だった。
私のところに届いたメールの差出人は、support@citibank.com 。citibank.comは実在の銀行ドメインのアドレスだ。
シティバンクの名誉のために付け加えておくが、この差出人のメールアドレスは詐称されたもの。メーラー画面上ではシティバンク内部から発信されたように見えるが、メールのヘッダ情報をすべて表示させ、転送されてきたホストをさかのぼって調べ、差出されたIPアドレスなどを参照すれば、citibankから送られたものでないことが分かる。
署名には、「Head of Citi Identity Theft Solutions」などと書き、しかも、ご丁寧に著作権表示まで「Copyright 2004 Citicorp. All rights reserved.」。私のところに来たメールにはさらにシティバンクのロゴまで貼り付けてあり、いかにもそれらしい。
メール文中に用意された「口座確認用ページ」には決して行かないように
口座の再確認、パスワード変更をするには以下のURLへどうぞとあり、銀行が直接サイトを運営していると思わせる、銀行ドメインがURLとなっている。たとえば、こうだ。
https://www.citibank.com/signin/citifi・・・・・・・・・
ちゃんと、SSLで安全な接続が保証されているように見える。しかし、ちょっと待って!! これをクリックしてはいけない。ここにどんな仕掛けが組込まれているか、分かったものではないからだ。
メールの文面に表示されているアクセス先は表面上だけで、実際のアクセス先は、
http://www.easysolutionxxxx.net/script/email_verify.htm
といった全然違うアクセス先が埋め込まれている。
メーラーのヘッダを表示させる機能をオンにして、メールの中身に何が書かれているか確認すると、こうした、だましのコードが埋め込まれていることが分かる。
読者の皆さんには行っていただきたくないが、記者魂が疼いてしまった。メールアドレスなど一切登録されておらず、クッキーもため込んでいないまっさらなPCを新たに設定して、上記アドレスに行ってみた。サイトは、まさにシティバンクが作ったかのようにデザインされ、最近のキャンペーン広告なども埋め込まれ、プライバシーポリシーを表示するリンクなどもちゃんと作ってある。その中に、口座番号、旧パスワード、新パスワード、ATMカードの暗唱番号(PINコード)などを書き込むフィールドが用意されている。ここに情報を打ち込んだが最後、犯人は大手を振ってあなたの口座から資金を抜き取るという手口である。
本当にパスワードの変更が必要なときは、こうした案内メールに書かれたURLからは絶対に辿らずに、自分の手打ちでアクセスし、アクセス先が自分の目指したところであるかどうか、パスワード入力画面はちゃんとSSLでガードされたページ(https://)となっているかを確認しながら注意深く進めていただきたい。
差出人詐称ができてしまう現在のインターネットメールの仕組みを、逆手にとった悪らつな詐欺だが、米国ではあまりにうまい文面で誘い込まれるため、被害は急増中だ。昨年、米国での被害は12億ドルにも上ったという調査データもある。
日本にもインターネットオレオレ詐欺が上陸中だ。ネットワークの利便性を打ち砕くこうした行為は、現在のところ、システム的にブロックする手だてはない。スパムメールを合理的に正確に排除する技術が確立するまではユーザが自衛知識を持って対抗するしかないのが実情だ。しかし、メールの利便性と自由度を失わないまま、詐欺行為が出来ない仕組を作ろうとする国際的な動きも始まっている。信頼できる「柔らかいデジタル」の世界が早く確立できるよう見守っていきたい。
(日経BP社編集委員室 主任編集委員=林 伸夫)
■林伸夫(はやし・のぶお)
1983年、ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」の創刊に参加。91年日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長。2001年3月から編集委員室主席編集委員。日経パソコンでは「コンピューターに詳しくない」一般のビジネスマンにとって、パソコンはどうあるべきかというテーマを追及、ビジネスの創造性、効率向上のためにPCやネットワークとどうかかわって行くかを提言してきた。
情報モラルと著作権を考える〜読者の質問にお答えする(その2)
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep02/303402
2004年04月21日 16時36分
昨年11月から半年にわたって連載してきたこの「情報モラルと著作権を考える」は、今回をもって終了することとなった。読者の方には毎回多くのコメントをいただき、大変ありがたく思っている。今回は、その読者の方からのコメントにお答えし、この連載を終了したいと思う。
【コメント】
■ハードの価格性能比に準じて著作物にカネを掛けると考えれば、10万円未満のパソコンに2万円のOSと2万円のオフィスソフト、1万円のメーラ…と次々に言われて、「はい、そうですか」となる人は多数派なのだろうか。一方的なサポート打ち切りで毎年のように数万円規模の振り込み用紙を同封したカタログが届くだけの会社が多いのも、また反発を招く一因だとは思う。
■コンピュータソフトウエアの利用者の立場から見ると、著作権保護がされている期間はサポートを継続してほしいものだ、逆にサポートを終了するのであれば著作権を放棄してほしいものだ、との感情があります。
■ソフトのサポート期間があまりにも短い。2バージョン位まではサポートするが、それ以降は保証しない。そのバージョンアップも使用者側から見れば必要でなく、従来品で十分使えるのに供給者の判断のみで、当方に選択肢が無い。
【お答え】
全体を通し、読者の方から最も多かった意見が、以上のような「ソフトのサポート期間が短い」というものであった。このことについては、第4回の記事でも少し触れたが、著作権の問題というよりは、企業のサービスの問題であると考える。ソフトウエアメーカー側は、企業としてのバランスを考え、現状のようなサービス期間を設定しているとは思うが、私も1ユーザーとして、皆さんの仰ることはよく分かる。
メーカーとしては、現在のようにユーザーのパソコン環境が目まぐるしく変わっていく状況の中で、何年も先のサポートまで保証することが難しいという事情がある。ソフトを開発した時点では存在していない新しいOS、ドライブなどの周辺機器、ソフトなどとの互換性までをも予測することは事実上不可能である。
メーカーとしては新商品を開発することで、そのような新しいものに対応できるよう努力している。この点については理解してほしい。
しかし、多くの方がメーカーの対応に不満を感じている今の状況は、何らかの不足があるものなのであろう。それがサポート期間の延長であるのか、納得のいく十分な説明であるのかは分からないが、改善は期待できるのではないだろうか。
私はこの連載を通じこのような意見が非常に多いということを実感させられたし、メーカーにはこの意見を伝えていくよう努力するつもりだ。そして、同時にユーザーの方々にもメーカーにどんどん意見をしてほしいと思う。このような多くのユーザーの意見で、企業がより良く変わっていくものであると私は期待している。
なお、例えば何らかの事情により、どうしてもそのソフトを使用する必要があり、すべての手を尽くしてもそのソフトが手に入らないといった状況で違法コピーを行ったとするなら、そのユーザーに対して、メーカーが権利行使をするとは私には思えない。
しかし、前にも述べたように、サービスと著作権は別の問題であり、だからといって著作権を侵害してよいということではないのである。
【コメント】
■倫理にかかわらず、すべての情報は、それを得ようとする個人の欲求に依存しています。子供たちに対して云々しようとするならば、それこそインターネットのシステムに映倫ならぬ“18歳以下倫理フィルター”でも設けるしかないでしょうね。
【お答え】
コンピュータや携帯電話など、だれにでもインターネットが身近となった現代では、子供たちをどうやって有害情報から守るのか、ということが大きな課題となっている。
ご指摘の通り、フィルターのようなものを設け、技術的にそれを規制する方法も一つあると思うが、技術は必ず技術で乗り越えられてしまうものであり、技術だけに頼るのではなく、やはりモラルの育成、教育が重要であるだろう。
子供たちへの教育の一環としてACCSでは今月、中学・高校生を対象とした「情報モラルハンドブック3 インターネット・携帯時代の危険な遊び」を発行した。このハンドブックは、中学・高校生がインターネットや携帯電話を利用した事件にどのように巻き込まれていくのか、その典型例をまとめ、考えるきっかけをつくろうとするものである。
その他、毎年行っている学校での出張授業にも今年は今まで以上に力を入れ、より多くの子供たちに、著作権や情報モラルの理解を得てもらうよう、努力していきたいと考えている。
【コメント】
■まずは、親である大人たちへの教育が必要かもしれません。著作物に対する制作者の仕事をまるで評価することができない人たちに、いかに著作権に関する意識を教えていくかです。
【お答え】
ご意見には全く同感である。ACCSではこれまで、企業向け、教育者向け、子供向け、と大きく分けて三つのセミナーや講演を行ってきた。今年から、親・保護者向けのセミナーも企画している。
現在、コンピュータや携帯電話といった新しいツールに子供たちだけが詳しくなり、親はどのようなことに気を付けさせなければならないのか、想像さえもできないという話を聞くことがある。
「モラル教育」という根本的な部分については、インターネットの世界でも現実の世界でも基本的には同じであると思うが、実際の事件・事例や、情報モラルについての知識を持つことで、保護者の方々が子供たちと共に、これらの問題について考えるきっかけを持つことができるのではと期待している。
【コメント】
■個人が(Weh2などで)利用するためには「新聞などのメディアに広告を掲載するなど、すべての手を尽くし連絡を取る努力をする」という解釈は阻害要因でしかなく思えます。
【お答え】
これは、第8回の「よりスムーズな著作権の利用許諾を目指して」に対していただいた意見である。利用したい著作物の著作権者と相当の努力を払っても連絡することができない場合に、著作権法では第67条に「裁定」という制度を設けており、文化庁長官がその利用を認めることがある。
その「相当の努力」の解釈が、上記のようなものであると言われているのだが、これはあくまで解釈の問題であり、多くの利用者がそれを「阻害要因」と考えるならば、これは変わっていくものであると考える。
ただ、裁定制度とは、文化庁が強制的にだれかの著作物の使用を許可するものであるという性質上、この制度を利用する際のハードルを高く設定せざるを得ないという点は理解していただきたい。
【コメント】
■権利を守ろうという議論もよいのですが、「どんな権利関係が、人間の知をもっとも加速させるのか?」、「権利関係が今のような方向に進むことで、かえって知が痩せていくことはないのか?」という問いを考える人が少ないことの問題点をすごく感じます。
【お答え】
権利の保護が強化されていることを懸念している意見であると思うが、私は権利の保護強化が、著作物の利用を制限し、「知が痩せる」結果となることはないと考えている。
例えばアメリカで、映画の著作物の保護期間が延長されるたびに、「著作物の利用が制限される」という反論があるが、実際に保護期間が延びたことで我々がその映画を見られなくなった、というような事実は、今まで私の知る限りでは、ない。
逆に、権利を弱めて著作物の利用を自由にすることは、人々が著作物を制作する意欲を失わせ、コンテンツビジネスの成長を阻害することにつながるのではないだろうか。
ただし、ハンディキャップのある人などが著作物にアクセスできなくなるなど、アクセスする機会が不平等になるといった状況があれば、制限規定を拡げていくべきであるとは考えている。
「いやだ」という人に強制的にその著作物の利用を許諾させることはよくない。また逆に、「積極的に利用してほしい」という人は、その意思表示を明確にすべきである。これまでは後者の、自由利用を認める意思表示についてはあまり積極的なアピール方はなかったように思うが、文化庁では、その意思表示のための「自由利用マーク」を設定し、その普及に努めている。
権利の主張とは、何もその保護だけに限ったものではなく、その利用を許諾することも含まれているのである。
最後に
全12回の連載を通じ、多くの方から多くのコメントをいただき、多くの方が、著作権やそれにかかわる問題を一緒に考えてくれたことに感謝している。いただいたコメントは、これからのACCSの活動に反映させていきたいと思う。
半年間ご愛読、ありがとうございました。
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