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(回答先: 右翼と左翼の本質的な違い 投稿者 moumu 日時 2004 年 11 月 04 日 01:43:27)
moumuさん、レスありがとうございます。
>右翼と左翼の本質的な違いは何か。なぜある人は右翼的になり、他の人は左翼的にな
>るのか(勿論、どちらにもならない人は大勢いる)。
思想や政治にこだわって生きている人はそれほど多くないはずですが、それでも、「近代」はそれまでの時代に較べると思想や政治に関心を持つ飛躍的に増加させました。
公的学校教育の普及がその基礎的条件ですが、「近代」がそれだけ強く諸個人を政治的国家に縛り付けているからとも言えるでしょう。
いわゆる左翼になるのか右翼になるのかは、内的価値観のバランスの微妙なゆらぎ(こだわり)によるもので、それぞれが自覚しているほどの違いはないと思っています。
右も左も「近代政治思想」であることに変わりはなく、自由競争的資本主義や貧富格差を嫌うことについても左右にそれほどの違いはなく、その解消ないし緩和手段が違うだけの話だと思っています。
>思うに、両者には隔絶とした社会観なり人間観があるのではないか。右の人々は個性
>とか個人主義を嫌い同質性を重んじる傾向がある。逆に左の人々は、まず個我の確立
>ありきでその個々人の集まりが社会であると規定しているように見える。
“左”がリベラルで“右”が規範尊重という傾向は確かにあると思っています。
(“左”は理論尊重で“右”は行動尊重という傾向もあります。“左”は抽象的なもっともらしいことを言って人々を惹き付けようとし、“右”はそのような言動を胡散臭く感じる。ケリーとブッシュに対する評価の分裂はその一つの象徴かもしれません)
しかし、「個性とか個人主義を嫌い同質性を重んじる傾向」は、被支配者を手段として見る支配層(統治者)が抱く特質であって、いわゆる“右”の特質ではないと思っています。
ファシズムや日本型国家社会主義を信奉する人たちは、国家や集団のなかに“不活性”で没個性的な個人がだらだた生きている状況を忌み嫌うはずです。(生の哲学は、リベラリズムよりもずっとリアルな個性にこだわる価値観です)
そして、コミュニズムやアナーキズムも、社会的関係性を重視していますから、無秩序で無軌道な共同体(国家社会)を忌み嫌います。
いわゆる「共産主義国家」があのような醜態をさらしたように、“左”も、権力を掌握すれば支配層の特質から、「個我の確立」よりも国家社会の統治(秩序や安定性)を優先したからです。
また、“左”の人たちの多くは、歴史決定論(唯物史観)や「人はかくあるべき」という理念型に囚われているので、根っ子のところでは個人主義や自由主義ではないと見ています。(これが、“異質な”人たちを精神病者としたり強制収容所に送る支えにもなっていたと思っています)
「左右」の政治勢力は、メインストリームである近代世界の支配層がうまくことを推し進めるためのバランサーのようなものだと思っています。