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(回答先: 香田君のご両親を訪ねた木村牧師は左翼とされているらしく、奥様は在日韓国人? 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 11 月 02 日 08:54:39)
ぷち熟女さま、長兵衛と申します。書き込みを読んでいる内にふと思ったことがありますので、不躾ながらレスをさせて頂きます。
>今年1月、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。
今年九月、兄にPCを送って欲しい、という連絡が最後。
イラクに入る直前、「一週間くらい旅行して見に行きたい」「一週間くらい旅行してみてみたい」「地元の人と友達になって泊めてもらいたい」
危険な状況を全く認識していなかった模様。
>イラクで人質になった人は、福岡の日本キリスト教団に所属する
方のご子息です。本日、東京でキリスト教団の総会があり、教団の
方々が、現在、国会へ直接、救出の陳情と自衛隊の撤退を求めて、
に行っているとのことです。
本人は、居ても立っても居られずに、ボランティア活動でイラク
入りした、とのことです。
>120 :朝まで名無しさん :04/10/30 10:47:11 ID:TMSvT0pf
ある情報によると、香田さんはニュージーランドで日本の某左翼にそそのかされてイラクへ行ったらしい。
香田さん自身は政治性のない人物のなのだが、春先の3馬鹿ジサクジエン騒動で失敗した左翼勢力は
香田さんのような”色”のついてない人間を、脅しか利益誘導か今のところ不明だが、
言葉巧みにイラクに誘い出し現地テロリストに売り渡す作戦を展開中である。
勿論、売国左翼の目的は人質殺害を引き起こして日本の反戦世論を誘導する為である。
以上の部分には、極めて明白な矛盾があるように思えます。
1.香田氏のイラク入り決意の時期
(1)もしもニュージーランドを発つ時に既にイラク入りを決意していたとするならば、イラク入りする前にイスラエルへ行っていたのは極めて奇妙なことになる。ヨルダンのアンマン(イラクへの出発地)入りする前に、彼は2〜3ヶ月前にイスラエル入りしていたことが報道されている。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041027ic08.htm
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/iraq5/kiji/0410275.html
http://www.chunichi.co.jp/iraq/041027T1135007.html
ここで香田氏の「政治性」の有無が問題となる。もしも「本人は、居ても立っても居られずに、ボランティア活動でイラク入りした」のが本当としたら、「福岡の日本キリスト教団に所属する方のご子息」ともあろう者が、イラクを含むアラブ諸国とイスラエルとの関係がどのようなものであるかについてまるで無知であったかのような行動をとったのは不自然である(イラクではイスラム教が主流であり、ユダヤ教徒が作った国イスラエルを敵視する傾向が強い、という今日では一般人でも程度のことをボランティア志望の熱心なクリスチャン青年が認識していないなどということがあり得るか?)。イスラエルを経由してイラク入りした者に対しては、現在全土が戦闘地域といっていいイラクにおいては、たとえ原理主義的武装勢力でない一般人レベルであっても「スパイ」ではないかと色眼鏡をかけられて見られるのがオチではないか?
ニュージーランド→ヨルダンのアンマンへ直行せず、なぜイスラエルに2ヶ月程滞在したことになっているのか、上記の2ちゃんねるの抜粋部分は何ら納得の行く説明をしていない。
もし「政治性」のない、単なる旅行者としてイスラエル入り→アンマン経由イラク入りしたとすると、「本人は、居ても立っても居られずに、ボランティア活動でイラク入りした」という部分は当てにならないことになる。彼はイスラエル(ユダヤ教)とイラク(イスラム教)の対立関係にもイラク現地情勢にもまるで無知な「無謀な旅行者」であった、ということになる。ただ、世界を旅行しているような人間が、自分が向かおうとする行き先についての最低限の情報収集すらしていなかったとすれば、このこと自体が極めて不自然なことである(私はこのような例を、立てこもったパレスチナ人と包囲するイスラエル軍とが対峙する聖誕教会へ、何も知らずにタクシーで乗り付けた日本人観光客以外知らないhttp://www.asyura.com/2002/war11/msg/382.html )。
(2)もしもイラク入りを決意したのがイスラエル入国後であったとしたならば、当然のことながらニュージーランドにいる時点で「サヨク」が彼をそそのかしてイラク入りさせた、などという書き込みは明白な虚偽となる。
私個人の意見としては、彼のイラク入り決意の時期がいつであったか、特にイスラエル入国の前後いずれであったかが今回の事件を考察する上で重要な鍵を握るように思えます。