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人間の行動に於いて、恐れ、恐怖は、重大な意味を持っていると思います。
過去の時代にも、神をも恐れぬ猛者もいたと思いますし、
神を信じるが故に、それを利用しようとする人々によって、
曲解された言葉を信じ、過ちを過ちと認識せずに、行動する人々も
多々存在していた事であろうと今の私には推測できます。
現在、科学と言う、ある意味宗教的な思想によって、人類は神を
否定できるまでに、成長しました。
それでも、まだ、理解できない事(そもそも我々は何者なのか、いつからこの時代に存在し、
今に至るのか等)沢山あります。
秩序、調和というものが絶対であるとしたら、バランスをとる事によって
平安を得る事が出来ます。なぜなら、人間とは、保守的な生き物であり、
変化を恐れる傾向にあるからです。
神と言うものは、人間にとって妄想の産物なのかもしれませんが、
秩序を保つ上では、その存在を認める事は、意義のある事だと思います。
そういう意味では、私たち一人が一人が仏である、または神である、
という東洋的な思想は意味があると思います。
宗教を危険なものとして、全否定してしまう事もある意味、危険だと思います。
なぜなら、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、全てが派生を同じくしているのであれば、
それを抹殺してしまう事は、必ずしも人類にとって良い思想だとは思えないのです。
恐れには、個人差が存在し、測る事が出来ません。
薬は、毒にもなれば、役にも立ちます。
宗教を全否定する事が、必ずしも正しいとは思えないのです。
ただ、それを考察する事は、意義のある事だと思っています。