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【薬箱 その二】 不思議に思った事 
http://www.asyura2.com/0406/idletalk11/msg/119.html
投稿者 鈴を贈るねずみ 日時 2004 年 9 月 20 日 08:58:01:itv8XDNS8abWI
 

(回答先: 【薬箱 その一】 『読んで納得!痛快な一冊』?  投稿者 鈴を贈るねずみ 日時 2004 年 9 月 20 日 08:51:35)

【薬箱 その二】


不思議に思った事があります。
強迫性の強いパラノイアの人は、問題としての事実を冷静に認識し、解決しようとするよりも、
他者への自己の強迫的想念の伝播が確認されるまで、衝動を終息させられないものなの
ではないかと感じました。で、「カルト」と「精神病」で検索してみました。

すると、「日本脱カルト協会」というサイトがありました。

で、ここは名前から推察して『日本脱インボー協会』とでも言うべき『はず』のこのサイトに近いのでは
ないかと思い、関心を持って見てみました。
(ごく一部の人にとっては、眼を伏せざるを得ず、鳥肌の立つ『敵』なんだろうという推察はしています・笑)

(もし、ここは怪しいのだという確かな情報をお持ちの方がいれば晒してください)


一番違うのは、多分、強迫的で意味が多義的、かつあいまいな象徴の言葉や表現が、
「日本脱カルト協会」の方では、なるだけ少なくなるように配慮しているところか。
そして脱カルト協会は、「脱」の実際的現実的支援をしている事。

阿修羅板の議論板や、事実についての報道記録の板に入れられた「論考」において、
強迫的で、多義的、かつ、あいまいな象徴表現が多用されていれば、
その論考は、脱インボー志願のミイラ取りが、ミイラになっている可能性があるんじゃないかな。

あるいは、『ミイラ取りのつもりでいる「ミイラ作りをするミイラ」』        (こーゆーの、無料で動いてくれて便利なんだろうね)
こうなってしまっていてドツボとか。
他人の火傷を治そうと必死のはずの人が、実は塩と泥を摺り込んでいるようなものなのではないでしょうか。
(こうなってくると本当に治したいのかな、怪しいものだ、もしかすると、卑しいものだ)


カルトの文章は、「救済」を表に掲げて始め、清らに、強迫的に、罪悪感や恐怖を執拗にいじるように
書かれていることがある。インボー論者、そうなっていないかなあ。

気をつけるべきだと思う。
  

例えば、こういうタイプもある。

「ほら、なるぞ。ほら、なるぞ。
             だから言ったじゃないか」

そうなったら結局、そう言うことになるだけの、『同調性共犯的強化』と言うしかないあり方の表現とか。
これも、よく検分すると妙な表現なんです。
分析すると、それを言う事が、ただ肥大化する自意識の中で、
自虐と他虐の屈折した楽しみであるような心理的要素が潜在している。
ルサンチマンのすり替えであったりする。


結果的に、こと志とは逆に、本人はコントロールされている可能性だってあるわけです、
確信犯で引きずり込んでいるかもしれません。
同じ穴の狢(むじな)になってしまっているかもしれない、
その場合、本人が「異議申し立ての感情」の中にあるのは確からしいだけに、痛ましいと思う。

それを共有もしくは伝播させてしまう事が、現実に対して果たして有効かどうかは別として。

ステロタイプに循環する観念の、他者へ向ける転写ではなく、別の切り口の表現を創るべきじゃないか。
個々の関わる事実から、きちんと説得し、「解毒」できるように。


また、事実の解析に基づく「予測」を語ることと、強迫的観念に基づいた「予言」を語ることは別のプログラムです。
強迫観念に基づいた「予言」をする者は、それが間違おうと、そのこと自体には関心を持たないようです。
そして、他者への自己の強迫的想念の伝播が確認されるまで続け、ひとつ終わっても麻薬中毒のように続ける傾向がある。
煽りや「予言」を垂れ流して、外し(慶賀!)、反省もない。

ここにはひとえに他者をダシにしたオート・エロチシズム(自慰と訳しとく)があり、
その形態の変容も、「深化」も、とどまるところがないようです。
そこで動機として他者愛を語ったりすれば、偽善の前に、キモい。

同じ穴の狢(むじな)という言葉には、案外に真実を射る要素がある。


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カルトに対するカウンター・カルトという(自己認識だったはずの)行為が、実は対峙するカルトの強化や、
自己の新たなるカルト化を招いている可能性はあると思います。
(影響が個人の範囲なら、そうするのも個人の自由ですが)

この場合のdeprograming/洗脳の解除方法も脱カルトの方法と同じでしょう。
(「救急箱」のお薬として、また参考として入れときます)


●日本脱カルト協会 http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/

この中に、参考図書の紹介があります。引用しておきます。
「カルトとマインド・コントロールに関する書評」の一部です。

↓以下引用 

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著者 L. フェスティンガー、H.W. リーケン& S. シャクター(著)/水野博介(訳)

書名  予言がはずれるとき 

出版社  勁草書房

(長文の上記書評の一部抜粋)

本書でおこなわれた研究は以下のような現象を対象にしたのであった。ある小さな宗教団体がこの世の破滅を予言したが完全にはずれてしまう。しかしそのあと、信者はその予言についての信念を捨てるどころか、より一層強固なものとなり、熱心に布教活動をはじめた。この研究の目的は、そのような現象が起きる条件を予測し、確認することにあった。 本書で分析された、予言がはずれた時の信者の心理状況は、オウム真理教、統一協会、エホバの証人などの終末思想を説いてメンバーを増やしてきた現代の新宗教の信者心理に投影することができよう。

では、本書の展開にそって中身を紹介しよう。まず、第1章「成就しなかった予言とメシアたち」では、予言がはずれても信念が揺らぐことなく、さらに改宗を進める布教活動が活発になる五条件を挙げている。そして条件にかなう事象の予測を説明するために、認知的不協和理論のコアの部分が簡単に説明される。ここではもちろん理論名も登場しないで、それとなく不協和現象が解説される。そして本書で行った研究はこの五条件に適切な根拠を与えるためのものであったと研究目的を位置づけ、歴史的データに見られるいくつかの該当事例を紹介している。この節は読者に、「世紀末」の現在あちこちで生じている終末論的世界観を背景に展開している宗教運動を思い起こさせ、たとえそれが1世紀以上も前のデータであっても極めて現実感の高い現象であることに気づかされよう。しかし評者は、章末に、そのような歴史的データでの論証の不十分さを提起して本書で行った事例研究の必要性について理由付けをおこない、この研究事例についての宗教的概要を呈示するのである。

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カルトとマインド・コントロールに関する書評 


●『予言がはずれるとき』 勁草書房
  L. フェスティンガー、H.W. リーケン& S. シャクター(著):水野博介(訳)

●『自由への脱出−カルトのすべてとマインドコントロールからの解放と回復』中央アート出版社 
 マデリン・ランドー・トバイアス、ジャンジャ・ラリック(著)南暁子・上牧弥生(訳):

●『オウムをやめた私たち』 岩波書店
 カナリヤの会(編)

●『マインド・コントロールされていた私』 日本基督教団出版局
 南哲史

●『統一協会信者を救え』 緑風出版 
 杉本誠  

●『 マインド・コントロールとは何か』 紀伊国屋書店
 西田公昭 

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