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(回答先: haruさんへの蛇足レス:『ジャズ 個性派たちの時代』ナット・ヘントフなど 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 06 日 08:01:42)
こんにちは、バルタン星人さん。
私の為に特別なレスをありがとうございます。
読ませていただきまして、いつもながら示唆する啓示が多く、いろいろな思いが湧いてきましたので
黙ってはいられず筆をとりました。
チャーリーパーカーは、私の大好きなミュージックプレーヤーです。
彼のプレイのみをテープに編集し、通勤の満員電車の中で聴いていた思い出があります。
音楽の中では、様々なカテゴリーが存在しますが、その対象に熱狂的になればなるほど範疇は邪魔になり
無意味になるものです。ビートルズはビートルズであり、ストーンズはストーンズです。
そして、新たなカテゴリーが生まれたりもします。
それはまさに個と言うものの存在証明でしょうか?
私自信は、地球人と言う範疇の中の、日本に住む日本人であり、蒙昧ではないかもしれない
大衆と云う中に属する一人です。しかし、もし、過去を遡って私のルーツを証明せねば成らない
状況になれば、私は、自分自身が果たして日本人であるのかすら証明できないのかもしれません。
もしくは、地球人であるとすら、、、(笑)
つまり、カテゴリーとは、その様子、状態、性質を表すには役に立ちますが、
そのもの自身を、明らかにする為には、意味をなさないことにもなりますね。
>ベンヤミンではありませんが、その連なりに「星座」としての連関(意味)を見出していくのも主観のはたらきになるということなのだと思います。
連関(意味)を見出していくことに於いて、カテゴライズすることは、早道にもなり、逆に遠回りにもなります。カテゴライズすることは、主観を越えられないと云うことでしょうか。
そんな中で、個性と云うものを輝かせることは何事にも増して、重要なことなんだと思います。
個性と云う名目で、全てを容認しようとは思いませんが、一生物の一員として、
エネルギー存在の一つとして、己の存在を際立たせることはごく自然の行為であり、
当たり前のことなのだと思います。
だからこそ、そこから、新たな繋がりが(星座)が生まれるのだと思います。
なんだか、ひっちゃかめっちゃかな文章ですが、思ったことを書いてみました。
道ばたの草に、小さな花を見つけて、その存在に感動したことがあります。
私たち一人一人は、小さな花と一緒なんだと思います。
一生懸命咲けばいい、そんな風にその時感じました。
どうもありがとうございました。