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参照スレ
http://www.asyura2.com/0406/idletalk11/msg/993.html
haruさん お忙しい中レスありがとうございます。
>そのようなカテゴリーは、通常の会話では意味をなす場合もありますが、
>そのもの全てを現すことは不可能のようです。
音楽についてのお話がありましたので少し脱線します。表題のとおりの蛇足レスですなので読み飛ばしていただければ幸いです。
油井正一氏というジャズ評論家がいたのですが、こんなことを書いていました。
「ジャズにはデキシーランドジャズ、スイングジャズ、ハードバップ、フリージャズなどというカテゴリーがある、しかしそれは言葉に出来ない音楽を語る時に、ある共通のイメージを喚起するための物であって、○○ジャズなるものが実体としてあるわけではない。ジャズはプレイヤーのブロー(演奏)の中にしかない。だから『ルイ・アームストロングはデキシーランドジャズですか?』という質問ほど私にとって不可解なものはない」(『生きているジャズ史』ミュージックライフ)
元の文章が長いのでかなり「意約」ですが、常に現実はカテゴリー(概念)からあふれ出す「過剰」と持っているともいえます。これは「実念論」と「唯名論」という西洋形而上学の大問題とも重なるのですが、講釈が長くなるのですっ飛ばします。(笑)
油井正一って誰?
http://www.art-c.keio.ac.jp/Yui/yui-top-j.htm
あえて槍玉に挙げると「知恵蔵」とか電子辞書を引くと「ジャズはクレオール音楽が起源でデキシー、スイング、バップ、ハードバップ、そしてマイルス・デイビスのモダールジャズ、フリージャズと変遷(進化)してきた」みたいなもっともらしい嘘が書いてあって「進化の系統樹」までついています。つまり単純なものから複雑なものへ「進化」するのは善いことなんだ、必然なんだという単線的な歴史観ですね。(これはある種の強迫観念になるわけでフリージャズはコード進行というお約束までぶっ壊してとうとうドン詰まりの袋小路に入ってしまった。)
これには油井さんほどの「手練れ」も、ものの見事に引っかかってしまった、「ジャズは新しいものから聴け」とか言って。1970年代年代の初頭にマイルス・デイビスが『ビッチェス・ブリュー』というレコード(当時)を出したのですが、今聴くとなんでそんな大騒ぎになったのか判らない「ふーん」で終わってしまうものなんですが、油井さんは「世紀を揺るがす問題作」とか持ち上げてしまったようです。たぶんワケワカラン音楽を油汗を流しながら必死で「理解」しようとしたんだと思います。さすがに油井さんは後に「全部まちがいだった」自己批判していますが。
つまり人間は新しい刺激を求めるけれど、人間の感性的直感が進化するわけではないということになるんじゃないでしょうか。
ナット・ヘントフという「ダウンビート」などで活躍していた有名なジャズ批評家がいるのですが、最近は911以降のアメリカの状況にも積極的にコミットする発言をしています。
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/645.html
有名なジャズレコードのライナーノーツ(ジャケット裏の解説)も沢山書いていますが、彼の主著に『ジャズ 個性派たちの時代』というのがあります、言い得て妙、まさに個性派の音楽なんですね、ジャズは。パーカーやコルトレーンの様な時代を画するイノベーターが巨星として瞬く、その重力圏?には無数の星(プレイヤー)が連なる。ベンヤミンではありませんが、その連なりに「星座」としての連関(意味)を見出していくのも主観のはたらきになるということなのだと思います。
私もharuさんや前レスで引いたフニャコさんのようにスクウェアじゃない、構えのない構えで書けたらと思うのですが...えい、ままよ、人間分相応、慣れないことはするものじゃない、これも「個性」だと開き直ることにしています。(苦笑)
機会がありましたら また いずれ