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(回答先: 「国家への復讐」 陸軍兵長・遠藤国夫さんへ、陸軍一等兵・白上謙一(2) 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 8 月 17 日 08:21:10)
ジャック・どんどんさん 投稿ありがとうございます。続きを楽しみにしています。
>適材が適所に用いられぬ場合用いられぬ人の不満などは、用いなかった機関がそのために
>受ける損失、私流に言えば「復讐」に比べればとるに足らぬものである。
いわんとする旧軍の不合理さは理解しても、そこになにがしかの選民意識を感じてしまうのは
戦争を知らない世代の驕りだけではないような気がします。
鶴見俊輔が書いていましたがいわゆる「ファシズム革命」です。都会の有閑階級、知識人は
「スキーだダンスだ」と浮かれて文化を享受=独占していたことに「罰があたった」という
意識です。大卒のインテリだろうが尋常小学校だろうが一千五厘の赤紙と等価という擬似的
な平等主義ですね。そういえば丸山真男も一兵卒として招集され広島連隊で被爆していましたが
社会科学学徒などというものは軍隊ではクソの役にも立たないのかもしれません。(苦笑)
これで思い出したのですが、私の実家は地方の農村地帯なので冠婚葬祭の流れは必ず親戚の
家で宴会の様なものをやっていましたが、酔っ払った爺ちゃんたちがいつも十八番の戦争話を
していました。私は4、5歳(入学前)だったと思いますが、誰かの膝の上で爺ちゃんたちが
「チャンコロの首を切った」「シナの女は具合が良かった」と言っているのを聞いた
気がします。「子どもの前で..」と言いながらせっせとお酌に廻る女衆の姿もありありと
覚えています。とにかく意味は良くわからなくても「聞いてはいけない禍々しい話」である
事はなんとなく理解していたように思います。少し大きくなってから聞いた話は(「麦と兵隊」
という軍歌がありますが)「三日三晩行軍しても麦畑が途切れなかった」「見えないくらい
遠くで大雨が降って水無川が突然あふれた」など少し穏便になってきましたが(苦笑)
ところが後で「戦記物」や中国帰還兵の話を読むと爺ちゃんたちと全く同じ話がごろごろ
しているのに驚愕したわけです。母親に聞いてみると「全部デタラメ、与太話だ」と断言
するのです。「爺ちゃんら小学校しか出ていないぺーぺーの二等兵が軍刀なんか持ってる
わけが無い」と。
これから先は全くの推測ですが村の境もめったに跨いだ事のない農民であった爺ちゃんたち
にとって戦争は最初で最後の「海外旅行」あり青春の思い出であったろうと思います。
それも生きて帰ったから言えることには違いありませんが、人からまた聞きしたことが
あたかも自分の思い出の様になっている、本当に首斬りをやった兵士は家族にも言えず
黙って死んでいったのだろうと思います。