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(回答先: Re: あっしらさん、注釈をくださいませんか? 投稿者 ピカリン 日時 2004 年 7 月 21 日 19:49:27)
ピカリンさん、どうもです。
>>“人の好いロシア人”は、ボルシェヴィキ革命でドツボにはまり、自由の回復と喧
>>伝されたソ連崩壊でさらに酷いドツボにはまったのである。
>>(たぶん、庶民にとってはボルシェヴィキ革命のほうがよりましな変化だろう)
>ここのところをもう少し教えていただけませんか?
まず、“人の好いロシア人”というのは、歴史教科書的にはロシア皇帝の圧政に苦しむ農奴と表現されているロシアの農村共同体も、日本の前近代の農村共同体と同じように相互扶助的なものであり、日本よりも過酷な自然条件であるロシアのほうがより相互扶助意識が強かったことで好い人が多いという意味です。
それは、日本人と同様、支配や権威に対する対抗力が弱いということでもあります。
「冷戦」や反共意識そして領土問題でロシア人に対する日本人のイメージはよくありませんが、向かい合って話せば、いわゆる欧米人や中国人よりも共感できる人が多いのがロシア人です。
かつて帝政時代のロシア文学が広く日本人の心を捉えたのも、近代化過程の類似性とともに、精神的親和性があったからです。
ボルシェヴィキ革命は、日露戦争、第一次世界大戦と打ち続く戦争で疲弊した帝政ロシアを倒し、「共産主義国家」を樹立したものです。
宮廷の代わりに共産党、ロシア正教の代わりに共産主義思想を持ち込んだ国家であり、農村共同体を集団農場に代え近代産業の発展を支える経済社会に改変しました。
このような意味で、ロシア正教への信仰が抑圧され科学思考が優先されたことを除けば、ロシア人の心性を激しく逆撫でするものではなかったはずです。(たぶん、日本で共産主義革命が起きたときの人々の受容度と同じ程度だったはずです(笑))
しかし、その後も対独戦や「冷戦」という戦時体制が続き、国民生活は、持てる技術力や資源に較べて貧弱なままでした。
この部分は、『「産業資本主義」の終焉:「共産主義国家」の人々はなぜ豊かになれなかったのか?』( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/771.html )を参照してください。
ソ連崩壊があのようなかたちではなく、周辺ソ連構成諸国の独立を認めた上でロシア連邦として「共産主義政策」のまま、西側と平和な関係と良好な通商関係を築き、民主主義の実質化が図られていたなら、ロシア人は豊かになる道を歩んでいたはずです。
(産業と銀行の国有化は維持しながら、商業やサービス業の個人経営を認め、政治的自由と民主主義的制度を充実していけば、この10年でロシア人の生活は平均的に大きく向上していたという見方です。ただし、そうなる見通しを持った西側がロシアと良好な通商関係を築くことはなかったと思っています)
ソ連崩壊後のロシア庶民は、形式的な民主主義や自由を手に入れる代わりに、“才覚ある者”が営々として築いてきた経済資源を私物化しロシア経済を支配する自由も与えてしまいました。
幸か不幸かロシアは資源大国なので、“才覚ある者”は手っ取り早く稼げる天然資源にこだわり、儲けたお金で贅沢品は輸入して手に入れられるため、産業の再生は後回しにされています。
それに高い価値を感じる人はいるかもしれませんが、ロシアの庶民は、民主主義や自由という“空虚”なものを手に入れる代わりに、夢見ていたはずの生活の向上は手に入れることができなかったわけです。