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(回答先: 国民経済の守護神である中央銀行が、なぜこのようなことを? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 7 月 19 日 13:57:01)
ジャック・どんどんさんはじめまして。オニオンと申します。蛇足かも知れませんが当時のライヒスバンク(直訳は帝国銀行の意、当時の独逸中央銀行)の内情とそれを取り巻く政状について。
ライヒスバンクは1875年、民間の銀行家達によって設立された帝国政府からの独立性の強い中央銀行でした。今の時代の感覚で考えると「自由自在に通貨を発行できる中央銀行を民間人が作れるなんて信じられない!」と感じるかも知れませんね(僕も始めはそう思ってました)。
ここで重要なのは当時は管理通貨性でなく金本位制だったということです。その為、当時の紙幣は金との交換券としての側面がありました。今も紙幣のことを銀行券と呼びますが、それはこの時代銀行が金の預り証として発行していた銀行券が紙幣の前身だった事に由来します。ちなみに銀行家達はまるで当然だと言わんばかりに手持ちの金以上の銀行券を発行し、それを貸出に使い高利を得ていました。これが「信用創造」の始まりです。
(ここで言う「信用」とはクレジットのことで、通貨に順ずる働きをするものです。この場合は金による裏づけのない銀行券のことだと思ってください。ちなみに今のシステムはもう少し複雑です。もし興味がありましたら「信用創造についてーーーお金の不思議 銀行業と言う名の錬金術。
http://www.asyura2.com/0403/idletalk9/msg/697.html」のその3辺りでも)
要は初期の中央銀行は一部の銀行家団が「自分達の銀行券(兌換券)を公用券(紙幣)として扱ってくれ」といって出来たものだったのです。だから民間に(一部の利益団体に)所有されていたのです(始まりからして私益のためだったのです)。
さて前置き1はこれくらい(長くてすみません)にして以下前置き2です(汗)。
1914年に始まった第一次世界大戦は1916年頃までは独英の勢力は拮抗しており、このまま戦争を終結させようという交渉が始まりました。しかしこれに待ったを掛けた連中が現れます。JPモルガン等ウォール街の金融家達です。彼らはイギリスに多額の戦費を貸し出していたので、敗戦国が存在しなくては大損をかくはめになるのです。そこで連中は米国に働きかけて参戦させるようにしました。そしてさらにはFRBを通じて当時FRBと大の仲良しだったライヒスバンクにもドイツが不利になる様に働かせたのです(ちなみにFRBを作ったのもJPモルガン等ウォール街の金融家)。結果、1918年ドイツは敗れました。
さてやっと以下本題です(笑)。
敗戦国となったドイツは戦勝国(を通じてモルガン商会等)に戦前のGDPの3倍(!)という莫大な額の賠償金を支払わなくてはならなくなりました。そしてその取立てを円滑にするために賠償委員会が設立されました。主なメンバーは当然モルガン等ウォール街の金融家です。そしてライヒスバンクはこの賠償委員会の監督下におかれ、賠償金を支払うための他の機関(ドイツの国会や政府)からは完全に独立した存在となったのです(委員会とライヒスバンクの「実際」の力関係は僕には分かりませんけどね)。
(ちなみにこの賠償委員会はドイツの賠償問題が片付いた後も国際決済銀行(BIS)として今に至ります。)
その後の歴史はご存知の通りハイパーインフレ、恐慌、そしてアドルフ・ヒトラー
へと続く事になりました。
余談ですが、戦後日本の経済界において「法王」とまで恐れられた一万田尚登日銀総裁(総裁辞職後、大蔵大臣となる)は「この」ライヒスバンクにて勉強を積んだ方であり、当時のライヒスバンク総裁ヒャーマル・シャハト氏とは大変親しい間柄だったそうです。 さらに余談ですが、戦後の日銀の実力者はプリンスと呼ばれ(やっぱり「エライ」人はネーミングセンスからして庶民とは違います。仲間入りしたいとは思いませんが)全員この一万田氏の弟子(派閥)、或いはその系譜だそうです。現総裁の福井氏もその例に漏れません。
多分今の日銀に対して期待するのはブッシュ大統領に世界平和を期待するようなもんだと言えると思います。
以上、蛇足ながら当時のライヒスバンク(独中銀)の内実や歴史についてでした。