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清潔で健康な国、日本において病原性大腸菌O−157が流行したことはまだ記憶に新しい。電車の座席に置かれた鞄、都市から消えたドブ、トイレが臭わないための排便消臭剤。日々の日常の中に定着した「清潔」という観念は、不浄なものどもを厳しく排除し、退けることによって、まるでわれわれの生が極めて狭く、窮屈な場に閉じてしまっているかのような印象を与える。そして、そのような清潔という観念は、街角に投げ捨てられた煙草の吸殻や繁華街から溢れ出すゴミの光景と裏腹だ。つまり、清潔という観念が定着しているのはあくまでもわれわれの生の領域内のことであり、この境界線を越えると清潔感情は限りなく無に等しくなってしまうのである。そして、われわれが懸命に維待しようとしている「清潔」は、このように極めて限定的なものであり、その陰には「清潔でなくてもいい」広大な荒れ地が茫漠と広がっているのではないだろうか。
江戸幕藩体制において、現在流布しているような「清潔」志向は存在しなかった。近代医学も発達していなかった当時、清潔で健康な生を維持していたのは医者ではなく、人体と環境との調和を図り、病気の治癒ではなく病気の予防を進める中国・神仙糸医学、家々の置き薬(富山の行商が有名)、そしてまた神仏のカにすがる医療信仰であった。
開国した後、日本は伝染病コレラに悩まされる。コレラは「三日コロリ」と呼ばれ、感染すると、高熱、下痢、脱氷状態、血圧低下を招き、約三日で患者は死亡した。大流行しない年でも、明治期はコレラによって数百から数干の死者が出、政府は西洋に追いつくための文明開化政策の一環として「公衆衛生」の整備に乗り出す。「コレラは衛生の母」であり、これをきっかけにして「清潔な文明国日本」が形成され始める。個々人が清潔な生を維持するのではなく、「日本人」として同定されたわれわれの生の「清潔」、つまり「日本の清潔さ」が目指されなければならない、そのことによって日本の近代化は補完され、強化されなければならない。国家衛生の始まり。衛生観念のない無知な民衆に「清潔」という観念を啓蒙するため「衛生唱歌」が流布し、あるいは「衛生博覧会」が全国で開催され、そこで展示された病気に冒された人体模型を通じて、「病気であること」が可視化、視覚化される。顕微鏡で見た病原菌、妊娠した女性性器、結核や梅毒に冒された人体など、展示された模型・標本は恐いもの見たさで訪れた人々に目に見えない病を目に見える形で提示し、記憶させる。ここにおいて、衛生や清潔という言葉は人間が病と調和しながら老いでいくという意味を失う。視覚化されたイメージとしての病をわれわれ「日本人」が日常空間から排除し、消去することが衛生、清潔を意味するようになったのである。われわれの清潔は、不必要なものを除去することによって初めて獲得しうる場である。
国家主導の「清潔」志向はただ医学的な領域にとどまらず、美の領域にも拡大された。女性像である。日本人的な体型である、青白い肌、細面、なで肩、扁平な胸、ずん胴、短足は病的であると評され、単に健康のためならず、美容のために矯正が必要だとされた。(当時理想とされたのはミロのヴィーナス像であり、幸か不幸か、時を経て現在の若者はその理想体型に近づいている。)また同時に、強健な国家建設の理念の下、それを支える「強い男児、丈夫な子を産む女子」を育成するために、陸軍が介入することによって体育が導入される。ここにおいて、衛生、清潔はさらに「健康」という観念と結ぴついた。
哲学者ミッシェル・フーコーの言葉を借りれば、「(近代の)権カは禁止したり、処罰したりするのではなく、煽動し、教唆し、生産する」のである。近代国家における権力の在り方は、単純に支配者が我々に目を光らせ、我々に対して耳を澄ませるというものではなく、何よりもわれわれ自身がわれわれ自身に対して権力を生産し、維持していく運動体としてである。われわれは誰から矯正されたわけでもなく、「清潔」を日々の日常の中で行使する。そして、この「清潔」という観念がある排除を認め、その排除によって辛うじて成立しているのだとすれば、われわれの清潔な生は極めて矮小なものであるし、このようなダブル・スタンダ一ドを存立条件とするこの思考は自然破壊やゴミ問題、難民に対する感情とも関連している。だとすれば、「清潔」を維持する以前に、この「清潔」が排除している「清潔ではないもの」を認識し、「清潔」−「非−清潔」という図式を成立させている思考を問わなければならないだろう。
(西山雄二)
http://www.h6.dion.ne.jp/~kazu-t/Lamitie/vol1/05/nishiyama.vol1.no1.htm