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(回答先: 長壁さんはチンケなプライドも捨てた闘争至上主義者で「茹で蛙論」もひとをバカにしているわけではなく自分の精神性を晒した言動 投稿者 あっしら 日時 2004 年 12 月 16 日 03:08:38)
あっしらさん、レスありがとうございます。
>長壁さんは、現実世界の歪みや暴虐に我慢ならず、そのような悪を仕掛けている連中を>叩き潰せばより良き世界が生み出されると信じているという意味で、ある種の救世主意>識の持ち主です。
そうでしょうね。
>このような意識は、長壁さんに限らず左翼的政治活動にのめり込んでいる人に共通する>ものだと思っています。
よく解ります。
>普遍的な真理や善があると思い込い、そのために自己を犠牲に捧げてもいい(捧げるべ>きだ)と思っている人が陥る「クソったれ」状態です。
これも痛いほどよく解ります。
私がかつてそうでしたから。
真理を掴んだと思い、その真理の為に命を奉げるつもりなのですね。
ところがその「真理なるもの」があやしいのです。
その「真理なるもの」を他者から批判されると自らの存在意義が否定されたような
気になって猛烈に反発するのですね。
創価学会員などにもよく見られる現象ですね。
これは観念によって支配された人間の行動パターンだと思います。
言葉に過ぎないものを真理と思い込んでしまうところから始まると思います。
なるほど人間にとって言葉によってしか真理に到達できないと思われるでしょう。
しかし、どこまでいっても言葉は真理そのものにはなり得ないという事が解らないのです。
>自分の主張や目標が“善”だと思っているからこそ、自分に同意しない人や同じ目標に>向け活動しない人にいらつき「茹で蛙」だと罵りたくもなるのです。
はい。よく解ります。
>また、自分の信念を貫くことで嘲笑されたり罵られたりしたとしても、いわゆるプライ>ドが傷つくようなことはないはずです。
そうかも知れませんね。
しかし、長壁さんの投稿には、彼女を批判する者への怒りが込められており、
その怒りとは「真理を把握している私の言葉を理解しない者は何と愚かなのだ。」
という意味が込められていると思います。
つまり、「自らが真理を把握している」というプライドがあると思ったのですが。
>(自己犠牲に入った人は、自分に対するまわりの評価は問題ではなくなり、正義や善を>めざす活動に励むことがプライドという情況になる)
しかし、まわりの評価が低ければそれはそれで怒りの原因になっていると思うのですが。
「なんで、解らないんだ!」というような。
その活動の中では「この掲示板で自分の意見を認めさせる。」という活動は大きな
部分を占めているように見えますが。
で、そこで長壁さんに対する批判が多くあればあるほど彼女の怒りは高まり、
ますます孤立していっている気がします。
>政治活動を「世のため人のため」だと思ってやっている人は、その言動に歯止めがかか>りにくいため、正義や善意の名のもとで害悪を撒き散らす「カス」になりやすい。
よくある事です。
「自分の為では無い」という大義名分によって色々なメチャクチャことが許される
と思うのです。
単なる破壊でしかないのに革命をやっている気になる場合も多いです。
長壁さんの場合は反戦の意志を示す為には、その怒りを表現する為にキチガイという言葉
を使ってもいいという風に現れました。
>(自分の観念や判断が正義や善だと確信しているのだから、それに同調しない人たちが>“悪”に見えるのも自然で、問題や状況によっては苛烈な対応に結びつく)
そういう事です。
>長壁さんと同じような内容を投稿する人がいたとしても、自己満足であり自己愛でやっ>ている人ならケチを付けることはありません。
なるほど。
>長壁さんが「善意の人」だからこそ、その恐ろしさを晒すために罵倒を投げ掛けていま>す。
なるほど、「悪への道は善意で敷き詰められている。」でしたっけ?
批判を許さない「善意の人」ほど始末に終えない人はないですね。
自分に対する他者からの批判を理解しようとする姿勢が是非必要ですね。
これは批判に従うという事ではありません。
取りあえずはその批判内容が理解できるかどうかです。
それができない人間に革命などできるはずが無いでしょう。