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シリーズ・現代の優生思想との対決(15−2)怒ることのやり方について〜ヒント「惰性化した日常の外へ」
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/459.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 12 月 14 日 03:46:02:HcDLIonJaW4jM
 

(回答先: シリーズ・現代の優生思想との対決(15の一部修正と追補)荒木裁判障害者解放闘争と1971年沖縄闘争 投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 12 月 12 日 04:36:49)

私の投稿が削除されているらしい。だから、私のメール・アドレスを書きます。削除された文のもとをお送りします。嫌がらせでも何でも送りつけてくれば良い。命がけでやるのが反戦運動だ。メールやウイルスぐらいでは死にはしない。かなり大変にはなるでしょうが、ね。言論弾圧などにやられてたまるか。
手ポリオ・近藤和也のe-mail: kazuya_kondou@ybb.ne.jp
これも削除されるんでしょうね。あ〜あ。ひどいご時世だ。
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怒ることのやり方について〜ヒント「惰性化した日常の外へ」

“出来事を 《演じる》 のは人間なのである。戦後の進歩的な歴史学《(や社会科学や心理学や哲学や政治学や経済学や法律学や教育論や運動論やその他の言説や討論やポストモダンなどなど)》は舞台の構造を解明するにとどまった。”
“感情から理念にまでいたる個人の心情とそれに支えられた 《行為》 が、問題なのである。”
 
“批判し否定することはむずかしいことではない。もちろんそれはそれで必要なことだが、しかしわれわれにとって重要なのは、歴史の共犯者としての被告あるいは被告になりうる者なのである。だからといって、自分を卑下しているわけではない。被告だけが 《生活者》 であり 《行動する者》 なのだ。”

“なぜ人びとは、あのようなとてつもない出来事を容認し、積極的に加担してしまったのかと問うことが必要なのだ。その問いを手放すことなく、それを 《いま現在》 の 《自分の生き方》 の 《なかに生かすこと》 が必要なのだ。なぜなら、とてつもない出来事は同じ姿では繰り返されないからだ。それはまったく違った姿で 《われわれの前で繰り返されている》 のかもしれない。いや、繰り返されていると言うべきだろう。 《いまのわれわれ》 にもそれは見えない。それを見ることのできる目を鍛えること、… 《わたしたちの惰性化した生活》 を 《根本から震駭させ》 、「生の感覚」をとりもどさせる 《衝撃》 となるのである。” 

――これは、たまたまの、ほんのひとつ・ふたつ・みっつの例です。ほかにもいっぱいあります。

栗原幸夫さん(旧・ベ平連、ほか)のHP http://www.shonan.ne.jp/~kuri/ 
栗原幸夫評論集・3「本を読む」 http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_3/hyouron_3.html
●「惰性化した日常の外へ」――池田浩士著『歴史のなかの文学・芸術』解説:栗原幸夫
(2003年12月、河合文化教育研究所刊・所収) http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_5/dasei.html より。

(…前文省略…)戦前の一九三〇年前後に(…)この構造を変えないかぎり戦争は避けられないと、これらの社会科学者たちは警告していたのだから。社会を変えるのか、あるいは戦争を容認するのかという二者択一に、このとき日本人は直面していたのである。そしてほとんどの日本人は戦争をえらんでしまった。また社会を変えることを目標として掲げた政党や運動も挫折した。ここにもまた「なぜ」という問いが生まれてくる。
 つまり、社会科学的にある出来事の原因が解明できたとしても、それで「なぜ」という問いは解消しないということだ。社会科学的な研究は大切である。しかしそれは出来事が演じられる舞台の構造を明らかにするだけだ。出来事を演じるのは人間なのである。戦後の進歩的な歴史学は舞台の構造を解明するにとどまった。演じた人間はついに登場しなかった。彼らにとって人間は、舞台のカラクリにダマされた善良な、あるいは無知な者でしかなかったのである。
 ある出来事を生みだすのは歴史の必然性というようなものではなく、人間の行為だ。その行為が歴史の必然性によって制約されているということは、ごく大局的に見ればたしかに言えるだろうが、「なぜ」が問われるのはそこではない。感情から理念にまでいたる個人の心情とそれに支えられた行為が、問題なのである。池田浩士は、ナチズムがその当初において「抑圧からの解放と豊かさの実現を、新しい秩序と新しい倫理との建設を、目標として掲げるものだった」と指摘した後に、つぎのように言っている。
(…中略…)
 ここには池田浩士が歴史に向き合うときの基本的な姿勢が端的に述べられている。ある出来事――たとえばナチズムとか「大東亜戦争」という出来事が完結し、その結果が誰の目にも明らかになった後に、それを批判し否定することはむずかしいことではない。もちろんそれはそれで必要なことだが、しかしわれわれにとって重要なのは、そのような「事後の視線」から過去の出来事を断罪することではない。わたしたちは検事や裁判官のように「裁く者」ではないのだ。むしろ歴史の共犯者としての被告あるいは被告になりうる者なのである。だからといって、自分を卑下しているわけではない。被告だけが生活者であり行動する者なのだ。法廷のなかでは裁判官も検事も弁護人でさえも生活者ではない。だから彼らは責任を問われることがない。被告だけが自分の行為の責任を問われる資格を持っている。だから被告は裁判官や検事などより人間的なのである。
 なぜ人びとは、あのようなとてつもない出来事を容認し、積極的に加担してしまったのかと問うことが必要なのだ。その問いを手放すことなく、それをいま現在の自分の生き方のなかに生かすことが必要なのだ。なぜなら、とてつもない出来事は同じ姿では繰り返されないからだ。それはまったく違った姿でわれわれの前で繰り返されているのかもしれない。いや、繰り返されていると言うべきだろう。しかし「事後の視線」で過去を過去のこととして見ているかぎり、それは見えないのだ。昔の人たちが、目前の事件の「とてつもなさ」を見ることができなかったのと同じように、いまのわれわれにもそれは見えない。それを見ることのできる目を鍛えること、それ以外にわれわれが被告席から解放される道はない。
(…中略…)
 芸術とは驚きの発見である。わたしたちの感覚は、日常の生活のなかで鈍磨し惰性化してしまう。それは避けられないことだ。路傍の石を見ても、自分の頭のなかにある「石」という既成の概念をそれに投影し、ああ石があるなと言って通り過ぎてしまう。そこにある石そのものを見ることはない。それが繰り返されると石があること自体、知覚されなくなる。石の場合ならせいぜい蹴つまづく程度ですむが、これが社会的な事象の場合はそうはいかない。それはその事象を容認し、共犯者になるということだ。自分の生活を取りもどすことは、このような惰性化した感覚を揺さぶり目覚めさせ、人と物にたいする自分の関係を活性化させることなのである。そのときわたしたちは自分の外にいままで見えなかった「他者」を発見するだろう。他者とは仲のいい隣人というわけではない。かつてサルトルはある戯曲の主人公に「地獄とは他者のことだ」と言わせたが、そのような他者との出会いこそ、わたしたちの惰性化した生活を根本から震駭させ、「生の感覚」をとりもどさせる衝撃となるのである。
 ところがいまわれわれが生きている情報化社会のなかでは、このような「奇異なもの」もたちまち商品化され惰性化してしまう。われわれに驚きをあたえた前衛的な表現も、数年の後にはコマーシャリズムに取り込まれ、ポスターやデザインとして街にあふれる。驚きの発見もパターン化した怪奇小説の流行となる。しかしわたしたちはそれをただ否定すればいいというわけではない。本来それらは何を表現していたのか、それらを好んで受け入れる人たちは、本来はそこに何をもとめていたのか、そして何を求めつづけているのか、という視点からそれらを「読みかえ」ていく必要があるのだ。
 ここからわかることは、惰性化のプロセスは繰り返されるということだ。そこから脱出したとしても、その脱出した地点もまた遠からず惰性化してしまう。世のなかには、惰性化した前衛芸術家、惰性化した思想家、惰性化した革命家が掃いて捨てるほどいる。惰性化からの脱出は、永久に繰り返される終りのない試みなのだ。それが人がまっとうに生きるということなのである。
(以下略)
※全文は→ http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_5/dasei.html

※ほかにもいっぱい・・・きりがない。たとえば…。
●栗原幸夫「人はなぜファシズムに魅せられたか 池田浩士著『権力を笑う表現』(社会評論社刊)」
(『月刊フォーラム』1994年4月号)  http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_3/kenryoku.html 
…逸脱の夢そのものは、つねに、両義的であり多義的なのである。
…真の戦場である「市民の船」とは、この逸脱の夢がさまざまな表現を獲得して息づく両義性の場なのである。…深沢七郎(「権力を笑う表現の困難について・『風流夢譚』三十周年に」)、…マルクス(「ファシズムの先駆者、マルクス・没後百年によせて」)、…
…両義性の場にはひとのこころをかき立て蠱惑する魔力が息づいている。…かれ(池田浩士)は表現主義のなかに、後にファシズムによって体現されるような契機がはらまれていたことを少しも否定しない。それは表現主義のなかに真に人間の解放につながるはずの理念や言葉やイメージの疑いもない発見があったのとまったく同じように、否定できないことだと言いこうつづける。「問題は、では、なぜその表現主義のうち、ファシズムへとつながる要因が、さしあたり(そしていま尚)、ドイツで(そして世界中のいたるところで)、現実の力として世界と人間とをとらえたのか?――ということだったのだが、これは問われぬままだった。そして、いまなお、表現主義にたいする問いのうちでももっとも大きなもののひとつであるこの問いは、最終的な答を与えられていないどころか、充分に問われてさえいないのである。」…
…「表現形式そのものが、またファシズムの思想的・イデオロギー的内実なのである。『政治の美学化』というファシズムの豪語の意味は、じつはここにある。これにたいして、たとえばベンヤミンのように、『美の政治化』を対置することの無力さを、考えてみなければならない。 ……ファシズムによる 『政治の美学化』はイタリアでもドイツでも、そして
日本ですら、表現そのもののなかにある自己解放の契機を、あますところなく組織した。搾取し収奪した、と言うべきかもしれない。しかし、この搾取と収奪は、ただ単に暴力的強制によってだけ実行されたわけではなかった。」…
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
●吉川勇一さんのページから。 http://www.jca.apc.org/~yyoffice/index.html

◇「反戦の原点を忘れた「非戦」とは何か――小林正弥氏の「平和」運動論批判――」天野恵一
(『市民の意見30の会・東京ニュース』No.86 に掲載)
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/Ronsou18AmanoYasukazu.htm
…この間の若い人びとの平和運動への大量な参加という事態をつくりだしたのも、日本の参戦(加害国家化)への広い怒りと焦りが、それなりに若い人びとにも共有されたからではないか。…例えばイラクでバタバタ子どもたちが死んでいる劣化ウラン弾の戦争被害を直視する「明るい」平和運動なんてのは不自然だろう。「暗い」気持ちであたりまえではないか。だから、「暗い」気持ちが運動のエネルギー源になることだって、いくらでもあるだろう。…国家の非武装という思想はまったくの無抵抗主義以上の立場も含まれているという事実をもふまえ、私たちは小林の「仕掛け」にひっかかるわけにはいかない。『非戦の哲学』を含めて小林の自衛隊肯定論は、事実上の巨大な軍隊が存在してしまうこと自体がもたらすマイナスについての検証がまったく欠落している。軍人のシステム・基地・軍需産業・他国との軍事同盟(日米安保条約)・人権侵害を必然化する「軍事法」。こういうものが存在し、力を持ってくることで戦争への衝動がつくりだされていることは、歴史体験的事実である。…戦争をしない国家とは、そうしたものをすべて容認しないことによって可能だというのが九条の理念(思想)である。これを放棄してはならないというのが戦後の平和運動の中核に存在した思想であったはずだ。現実的に自衛隊の動きを拘束していた力の源泉はこの理念と行動だったはずである。…海外派兵へ向かう日本の国家にもっとも根本的なところで抗い続けてきた思想と行動の放棄を要求する「非戦・平和運動」というのは、いったい何なのだ、と問いかえすしかあるまい。(あまの・やすかず、派兵チェック編集委員会)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◇反戦運動の「断絶」の根拠と「継承」の可能性をさぐる(上)WORLD PEACE NOWをめぐる論争によせて
(週刊『かけはし』10月25日号 新時代社発行) http://www.jrcl.net/web/frame041025b.html
…若者の「やさしさ」と議論不在
 「市民の意見30の会・東京」の吉川勇一は、『現代思想』03年6月号に掲載されたインタピュー「ベトナムからイラクへ 平和運動の経験と思想の継承をめぐって」や、『市民の意見30の会・東京ニュース』79号(03年8月1日)の「秋の反戦共同行動に向けて――第1期WPNの成果と問題点」、『論座』04年3月号の「デモとパレードとピースウォーク――イラク反戦運動と今後の問題点」などで活発な問題提起を行ってきた。
 吉川は「若い人びとの間で『やさしさ』が最高の価値基準になってしまった」ためか「他人の意見に介入して議論するということがない」と指摘するとともに「今のイラク反戦は、まだ感性的レベルにとどまっていて、歴史意識や社会意識に十分裏打ちされていない」と述べている(「ベトナムからイラクへ」)。
 また吉川はWPNの掲げた「非暴力」の原理が「非暴力=無抵抗」「非暴力=合法主義」として誤解されたものである、と批判し、「ひたすら警察とことを構えず、デモの許可条件を遵守して歩けば、それによって広範な市民の参加が保証されるとする理解もまた浅薄である」と述べた(「秋の反戦共同行動に向けて」)。吉川によれば、こうした問題点は「以前の運動の経験が十分に継承されているとは言いがたい」ことに規定されていた。…
反天皇制運動連絡会や派兵チェック編集委員会…の中心を担ってきた天野恵一も、…「メディア支配で洗脳」されている彼らとは、「討論する前提がないのに、どうやって討論するんだというぐらいの断絶」だと(『派兵チェック』136号、04年1月15日)。…しかし、われわれは「断絶」の自己確認にとどまってはならない。そのためには一九九〇年代の大衆運動の分化と衰退のプロセスを、あらためて総括していく作業を深化していく必要がある。
 …一九九〇年代、とりわけ「冷戦の終結」と湾岸戦争以後の日本における大衆運動構造の激変こそが今日の反戦運動をめぐる「断絶」に直接に影響していると考えるからだ。
 一九九〇年代初頭は、後退を深めていたとはいえ、当時までなお相対的には一定の力を持っていた旧来の戦後「革新」運動が、一挙に瓦解していく転換点だった。…そこでは、「ソ連・東欧の崩壊」と社会主義への「信頼性」の急速な喪失、ポスト冷戦期における日本帝国主義国家の「普通の国家」への着実な移行と軌を一にしている。…天野が吉川の主張への「違和感」を表明している点も、おもに今日の「断絶」をもたらしている一九九〇年代における主体の側の苦闘に、吉川がほとんど触れていないからである。天野は述べている。
 「吉川さんの文章を読んだ後の僕の印象は、ベ平連の時代からいきなり今日の時代にまで飛んでしまっている。これだと逆に、今新しく出てきた人たちに歴史があまり伝わらないんじゃないかと思ったんです。吉川さんの新しい運動についての批判は、つまり五〇年代の運動があって、六〇年代に五〇年代の意識が、ベ平連運動などの中で超えられた。それなのに、また五〇年代的なものに戻ってしまってるというものだと思うんです。……けれど、普通に考えても七〇年代があり、八〇年代があり、そして九〇年代の運動があって、その中で六〇年代の運動のいろんな遺産もいったんもみくちゃになって、それで今日がある。そのプロセス全体の論議で共有していかないと、今日起きている問題を共有する土台が出てこないと思った。そういう点で吉川さんの論文にはすごく違和感を持ったんです」(「栗原幸夫へのインタビュー ベ平連という運動〈経験〉」での「聞き手」としての天野の発言。反天皇制運動連絡会編:『季刊運動〈経験〉』12号 04年8月刊)。
 私たちもまた、「継承」のための総括を開始していかなければならない。(つづく)(平井純一)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◇「墨守中立主義」:小林正弥氏の九条解釈について 對馬労(つしま・つとむ、出版労働者)
反改憲ネット21 http://www.hankaikennet21.org/fopinion.htm
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/ronsou20TsusimaTsutomu.htm
…平和的生存権の立場に立つなら、自衛と称する戦争であれ何であれ、それが戦争である限りは、どこまでも国家とその権力を守るための戦争であって、個人の生命や生活を根こそぎ破壊するという点において、自衛と称する戦争も「正しくない戦争」も何ら異なるものでないことが開示されます。個人の視点からみれば、どんな戦争も、個人の生命・生活を奪うものであり、決して正しくはないからです。この徹底した立場は、また、戦争の惨禍の深刻な歴史的体験に裏打ちされた確信でもあります。「九条の会」の一員でもある作家澤地久枝氏は、かつて、有事法制議論に際して、〈国家が国民を守る?ご冗談を〉と端的に断じたことがあります。小林氏の論には、こうした根底的な国家批判・国家論が見当たりません。…墨守中立主義によって武力の有効性と軍事合理性が追求されれば、当然、有事には軍事が〈公共の福祉〉とされ、人権は強力に制限される。…
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●怒ることのやり方について〜ヒント「おじいさんの知恵袋」
福富節男(ふくとみせつお)さん。1919年(大正8年)生まれ。85才。
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【手ポリオ近藤和也・メモ:1】「おばあちゃんの知恵袋」という言葉があるが、下記の本『デモと自由と好奇心と』を読んでいたら、おじいさんの知恵袋だと思った。今の若い人たちから見れば「ひいおじいさん」。この本は旧・ベ平連(現・市民の意見30の会・東京)の吉川勇一さんや栗原幸夫さんなどのページから知った。それで、福富節男さんのことを調べてみた。吉川勇一さんや栗原幸夫さんなども調べると良い。その他、昔のいろんな人たちが今も活動されている。主に戦前生まれの、戦後に1950年代反戦運動〜60年安保闘争〜ベトナム反戦〜70年代学生運動とも共に行動し、主に共産党除名組の人たちで、さらに80年代〜90年代〜現代へとつながる長い反戦運動をされてきた人たちで、酸いも辛いも甘いも噛み分けた、怒りの心情と世間のきれいごととを、いかにつなげて活動にしていくかを、市民の目線で「抵抗・反骨・反権力・反戦」を続けてこられた人たちである。この生きた歴史を、実用的に実感としてよみがえらせねばならない。その底には、限りない「権力への怒り」の気持ちが煮えたぎっている。それをエネルギー源として、否定せず有効に活用する「おじいさんの知恵袋」が、ここにこそ、たくさん詰まっていると思う。とにかく、まず、自分で調べること、それを社会につなげる具体的行動に出ること、寝たきりの人でも、うちの中でできる方法もある。どんな人でも、意識と行動の問題だ。それを、精神訓話やお説教的などの世間の空気に汚染されたうわべの一見誰も否定できそうもないきれいごとで、押さえつけたり否定し潰し合いをする前に、まず、いかなる方法ができるのか、そちらのほうを考え行動するべきだ。
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【手ポリオ・メモ:2】なお、私はこういった反戦運動や障害者問題やその他あらゆる市民運動などにかかわることは、二年半の経験しかなく、また、実質的にはこういうことをパソコンなどで調べ、いろいろわかりかけてきたのは、まだ半年程度です。それもいまだによくわからないことのほうが多い。しかも、会社勤めなどの経験はなく、妻子もないから、地域や学校や社会のことは、かなり一般の人たちとは立場が違い、ものの見方も違うことだと思います。いずれにしても、アマチュア以前のドシロウトもいいとこです。きわめて無防備だと承知の上でやっています。私の性格と身体では、今までそんなことはしなかった。石橋を叩いても渡らない。もともと、意見などを人前で言ったり書いたり発表したりしない人間です。しかし、時には大胆なこともやりました。愛知県のいなかから一人で東京に出て来て暮らして22年になります。出て来るときには、かなり慎重に調べて段取りを作り、一人で一つずつ確実にやりました。身体障害者が年金だけで、それを一人でやるとなると、とてもよく調べてからでないと、うまくいきません。思いつきや勢いでやるわけには行きません。もし、そうして失敗したら、私はホームレスにもなれません。一晩か二晩で野垂れ死ぬでしょう。だからいろんな場合を想定して、それでも大丈夫とよく調べてから、それでもダメだったら死ぬぐらいのつもりで出て来ました。実家やその地域には、とどまっていたくなかったのだ!…今はそんなふうに慎重にはしていられません。あの戦争教科書が一部の養護学校に押し付けられたとき(2001.8.7)に、とにかく何かできることはないかと、身近なところへ飛び込んだら、直後に9・11、アフガン、イラク、有事法、自己責任、非国民…次々と事態はきわめて早く危険になっているから、無防備のまま走りながら調べながら考えなきゃならない。きわめて苦手な方法です。もともとは、いろんな運動体や政党などの状況や資料や本などを調べてから、現状はどうなっているかの基本的知識ぐらいは知ってから、どこへ入り、どのような方向で、どんな活動をしていけばいいかを、ある程度わかってから、やり始めればよかったのでしょうが、そんなことをしていたら、何年もかかってしまいます。まず、いろいろな所へ行ってみた。そこで私がどういう活動をしていたかの一部は、 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/501.html の始めのほうや、 http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/154.html http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/376.html http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/656.html また、「さざ波通信」にも、2004年6月のことなど書きました。そのほか書いてないこともいっぱいあります。このような身体障害者が怒る、という意味を、いきなり肉体暴力や武力的、非対話的なことと捉えられるのがわかりません。怒りを込めて行動や言論をするとは、どういうことか?さて、二年半、動き続けましたが、ほとんど全部が、私の言葉で言えば「フヌケ(きれいごとのラブ&ピース)か、シニシズム(知識・情報は満載の上で、行動しない冷笑)」のところがほとんどでした。それでも、そういうものかと思っていた。そして、一年前に初めてパソコンを(両上肢障害者への補助金11万8500円+自己資金約3万円で)購入し、半年ほど前からようやく、いろんなインターネットも引けるようになったばかりで、いろいろ調べ出したら、もっと実用的な方法がいろいろ見つかり出し、それで数ヶ月前から、それを言ったり、活動に取り入れようとしたり、また、それを入れた自分の意見(らしきもの)を少しずつでも出していったら、たくさんのところで、すべて拒絶か無視か潰されるかになるのを経験してきたとです。対話を拒絶したり、排除してくるのはどちらなのでしょう?こういうことを言うことさえも許されないような、単なる従順におとなしくお勉強して黙って従っていろ、という空気、これが、まず、おかしいと思い始めたところなのに…。
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【手ポリオ・メモ:3】やる気をなくさせようとする者たち、精神的去勢を仕掛けてくる者たち、知識や経験や情報や能力がたくさんあっても、それで助言してくれるのでもなく、実際の行動・運動にもつなげようとしない者たち…。私のような未熟で経験もほとんどない者に向かって、論理がおかしいとか、過激だとか、危ない奴とか言って、弱い者いじめを平気でしかけ、とにかく潰し黙らせることだけに精力的にその知識・能力を使うことに集中し、自分たちは、具体的行動をせず、ただ情報を集めるだけの物知りさんたち。または、それさえもせず、戦争、テロ、暴力、抵抗、反骨、反抗、などをいっしょくたにして全面否定し、おまわりとも仲良くし、怒る気持ちを持つことだけさえをも否定し、とにかく、すべてを乱れさせず、波風立てず、荒立たせず、おとなしい、おだやかな、何もない、みんな仲良く、従順に…だけにしようとさせる勢力。それらが、反戦側に多くいることに怒りを感じるのだ。それがまさに、外と内なる優生思想というものだと思う。そんなことをして、せっかくやる気になっている者たちを落ち込ませて、さらにひきこもりにさせることが、何の意味があるのでしょうか?知識や経験が豊富なら、またはそうでなくとも、それを、今現在の自分の生き方の中に生かし、感情から理念にまでいたる個人の心情と、それに支えられた行為に移していくことが必要なのではないかと、上記でも言われている。私がせっかく、いろいろ知ろうとしているのを叩き潰そうとし、やる気をなくさせようとする者の多いこと。そういう人たちは、反戦や福祉をやっていても、戦争構造・優生思想に加担しているのではないのか?「おだやかで、おとなしく、論理的で、理性的な、知識・情報・経験も豊富な、何もほとんどしない、とってもいい人たち」?…そういう者に対して、怒りまくっているのだ。何もしないほど気に入られ、冷笑的にもっともらしく現状を解説・分析・紹介するほどありがたがられ、全ては直接行動につなげないようにして抑えられ、そういう問題点を追及しようと真剣になるほど排除され、適当に明るく楽しくお遊び感覚が好まれる。いったい、なんだ?
――そうではなく、そういうことをも取り込みつつ、しかし、単なるラブ&ピースにならず、反権力の意気込みを根底に活動している人たちの実例を調べ、参考にして、行動につなげて行きたいと思う。たとえば…
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《福富節男(ふくとみせつお)さん》1919年(大正8年)、樺太(サハリン)生まれ。
◇日大(日本大学)闘争年表 日大闘争年表編集委員会 http://www.geocities.jp/keitoy2002/nenpyou.htm
・1962年1月 日大数学科事件 文理学部長・秋葉安太郎は、数学科教員(助教授・専任講師・助手)の福富節男、木下素夫、銀林浩、倉田令二郎の4氏に、大学の思想にあわないと辞職を強要。
・1963年11月 福富氏、私物を取りに来て、職員に暴行される。
・1965年から「ベトナム問題に関する数学者懇談会(ベト数コン)」を始める。→1966年ベ平連へ参加。
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◇本『デモと自由と好奇心と』福富節男(著) 第三書館 1991/12 ¥2100
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4807491229/qid%3D1102917875/249-5001689-0313133
――べ平連が発足の一九六五年以来、25年以上にわたって「デモ男」として市民運動の先頭に立ち続けてきた数学者が、自らの昭和史をふまえ、来し方行く末を論じながら、日本社会の変化と国民意識の変貌のうちに潜む危機に市民として立ち向かう術を伝授する評論集。

【手ポリオ・メモ】アマゾン・ドットコムの解説には、このように書いてある。この本の中の、P.201〜215の「検問拒否のススメ――人権無視の現場で闘わなくては人権思想は育たない――」(1972年6月23日デモでの実例:警職法第二条、二二条、二四条などの活用+89年6月デモと訴訟など)や、P.142〜151「観客民主主義を脱しよう」や、1972年岩国基地前に反戦喫茶「ほびっと」のこと、などが、特に具体的に参考になる。もちろん、この本のその他の全体の流れ、さらに、この人たちの生き方自体が、かなり参考になる。怒ること、怒りを保ちつつ、世間へどのようにつながるように行動に移していくか、それは、ただのラブ&ピースの感性をベースにしていては、何をしても、たとえそれで広がったとしても、いや、広がるほどに、服従する、文句も表現できない、おとなしい社会へと、どんどんつながっていくだけにしかならない。「反骨・抵抗・反権力としての反戦」には結びつかない。では、どうやるのか?そのヒントのいくつかが、ここにもある。
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◇「恥を知れ!!経団連 武器輸出をするな!」名前: KY生 [2004/11/27,09:36:09] No.3239
http://www.mkimpo.com/minibbs/kamex/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20041127093609&parent=3239
(2004)11 ・26経団連抗議デモには 総勢40人が集まった。
経団連会館前まではデモでいけなかったけれども、解散地点の常盤公園から参加者は三々五々歩いて経団連会館前へいき、再びあつまって抗議の声をあげ、代表が申し入れ書を渡した。
1973/6/16に初めて経団連へ向けてのデモを提唱した数学者の福富節男さんが参加された。1973年の時は「ベ平連ニュース」では500人だったという。
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◇福富節男 市民の意見30の会・東京事務局辞任――「福富節男さんからのご挨拶。」(03/09/09掲載)
数学者の福富節男さん(2003年10月31日で満84歳)は、ベ平連解散以後も、「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)や、「市民の意見30の会・東京」などの運動で積極的に行動されてきました。そして「市民の意見30の会・東京」では、毎週金曜日の夜、定期的に開かれてきた事務局会議に、ずっと出席され、そこでの情報交換、議論のなかで指導的発言をされてこられました。『ニュース』の発送作業のときでも、ご高齢にもかかわらず、封筒につめる作業や切手貼りなどの仕事も手伝ってこられました。反戦運動の中では、単に長老としてだけではなく、旺盛な好奇心、登山、芸術、料理、読書など幅広い関心、そして人権擁護についての一貫した原則的姿勢、運動の中での表現方法についての提言などで、人びとの尊敬と敬愛を集めてこられました。
 しかし、先週の同会の事務局会議の際、そろそろ事務局は引退したい、と表明され、下記のようなご挨拶を配られました。長い間、ほんとうにお疲れ様だったと思います。
           ご 挨 拶   2003年9月   福 富 節 男
 私は、年のせいで、いろんなことに億劫になり、2003年9月5日、市民の意見30の会事務局を退きました。従って私は「市民の意見30の会」を所属団体名としては使いません。その団体名を私の所属として、お使い下さらぬよう、お願い申し上げます。
 知的刺激のえられるところや楽しい集まりには行きたいという気持ちや体力はまだ残っておりますので、皆様からのお誘いは、これまでと同様に頂きたいので、今後ともよろしくお願いします。
 追伸:2003年8月3日の東京新聞で、次のようなものを見ました。
 日出生台での陸上自衛隊の演習に反対する集会に、陸自の西部方面総監の陸将が突然割り込んできて「なぜ反対するんだ。北朝鮮への抑止力になるのに」と叫んだ。
 という記事です。この記事は憲法第9条なきあとのことを想像させ、60年前を思い起こさせました。この陸将は自分の大義を主張したのでしょう。大義を唱えてすることは、何によらずうっとうしく感ずるのですが、それが力と結びついたときのの場合の怖さを感じます。私にとっての憲法改悪の怖さはそういう実感をも伴うものです。
 絶望に近い気持ちをもちながら、「反対」を主張する行動をし、それを続けたいのですが、体力の不安を感ずるようになりました。情けないです。(以下略)
つづきは→ http://www.jca.apc.org/beheiren/312Fukutomi-jimukyoku-jininn.htm
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◇アピール「市民の意見30の会」に入って下さい! 行動に参加してください!(01/09/30掲載)
http://www.jca.apc.org/beheiren/161Shimin30nokaini!.htm
 (吉川勇一)これは「ベ平連」に直接関係するニュースとは言えないのですが、事態があまりに緊迫しているので、ここにも掲載させてください。

 言うまでもなく、大変な事態です。アメリカによる「報復戦争」が迫っています。かつてのベ平連運動に参加していた人びとが、ふたたび行動に参加しつつあります。主な動きは、このホームページではなく、吉川勇一の個人ホームページ( http://www.jca.apc.org/~yyoffice )の「ご案内」欄や「市民運動」の欄にでていますので、ぜひそこをご参照ください。日本もそうですが、各地で市民の自発的行動が続々と登場し、アピール、声明、抗議、請願、集会、デモ、意見広告運動など、現在の状況は、1965年2〜4月の、ベ平連運動が登場する直前の時期を髣髴とさせるものがあります。インターネットがあるだけに、現在の方がもっと広がりは早いとも言えるようです。
 私が今参加して、もっぱら活動の中心の場としている市民グループは「市民の意見30の会・東京」という反戦グループです。「殺すな、いつであれ、どこであれ」のバッジ(デザインは和田誠さん)がシンボルマークです。そもそもは1989年に「日本を変えよう、市民による30の提言」をまとめ、『朝日新聞』全国版に意見広告として発表したところから発足しました。作家の小田実さんや中山千夏さんらを含む作業でした。詳しくは、この会のホームページがありますから、それをご参照ください。
      http://www.jca.apc.org/iken30
 「市民の意見30の会」は、その活動の一つとして隔月間で『ニュース』(左の写真)を発行しています。毎号40ページ近くで、内容は充実しています。最近号は10月1日付発行です。その目次をご紹介します。
(目次略)
巻頭には、現在の事態に対する緊急の声明がいくつか掲載されています。かつてベ平連で活動していた人びとが、この会には多数参加、協力しています。上の最新号『ニュース』の執筆者の中の、戸井昌造(神楽坂ベ平連)、吉岡忍(神楽坂ベ平連、ジャッテック、井沢幸治(金沢ベ平連)、福富節男(神楽坂ベ平連、イントレピッド4人の会)、渡辺勉(全国一般南部労組)、柳瀬正勝(横浜ベ平連)、梶川凉子(東京ベ平連)、渡辺一衛(千葉ベ平連)さんらもベ平連で活動されていたり、協力された人びとです(カッコ内は、当時の活動グループ)。
 アメリカのテロ報復戦争の宣言によって、事態が緊迫している今、かつてベ平連の場で行動し、今も反戦の志を共有されている方がたが、ぜひ、この会に入って下さるよう、訴えます。   
 会費=『ニュース』購読料は、一般会員が年2,500円(ただし、65歳以上、心身障害のある人、病気療養中の人などは年2,000円)、協力会員が年5,000円です。
 入会手続きは、上記「市民の意見30の会・東京」のホームページから申し込めます。
 この会が行なっているさまざまな活動は上記ホームページをご参照ください。この会の定例行事の一つ、「反戦映画クラブ」は、本ホームページの「映画ファンへ」欄でも紹介されています。 吉川 勇一
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◇反天皇制運動DANCE! - ニュース http://www.ten-no.net/dance/modules/news/
運動情報 : ニュース"DANCE"10号発行しました。2004-10-30
http://www.ten-no.net/dance/modules/news/article.php?storyid=22
「状況へ:生きている過去というものを書きたい」(福富節男)
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◇「反戦運動は今も昔もデモから始まる」栗原幸夫さんのHPより。 http://www.shonan.ne.jp/~kuri/
(『運動〈経験〉』2003春号、2003年5月) (三月二一日 池袋にて)
(聞き手=桜井大子)ずいぶん前ですが、『革命幻談・つい昨日の話』(聞き手:池田浩士・天野恵一、社会評論社、一九九〇年)という聞き書き本を出されましたね。大急ぎで読み直しましたけど(笑)、その中で、現在の運動に対比させながら聞き直してみたいと思う話がいくつかありました。一つは「安保闘争とはデモだった」というやつです。
 たとえば、栗原さんよりも年長の福富節男さんも、ずっとデモにこだわってらっしゃいます。そして現在も、「パレード」「ピースウォーク」と表現は変わっていますが、みんなで連れ立って歩いて意思表示している。今もやっぱり反戦運動の表現はデモだ、て感じはしています。
 ですけど、根本的なところで変わってきているという実感を持つ人が少なくないのも事実です。そのあたりから栗原さんが考えられているところを少し聞かせてください。
(以下略)つづきは→ http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_4/hansen.html
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吉川勇一●市民の意見30の会・東京 http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_16.html
「あまり言葉にされたことのない過去の積極的な体験をこそ、現在の運動のなかで意識化すべきだという吉川のこだわりかたは、私のこだわってきたことにつながっている。だから、私はそこに深く共感したのである」と書いた。(「生き直されるべき『運動体験』」天野恵一『インパクション73』一九九二年二月号)
一九五〇年代、日本共産党員として活動していたときのことだ。私は野間宏の『真空地帯』を読んだ後、飯塚浩二の『日本の軍隊』(一九五〇年、東京大学出版部刊)を読んだ。そして、自分でも意外だったことは、この『日本の軍隊』を読みながら脳裏に浮かんでくるものが『真空地帯』の場面ではなく、現にその中に身を置いて活動していた共産党の運動の日々の場面だったことだ。同じじゃないか、あの細胞会議の討論は! あいつの言ったことは、この将校の言ったことと同じじゃないか! そういう思いがつぎつぎと湧き、それを振り払うのにかなり苦労をした。
 たとえば、『日本の軍隊』の第一部の「討議」で、丸山眞男がつぎのようにのべている。
 ルールは戦闘目的というか、非常に明確な目的があって、そのルールを或る程度引用してプロテストすることはできる。しかしこういうルールの背後には一種の自然法みたいなものがないと思う。つまり、軍隊というものにはその背後に人間性の尊厳というか、人間人格の平等というようなものによって支えられた基盤がないから、対戦闘目的とかいう合目的なものによって規定されたルールはあっても、それは反人間的なものを防ぐ保証にはならない。だから、そのようなものに対しては反人間的だという批判すら下すことは許されない。(前掲書 一〇八ページ下段)
 こういう指摘が、党内の雰囲気の描写に読めてしまうのだった。そんなことを思い出しながら、天野さんの、「共産主義〈コミュニズム〉革命の思想に軍隊の論理は常に内包されているこの軍事の論理〈文化〉と行動と内部粛清やリンチが連動しているのである。……『連合赤軍』の『同志殺し』の問題は、特殊『連赤』という問題にとじこめずにこういう文脈の中で考えるべきである」という指摘を読んだ。
 この点だけ、答えておけば、それは、やはり天野さんの言う「自分の命がかかってしまう闘争へ決起しようという人間が、何人も出てくる運動状況のなかでは、そうした運動の方向を具体的に批判することが、できにくい気分がつくりだされてしまう」という時代の中で、それに影響されたことと、にもかかわらず、ベ平連がそのような方向に向かうのに何とかブレーキをかけようという主張を少しでも説得的なものにしようとして、心底から信じてもおらず、深く考えてもいないことを口にしたという、安易で姑息な妥協的・追従発言だったと言わざるをえない。…
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【手ポリオ・メモ】私のかかわった会や団体では、こういうことをほとんど言えないし、言ったとしても、馬の耳に念仏のような有様でした。議論・対話以前の状態です。つまり、意見の中身以前の問題。ドシロートの私には何もするな、言うな、とされるだけ。ドシロートの未熟者はドシロートの未熟者のままでいてほしいらしいのです。蓄積を伝えない。そして、反戦運動も福祉運動も意識を高めるようなことはほとんどしないで、ただの仲良しクラブなのです。だから、自分流に少しずつ勉強して(その時はまだパソコンはない)、いろいろやってきました。それは上にあげたとおりですが、「内部では」、まったく認められません。言えば言うほど、避けられ嫌われ、その理由も説明されず、お説教的な言葉ばかり。そして、怒りだけがこみ上げる。すると精神科へ診断させられ、障害者の掲示板は二つ廃止され、医療福祉の反戦MLからは除名され、あとふたつの福祉関係のMLからは自分から抜け出し、その他も似たようなことに陥っているのです。それが約一年続き、次第にイライラがピークに達したのです。もちろん、こういうことを共産党の中で言えるわけがないことは、すぐ気がついたので、一年でやめましたが、そのほかのところでも、なぜか触れようとしない。怒りとか暗さとか反骨とか、そういう気分を出したとたんに、いや、ときには反戦を言うだけでさえも、拒否される。これは一体何か?さっぱりわからないわけですね。それをやりたくて入ったのに…。しかし、今、パソコンで見つけたところが、いくつかあるから、そういう方向に行ってみようかと思うところは、少しずつあるのですが、今までのトラウマがひどすぎる。・・・まず、手始めは、怒りの気持ちを持つことだけでも認めることだとしか思えない。それをどのように制御し、かつ、活用するかだ。ドシロート、怒り、暗さ、などは、優生思想とからむことだと思う。おらあ、いなかもんだし、まんだ、お勉強さ、おっぱじめたとこだどもよお。いずれにしても、個人的なことでも、こういう経緯、背景を考慮することや、ましてや、戦争やいろんな差別問題なども、現にうわべに出ている面だけ取り上げて、一見誰も否定できそうもない一般論をかぶせて潰すやり方は気に入らない、と言うか、本当の当事者の立場にならない残酷・冷血なやり方に見えるわけです。・・・

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